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結局、欲しいのは「やりがい」。ちょっと子育てに疲れた今日「努力に比例した見返りが欲しい」と気づいた話

子育てほど、努力に比例した見返りがないものはないと思う。

とはいえ、息子はすでに中3。だいぶ、四六時中世話をしなくても大丈夫になってきてはいるが、その分、理屈っぽくなって疲れることが増えた。

特に自分の身体が疲れ切っていると、かなり堪える。

疲れ切った身体でパートから帰って、座る間もないうちに中3息子が帰宅する。

「腹減ったからおにぎり買ってきた」

といって食べるのは構わないが、息子は少食だ。
当然その後のご飯の進みは遅い。

そしてあまり食に興味がないので「腹減った。早くごはん」と言われて、疲れた体にムチ打って爆速でご飯を作ったのに、いつまでもyoutubeを見て食卓に来ないこともしょっちゅうだ。

だけど晩ごはんを作らなくてはいけない。予定していたおかずを手早く作る。それなりに考えて工夫して作った3品。

わたしは冷めたごはんが大嫌い。できたてを食べてほしい。ってかお腹空いたって言ったのお前じゃん。

「できたよ」「食べて」と何度も声がけして、のそのそとダイニングテーブルについた息子だが、ipadを観ながら無言で食べる。味分かってんのかい。

ダイニングテーブルの周りは息子のゲームやプリント、教科書、なんだかわからないチラシ、などであふれている。基本的に食べたゴミや飲んだペットボトルを捨てない息子。

別にキレイ好きでもなく、片付けが大嫌いなわたしがイラっとするくらいの徹底ぶりだ。毎日、せめてゴミを捨てろと言っている。けど響かない。

捨てても捨てても、洗っても洗っても減らないしキレイにならない。

きっとひとりなら、片づけたら片づけた分だけキレイになる。

だけど、息子のものがあると、片付けてよいかどうかも分からない書類があったり、なにかと神経を使う。そして捨てないゴミがずっとあるのもわたしが根負けして捨てる。だってリビングだし。
 
このような、自分の努力に全く比例せず、むしろ反比例じゃね?という成果の出ない毎日が、めちゃくちゃストレスで心身に堪える。

しかも、自分が疲れているかどうか、忙しいかどうかにまったく関係なく、息子が妙なイライラをぶつけてきたり、急な用事をぶっこんで来たりするからたまらない。

昨日は、急に課金したい何かが出てきたようで、いきなり「ゲームソフト売りたいから出品よろしく」と夜中に迫られた。お小遣い以外のお金が欲しかったら何か売れとは言ったが、それが急すぎる。こう言いだすとやるまでずっと付きまとわれるので、仕方なくメルカリを出品する。売れる。梱包して発送する。

こういうのも18歳になれば全部やっていただく予定だが、未成年てアカウント自体が持てないし、親としても高額取引とかしてほしくないから、出血大サービスで手数料無料で代行サービスしている。値段の相場は見させているけど。

けど、息子は待てない男だ。明日っていつ?って泣くくらい先の見通しが立たない人だ。

今日は昨日のフラメンコの疲れが抜けないまま、朝から夕方まで仕事して、そのままご飯作って、やっと一息ついたときに、「毎月のお小遣いが前月25日だと聞いた覚えはないから今月よこせ」みたいな謎の言いがかりをつけられた。

旦那に生活費をもらうタイミングに合わせてお小遣いをあげているので、そんなこと言ったはずはないのに「言った」と言い張る。言った、言わないのひと悶着に巻き込まれて、さらにキレられる。もう理不尽でしかない。

もう、ほとんど愚痴で申し訳ないが、ここのところ自分の用事がギュウギュウで、しかも身体も疲れていて余裕がない。そこにさらに息子があれこれぶっこんでくると、本当に消耗する。

マイペースなわたしとって、自分のペースが狂い続けるのって、なかなかキツイ。

そんな状態で、山盛りになったシンクから食洗機に皿を入れているとき、なんでこんなに疲れるんだろう?わたしは何が欲しいんだろう?とぼんやり考えた。

「やりがい」が欲しい。
きっとそれは、「努力に応じた見返り」だ。

疲れてるけど手早く栄養を考えて作った料理に、「ありがとう」とひとことさえあれば、疲れが吹っ飛ぶ。

「美味しい!」という言葉で、もっともっと何か作ってあげたくなる。

結局、人間なんて、そんな単純なもんだ。

けれど、相手がたとえ家族でも、やはり自分以外の人間は他人だから、思ったようにはいかない。

だから、努力に比例した見返りは期待するだけ無駄だ。分かっているけど、その「わかっている」と考えて飲み込むことさえ、心の余裕が必要なのだ。

よく「筋肉は裏切らない」といってるマッスルな人を見かけるが、確かに、やればやるだけ見返りが得られるものは、自分の努力だけだ。相手があるものは相手次第。だから期待するだけ無駄。

そして、その裏切らないはずの自分の筋肉やらボディメイクでさえ、見返りとして成果が出るまでには少し時間がかかる。

すぐに得られるやりがいなんて、ないのかもしれない。子育てだって、育て終わってから感じることもあるのかもしれないし、いまが一番やりがいのない時期なのかもしれない。

そうやって俯瞰しながら見る目を持ちたいものだが、これまた疲れているとその俯瞰の目もショボショボして見えなくなる。

この記事にちょうどよいイラストが見つかった。山は、登っている最中は、頂上からの景色が見えないのだ。疲れて疲れて登るのも嫌、だけど引き返せない7合目、と言ったところか。だからきっと、こんな弱音を吐くのだろう。

そして、子育ては、頂上がどこにあるのかもわからない山登りみたいなものだ。そこに子どもがいるから、必死で育てる。登るしかないけど頂上は見えず、いつたどり着くのかもわからないまま上るしかないしんどさ。そうそうちょうどそんな感じ。

いつか頂上からの景色のような、今までは見えなかった景色が見えるのだろう。

そんな日が来るのだな、と思いながら、今日をやり過ごすことにする。


今日もお読みくださりありがとうございました!



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