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紫がたり 令和源氏物語 第二百四十八話 常夏(八)

 常夏(八)
 
女御からの返歌を受け取った近江の君は躍り出さんばかりに喜びました。
「五節、見てみぃ。“待つ”って書いてあるで。いやぁ、それにしても立派な詠みぶりや。さすが女御さまや。うれしや、ありがたや~」
「ほんまに立派なお手紙どすなぁ。何やらええ香りもしまっせ」
「あたりまえやろ。帝のお后さまやで。そんな方がうちのお姉さんなんや」
日暮れまでにはまだ時間があるので、二人は女御の御前に身につける装束を選び、深く香を焚き染めました。
このような初夏には薄く香を漂わせた方が現代風ですが、女御に嗜みがあるところを見せつけたくて、気合を入れてもうもうと十二分に焚き染めております。
そして髪を梳り、念入りに化粧をして準備は整いました。
「ああ、早く陽が暮れないやろか。楽しみやなぁ」
薄く化粧を施したほうが近江の君のはっきりとした目鼻立ちを引き立てて粋に見えるものを、厚ぼったく頬を真っ赤に塗りたくった面は滑稽です。
まぁ、見ようによっては愛嬌のある様子と言えましょうか。
 
そうこうしているうちに日は落ち、近江の君は意気揚々と女御の元へと参上したのです。
女御の御殿はうっすらと上品な香りが漂い、趣味の良い調度が美しく、とても同じ邸内とは思えませんでした。
近江の君は若干の緊張を覚えましたが、血の繋がった姉妹ではないかと心を鎮めます。
女御の御座所に通されると美しい女房たちがずらりと並び、正面に気品高く輝くばかりの女御が優しく近江の君に微笑まれました。
「近江の君ですね。さぁ、遠慮せずに近くにお寄りなさい」
「は、はい」
近江の君の声はうわずり、着なれぬ長い着物の裾を今にも踏んで転びそうでぎこちがありません。
「緊張しなくてよいのですよ。姉妹なのですから」
近江の君は恥ずかしそうに言葉もなく、頭を下げてもじもじとしています。
「あのぅ」
「どうかしましたか?」
「女御さま、とお呼びしたらよろしいでしょうか」
気高い人を目の前にすると誰でもこのようになるのでしょうか。近江の君は借りてきた猫のようにそれまでの威勢がありません。
女御はくすりと笑われると、
「お姉さま、と気楽にお呼びなさいな」
そう思い遣り深く仰せになりました。
「ありがとうございます。優しいお言葉をいただきまして、安心いたしました。お姉さま」
それからは少しずつ緊張も解けていつもの調子が戻ってきた近江の君です。
「ずいぶんと古歌をよくご存知なのねぇ」
女御が褒めると早口も復活してきたようです。
「亡きお母上さまが恥ずかしくないようにといろいろと詳しい女房を側に置きましたので、これ幸いなことになったのでございます。おかげさまで立派に歌も詠めるようになりました」
「そうですか」
おっとりと答えられる女御にいいところを見せようと近江の君はさらに知っている古歌を引き合いにだしては披露していきます。
「お姉さま、何かわたくしに出来ることがあれば何なりとお申し付けくださいませね。お父上さまにも申し上げたのですが、わたくしは家事、掃除などが得意なんでございます。一声おかけ下さればどこでもきれいに致しますので」
女御はおほほ、と柔らかく笑われ、まわりの女房たちはまたもや笑いをこらえるのに苦労しているようです。
女房達の冷笑を和やかなものと勘違いした近江の君はやってのけた、と有頂天でご満悦です。
自分の御座所に戻った姫は五節の君に胸を張って言いました。
「なぁ、うち立派やったやろ?女御さまに気に入ってもらえたみたいやで」
「そうどすなぁ。女御さまも楽しそうやったし、大成功とちゃいます?」
「あんたもそう思うやろ。これでうちの未来は明るいで。あんたも出世させたるわ」
「おおきに」
二人は上機嫌で笑い合いましたが、女御が内心これまた教育するのも大変そうな、と深く溜息をつかれていたとは知りもしないのでした。

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