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紫がたり 令和源氏物語 第百六十話 絵合(六)

 絵合(六) 

源氏が斎宮の女御に数々の絵を献上し、権中納言が新しい絵を描かせていることで、宮中では俄かに絵を評するブームが到来しておりました。
教養の高い女房たちが集まると絵や物語のことをあれこれと、優れている点、残念な所などを論じているので藤壺の女院はそれを面白いと思召されました。
元々教養のある女院のこと、桐壺帝の元でこうしたことを遊びとして催されたあの輝かしい日々が思い起こされてなりません。
女院はふとした折に絵画の方面に詳しい女房達を召して、梅壺(左方)、弘徽殿(右方)にそれぞれ推す物語絵を評定させたことがありました。
女ばかりのささやかなこと。
教養を高め合うよい機会とばかりに催したものです。

梅壺方は平内侍、侍従の内侍、少将の命婦。
弘徽殿方は大弐の典侍、中将の命婦、兵衛の命婦。
この女房達は教養高く、あらゆる角度から論じる面白い女人達ばかり、女院が特に目をかけていらっしゃる才女たちなのでした。
女院が最初に出された題材は日本の物語の元祖と言われる「竹取物語」と「宇津保物語」についてです。

左方(梅壺)
「竹取物語はやはり王道でございます。とは申しましても、長い間親しまれてきたものなので、目新しい点はございませんが、やはり感じ入るところというのは、かぐや姫がこの現世での男女関係を穢れとして帝の求愛までも退けたのは、その潔さと高尚な精神性に感嘆いたします。やはり物語のクライマックスである月への昇天場面は圧巻でございましょう」
右方(弘徽殿)
「かぐや姫が帰って行った神々の世界というのも空の彼方の遠いところと思われますので、想像もつかないものです。神の善悪や罪罰の概念も推し量ることはできません。しかしながら、現世での宿縁は竹に生まれた間に結んだものと考えますと、どうにも高貴な身の上とは言い難いでしょう。しかもこの世で最も尊い帝とは結ばれなかったのですからやはり物語としては消化不良ですわ。
それに比べますと宇津保物語の歳蔭の物語は奇想天外で面白うございますわ。留学生として入唐するはずが、未知の異国に辿りつくのも驚きましたが、後々は唐でも日本でも認められて稀な琴の才で名を遺したというのも偉人、といった風で感銘を受けます」
共に名だたる絵師が描いた物語で優劣つけがたかったものの、左方から別段反論も無かったもので、右方の勝利となりました。
次に「伊勢物語」と「正三位」がテーマになりましたが、こちらもなかなか判定が付きません。右方が「正三位」のほうが今風で華々しく面白いと主張したところで、左方の平内侍が詠みました。

 伊勢の海のふかき心をたどらずて
      ふりにし跡と波や消つべき
(伊勢物語の深い構造や趣のあるところをただ古い物語だからと言って切り捨てるのは如何なものでしょうか。正三位は軽薄な浮気者のお話にすぎません。在原業平公の歌の素晴らしさなどを軽視するべきではありません)

これには右方の大弐の典侍が反論しました。

 雲の上に思ひのぼれる心には
     千尋の底もはるかにぞ見る
(正三位の女主人公・兵衛大君が正三位の恋を退けて入内した誇り高さは尊く、伊勢物語の千尋の底も低く見られも仕方がありません)

そこで藤壺の女院が詠まれました。

 みるめこそうらふりぬらめ年経にし
      伊勢をの海士の名をやしずめむ
(たしかに伊勢物語が古いものだからといって、在原業平公の名声を貶めることはできないでしょう)

源氏はこの絵物語評定を聞きつけて、女院の御前に伺候すると、議論はまさに白熱しており、どちらも譲らないのでなかなか決着がつかないでいるのでした。
「これは源氏の大臣。このように結論が出ないのですが、如何いたしましょう?」
女院の楽しげな御声に源氏は輝くばかりの昔の頃を思い出しておりました。
「ここで終わらせるのは惜しい気が致します。いっそ主上(おかみ=帝)の御前にて趣向を凝らしたものに致しましょう。幸い弥生月にはこれといった行事もございませんし」
「それはよいお考えですね」
こうして御前にて絵合(えあわせ)が行われることになりました。

次のお話はこちら・・・

みなさん、今宵はハロウィン☆ですね
我が家で仮装してくれるのはもちろんこの方・・・

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       ズボッ☆
オシリス:「やはりボクデスカ・・・」
オシリス Jr.:「・・・兄貴、恥ずかしいッス」

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※オシリス Jr.はお友達に作成していただいたフエルトにゃんこです。
 本来は背中に羽の生えたエンジェルちゃんです♡

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