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お葬式のCMに対する違和感


松山千春さんに罪はないけど、某会館のお葬式のCMがどうも苦手で、でもその違和感の理由が分からなかったので考えてみました。

お葬式なのに遺族がやけにすっきりした顔をしてるのが嫌なのかな、とか
故人がみんな体育会系だから嫌なのかな、とか
何か嘘くさいから嫌なのかな、とか

色々考えたんですが、どれも正解のような気もするし、不正解のような気もするのです。

例えば自分が故人だとしたら、お葬式に出てくれた人からあんな風に褒められたり、生前の格言とか話されたりしたら、もう超絶恥ずかしくて、成仏できない気がして落ち着きません。(まあ、格言とか持ってないから大丈夫な気もするけど)

私のお葬式にみんなから言われたい理想的な会話を考えたら

「ほんと、いいかげんな人だったよね 笑」
「うんうん。ちゃらんぽらんだった 笑」

という結論に辿り着きました。笑


それはさておき、あのCMは、故人が親だったり恩師だったり、と故人から見ると立場的に下の人ばかり登場させて、いかにも尊敬されてたんだなーということが会話から感じられる内容になっています。

つまり対等な立場の人が出てこない。
体育会系の人が故人なせいか、家父長制の家族の中で奥さんですら対等じゃない雰囲気を醸し出してしまっています。

そして、そういう立場を受け入れ上下関係を大切にする系の人が続々と登場。

違和感の正体はそこかもしれません。

対等な立場の友人が登場して、対等な立場で故人を語る場面が出てこないから、薄気味悪さを感じるのだと思います。

私は自分が歳をとることで、お葬式参列者に年下が増えてしまったとしても、その人たちと対等な立場でいたいです。
死ぬ前も死んだ後も偉くないままがいいです。

というか、残された人がやりたければしてもいいけど、個人的にはお葬式なくてもいいよ。

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