ガブローシュは歌う
世界の情勢が、目まぐるしく変わっていく。
私たちの知らない場所で、私たちが気づかないうちに、もしくは分からないように、大きな流れができているのかもしれない。
日本のメディアが報じない、アメリカ大統領選挙のことを知って。今現地の当事者の人たちが声を上げ始めていると知って。本当かどうかわからない。でもどうか、矛盾しているとは思いつつも「本当」が報われてほしいと、いてもたってもいられなくて、固唾を飲んで見守っている。
コロナも、コロナが浮き彫りにした日本の山積した問題も、日本の政治も、ワクチン問題も、少子高齢化も、飛び交う陰謀論とか呼ばれる疑惑も、これからの世界も、私たちの世界も。
何が正しいことか、何が事実か、誰にも分からない。私にも分からないから、これがこうなんだ、と言うことはできない。
何を選んでも、何を信じても、誰かの手のひらの上で踊らされていそうだ。
嘘も本当も、誰かの意図と混ざり合い絡み合い、この世界を流れている。
世界はあまりにも巨大すぎて、自分が関わっていることすら忘れそうになる。
かと思えばあまりに馬鹿らしく、小さく拙く脆弱に見える瞬間もある。
そんな世界は変わるかもしれないし、終わるかもしれない。
一瞬暗くなりそうな中で、この自粛期間中に見ていたミュージカル映画の音楽が流れた。言わずとしれた、民衆の歌。
私のようなちいさな存在は、
目の前のことにしか取り組むことはできない。
手の届くものしか、守れない。
それすら、危うい。
でも、自分の信じたものを、信じ続けることはできる。
自分が自分であるために、毎日戦っている。
それが、ちいさな人々の心をひとつに集めて、立ち上がらせることだってある。
自分の道を歩く力になることだってある。
それすら調えられた誰かの掌の上だったとしても、自分の意志で、誇りを持って生きるなら、そんなものは私には関係ない。
ちいさなガブローシュは、民衆の歌を歌うことを止めないだろう。
きっと最後まで、自分でいることを手放さない。それは誰がなんと言おうと勝利だ。
ばかにするなよ、ちいさな犬だって、噛みつくぞ。
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