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【読書記録】前提編:ショック・ドクトリン―惨事便乗型資本主義の正体を暴く

今回の読書記録は、カナダ生まれのジャーナリストであり、環境問題・気候変動の活動家でもあるナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン―惨事便乗型資本主義の正体を暴く』です。

上下巻で本文だけでも700ページ近くある本書ですので、まずは簡単にどのような本なのか、本書のカバー裏から引用したいと思います。(強調は筆者による)

本書は、アメリカの自由市場主義がどのように世界を支配したか、その神話を暴いている。ショック・ドクトリンとは、「惨事便乗型資本主義=大惨事につけこんで実施される過激な市場原理主義改革」のことである。アメリカ政府とグローバル企業は、戦争、津波やハリケーンなどの自然災害、政変などの危機につけこんで、あるいはそれを意識的に招いて、人びとがショックと茫然自失から目覚める前に、およそ不可能と思われた過激な経済政策を強行する……。

ショック・ドクトリンの源は、ケインズ主義に反対して徹底的な市場原理主義、規制撤廃、民営化を主張したアメリカの経済学者ミルトン・フリードマンであり、過激な荒療治の発想には、個人の精神を破壊して言いなりにさせる「ショック療法」=アメリカCIAによる拷問手法が重なる。

今まで私が扱ってきた書籍とは少し領域が異なる政治的・国際経済的なものとなりますが、この本との出会いのきっかけはやはり、人と組織の意識の発達について探求をしていた時に出会ったケン・ウィルバーのものとされるある一言でした。


本書に触れた背景:社会構造と人の意識の成長・発達

ケン・ウィルバーが述べるように、「インテグラルであるとは(すなわち、後期ヴィジョン・ロジック段階の構造に基づいて思考・行動するとは)政治的であるということ」である。それは、世界を構造的にそこに表面化した構造だけでなく、それらを支えている深層的な構造も含めて洞察できるというその特異な能力がもたらす価値を社会に還元する責務を負わされた発達段階であるということである。換言すれば、それは「知る」ことが必然的に伴う責任を主体的に果たそうとする発達段階なのである。(鈴木規夫『人が成長するとはどういうことか』p399, 2021)

個人として、組織としての発達・成長というものを探求していたはずが、「政治的」という語が現れてきました。

この表現が出てきた書籍についても以前、読書記録として、私の現時点の理解できる範囲でまとめようと試みました。

その最中で明らかになってきたことの中で特徴的なことは、二点。

人の成長・発達というものは、その人を取り巻く文化・環境・国・言語・時代背景等の様々な条件の制約のもとで起こるものでもある、ということ

ある個人にとってまさに実存的な危機を超える中で成長・発達は起こり、その度に自己中心、自民族・自集団中心、世界中心というように、構造をより広く深く多層的・複層的に把握し、それをもとに行動していける視座が身についていく、ということ

この二点が見えてきました。

そもそも、私が人の成長や発達についての探求を始めたのは、それを対人支援という2人から数十人以内に収まるような小グループの枠組みに活用するためではなく、個人から集団、社会に至るまで底流している枠組みを把握した上で、集落、自治体、社会レベルまで応用した上で生きていきたい、と願ったためです。

そのためには、社会構造に対する理解や対峙、また、その社会構造の上で日々繰り広げられる政治や経済の動きにも当事者として向き合わなければなりません。

そんな風に考えていました。

この、「インテグラル(統合的)であるということは、政治的である」とはどういうことか、なんとなく想像はつくような気がするのですが、実例としてはどのようなことが考えられるのか、ピンとこない点もありました。

すると、先述の『人が成長するとはどういうことか』において、今回の書籍『ショック・ドクトリン』が事例として触れられているではありませんか。

こうした後期ヴィジョン・ロジック段階の影の側面を端的に示すのが、ナオミ・クライン(Naomi Klein)が著した『ショック・ドクトリン』(The Shock Doctrine,2007)の中に紹介されている数々の事例である。(鈴木規夫『人が成長するとはどういうことか』p417, 2021)

「ショック・ドクトリン」とは、対象(個人、および、集団)をある意図や思惑に基づいて強制的に「改革」「改造」しようとするときに用いられる方法論のことである。そこでは、まずは対象を圧倒的な刺激や衝撃に暴露することを通して、深いショック状態に陥れ、平常の思考をできなくさせることが主眼とされることになる。相手をそうした麻痺状態に陥れることを通して、対象を思いのままに誘導したり、操作したりしようとするのである。(鈴木規夫『人が成長するとはどういうことか』p417, 2021)

ここに述べられているのは、あくまで個人におけるショック・ドクトリンのもたらす負の影響ですが、おそらく、それに止まらない事実がここに記されているような気がする……。

そういった背景から、今回この『ショック・ドクトリン』を手に取ることになりました。

前提知識:経済学者ミルトン・フリードマンと近代史

本書の著者ナオミ・クラインが一貫して批判しているのは、シカゴ大学の経済学者ミルトン・フリードマンと彼の率いたシカゴ学派の影響のもと、1970年代から30年以上にわたって行われてきた「改革」運動です。

フリードマンおよびフリードマン流の経済政策について、著者は端的に以下のように述べています。

故ミルトン・フリードマンの追悼文はどれも賛辞に溢れかえっていたが、彼の世界観を実践する上でショック療法や危機が果たした役割に関しては、ほとんど言及がなかった。(中略)フリードマンの改革路線と手に手を携えてきた暴力と弾圧の事実を消し去った解説は、歴史を美化したハッピーエンドのおとぎ話でしかなく、過去三〇年間で唯一にしてもっとも成功したプロパガンダと言ってもいい。彼に関する表向きの話をまとめると次のようになる。p23

フリードマンはその一生を、政府には市場の暴走を抑制するために市場介入する責任があると主張する一派との静かな戦いに捧げた。彼は、政治家がニューディール政策と近代福祉国家建設を唱導した経済学者ジョン・メイナード・ケインズの言に耳を傾け始めたときから、歴史は「間違った方向へそれた」と確信する。しかし、1929年の株式大暴落後、自由放任主義は破綻し、政府は富の再分配と企業活動規制のために経済に介入すべきだというコンセンサスが形成された。自由放任主義にとっては暗黒時代だったこの時期に、共産主義が東側諸国を征服し、西側諸国は福祉国家政策を進め、植民地支配から独立した南側諸国には経済ナショナリズムが定着した。その間、フリードマンとその師フリードリヒ・ハイエクは、共同で富をプールしてより公正な社会を築こうというケインズ派とはきっぱり一線を画し、純粋資本主義の灯火をじっと守り続けたのだ、と。p24

知識人の間では何十年と孤立していたフリードマンだったが、八◯年代の幕が開けるとマーガレット・サッチャーとロナルド・レーガンの時世が到来する。(サッチャーはフリードマンを「知的な自由の戦士」と称え、レーガンは大統領選キャンペーン中に彼の代表作『資本主義と自由』を持ち歩く姿を目撃された。)(中略)表向きの物語によれば、レーガンとサッチャーが自国の市場を平和的かつ民主的に解放したおかげで自由と繁栄が訪れ、それは明らかに望ましい方法だったため、マニラからベルリンに至る独裁政権が倒れた際、大衆はビッグマックと同時にレーガノミクスを熱望した―ということになる。p24

かつて「悪の帝国」と呼ばれたソ連の国民も崩壊後にはフリードマン流革命へ加わることを切望し、共産主義から資本主義に転じた中国もまた同様だった。かくして真のグローバルな自由市場を邪魔する者はいっさいいなくなり、制約から解き放たれた企業は自国内のみならず、国境を超えて自由に活動し、世界中に富を拡散することになった。社会を統治するにあたって、ここに二つのコンセンサス―政治指導者は選挙で選び、経済はフリードマン流のルールに従って進める―が形成される。フランシス・フクヤマが『歴史の終わり』で述べたように、これが「人類のイデオロギーの進化の終点」というわけだった。フリードマンが死去した際、『フォーチュン』誌は「彼は歴史の潮流を体現していた」と評し、アメリカ連邦議会は「経済のみならず、あらゆる点における世界有数の自由の擁護者」とフリードマンを称える決議を採択した。p24-25

本書は、こうした表向きの物語の中心をなし、もっとも重視されてきた考え方―規制なき資本主義の成功の源泉は自由にあり、歯止めのない自由市場主義と民主主義とは矛盾なく両立する―に真っ向から異を唱える。そして資本原理主義とも言うべきこの形態がいかに残忍な弾圧によって育まれてきたか、それが政治団体および幾万の人間の身体を痛めつけてきたのかを明らかにしていく。現代の自由市場主義―より適切にはコーポラティズムの台頭―の歴史は、数々の「ショック」という文字で書かれているのだ。p25

以上が、著者によるフリードマンおよびフリードマン流の経済政策についての評価であり、本書を貫く主張です。

日々のニュースを見て思うに、私たちが今日生きている社会は、50年ほど前の国際的な勢力均衡や政治的意思決定、また、その時々の政治指導者と経済学者によって推進されてきた経済政策の影響の上に成り立っていることが窺えるようです。

ただ、ここまでで既に多くの、普段私が扱わない政治思想および経済政策・思想の用語が出てきました。

以下、(続)前提知識として、それぞれの用語についての整理を進めていきたいと思います。

(続)前提知識:経済政策・政治思想の用語整理

本書中では、多岐にわたる経済政策と政治思想・体制および、資本主義体制下における国家と企業の結びつきによる富の集中と不均衡を取り扱っています。

また、それら多岐にわたる経済政策、政治思想・体制は様々な対立軸のもとに明らかにされています。

自由民主主義国と軍事政権、自由市場主義と共産主義、新自由主義とケインズ主義、大きな政府と小さな政府、グローバリゼーションとナショナリズム……

このような幾つもの、また、一見領域の異なるように見える対立軸は、著者ナオミ・クラインによって、通底する図式・意図によって繋がっている事が看破されていきます

すなわち、

フリードマンが提唱した過激なまでの自由市場経済は徹底した民営化と規制撤廃、自由貿易、福祉や医療などの社会支出の削減を柱としている

こうしたイデオロギーに基づく経済政策は、大企業や多国籍企業、回転ドアによって企業から政権内に入り込んだ政治家や各種委員会の委員、投資家の利害と密接に結びつくものであり、貧富の拡大やテロ攻撃を含む社会的緊張の増大に繋げている

という図式です。

この章では、『ショック・ドクトリン』を読み解くための前提知識としての経済政策・政治思想等の用語を整理していきたいと思います。(引用強調部は筆者による)

取り扱う用語は以下、10個です。

●資本主義(capitalism)
●新自由主義(neo-liberalism)
●ケインズ経済学(Keynesian economics)
●大恐慌(the Great Depression)
●マーシャル・プラン(Marshall Plan)
●社会主義(socialism)
●民主制/民主主義(democracy)
●社会民主主義(social democracy)
●グローバリゼーション(globalization)
●混合経済(mixed economy)

●資本主義(capitalism)

封建制以後に支配的になった生産様式。蓄積された富や貨幣という素朴な意味での資本は,古代から存在する。だが資本主義とは,労働力を商品化し,剰余労働を剰余価値とすることによって資本の自己増殖を目指し,資本蓄積を最上位におく社会システムに限定すべきである。歴史的には資本主義はすべてのものを商品化する傾向をもつ市場システムとして現れたが,他方,蓄積を強力に推進する近代諸国家とそれらが競合する世界システムとしても現れた。(中略)第1,2次両世界大戦間に,失業や大恐慌,金本位制の崩壊や貿易障壁,帝国主義や民族主義,植民地の抵抗などを通じて市場と蓄積体制とに対する調和的理念は疑わしいものとなり,社会主義的政治体制も生れることになる。第2次世界大戦後の管理通貨制度や有効需要政策と結びついた混合経済の出現は,市場と蓄積体制との新たな緊張関係を再び示し,20世紀末の社会主義体制の相次ぐ崩壊を迎えて,資本主義は蓄積体制の新たな再編を迫られている。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「資本主義」の解説より)

●新自由主義(neo-liberalism)

政府の財政政策による経済への介入を批判し,市場の自由競争によって経済の効率化と発展を実現しようとする思想。ネオリベラリズムともいう。経済理論としては,ケインズ学派の有効需要政策を批判し,政府は市場経済への介入を抑制すべきとするF.ハイエクやM.フリードマンの理論に基づく。政策としては,国営企業・公共部門の民営化,規制緩和による経済の自由化,減税と緊縮財政による「小さな政府」などを特徴とする。1970年代後半からラテンアメリカ諸国,イギリスのサッチャー,アメリカのレーガン,日本の中曾根康弘の各政権が新自由主義政策を採用した。社会思想としては,〈新保守主義〉(neo-conservatism)と呼ばれるように,市民の自由や権利の保護より資本の自由な活動を優位に置く点を特徴とする。交通・通信から教育・医療・福祉にいたる公共部門の民営化や,市場の公平性確保のための規制の緩和は,市場での優勝劣敗によって,社会保障の低下,雇用の不安定化,生活の格差拡大などの問題を生んでいる。さらに国家の規制から自由になった資本は,グローバリゼーションによって国際的な分業体制を再編し,こうした問題が世界規模であらわれるようになっている。しかし,新自由主義は,つねに改革を訴え,個人や企業に対しても市場での絶えざる競争と自己革新を求めるため,こうした社会的格差は,市場での競争の結果として当事者の自己責任とされる。さらに格差拡大による福祉・教育・犯罪などへの社会不安さえも,新たな市場として新自由主義経済へ組み込もうとするために,新自由主義への根本的な批判が困難になっている。(『百科事典マイペディア「新自由主義」』より)

●ケインズ経済学(Keynesian economics)

短期間の経済変動に焦点をあてた「需要重視」の理論で,マクロ経済学の主要な学派。政府の完全雇用対策に対する理論的基礎を提示することを目指した。ジョン・メイナード・ケインズが著作『雇用・利子および貨幣の一般理論』The General Theory of Employment, Interest and Moneyなどに示したもので,1970年代までの西ヨーロッパ各国の経済政策に大きな影響を与えた。賃金を低くすれば完全雇用は復活できると論じる経済学者に対し,ケインズ経済学者は,販売されない物品を生産するための労働者は雇われないと断言し,失業は物品・サービスに対する不十分な需要の結果であるとした。ケインズは,将来を予想した投資こそが経済活動のレベルを決定する力強い要因であり,政府の計画的な介入によって完全雇用は達成しうると主張した。ケインズ経済学者は,政府は税制や公共支出を通じて,物品・サービスに対する需要を保つことができるとしている。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より)

●大恐慌(the Great Depression)

1929年―1933年,過剰資本の投機取引の破綻(はたん)を機として,米国から全資本主義諸国に波及した史上最大規模の世界恐慌。1929年10月24日,ニューヨーク株式市場の大暴落に端を発し,米国では1929年―1932年に工業生産は平均で1/3以上低落し,閉鎖された銀行は1万行に及び,大量の失業者を生み出した。ヨーロッパをはじめ各国に波及した恐慌のため,金本位制度も停止された。米国のニューディール政策にみられるように,この危機は国家の全面的介入によって収拾されるが,ブロック経済による自由貿易体制の分断が行われ,やがて第2次世界大戦への道が準備されていった。(百科事典マイペディア「大恐慌」の解説より)

●マーシャル・プラン(Marshall Plan)

正式にはヨーロッパ復興計画European Recovery Program(ERP)。1947年6月アメリカ国務長官ジョージ・C・マーシャルが「ヨーロッパ諸国がヨーロッパの自立について合意するなら、アメリカはこれに援助を与える用意がある」と言明したのを契機に実施された、戦争で荒廃したヨーロッパの復興計画。この計画の実施をめぐって同年6~7月パリでイギリス、ソ連、フランスの外相会議が開かれたが、それ以前、第二次世界大戦終結時点での軍事的力関係を反映してヨーロッパはすでに東西に分裂・対立し、冷戦も始まっていたため、ソ連と東欧諸国は結局、計画への参加を拒否した。西欧16か国はマーシャル計画受け入れのため、ヨーロッパ経済協力機構(OEEC)を結成した。翌1948年4月トルーマン大統領は、53億ドルのヨーロッパ復興援助支出の権限を含む1947~48年度対外援助法に署名、援助管掌のための経済協力局(ECA)を設立。これがやがて相互安全保障法に基づく援助(MSA)に引き継がれる。51年末までに西欧諸国が受けた援助額は、当初予定された170億ドルよりもかなり少なく、総計110億ドルであった。冷戦の激化から、援助の性格もしだいに軍事的色合いを強め、軍事ブロックNATO(ナトー)と表裏の関係で、MSAに受け継がれてこの性格はいっそうヨーロッパの再軍備に向けられるようになった。援助はおもに贈与grantと借款creditに区別され、前者はアメリカ余剰農産物や救援物資の購入にあてられ、後者は機械その他の生産手段の購入にあてられた。(陸井三郎『朝日新聞外報部訳編『マーシャル計画』(1949・朝日新聞社)より』

●社会主義(socialism)

社会主義思想は、資本主義的な諸関係が急激に形成された19世紀前半にヨーロッパで生まれた。イギリスのオーエン、フランスのサン・シモンとフーリエたちは、失業と貧困のない社会は、生産手段が公共の所有であり、全員が労働に従事する協同社会の組織と普及により実現できると主張して大きな波紋をおこしたが、彼らの説く協同社会は、現実の資本主義社会の外に有志がつくるものであり、実生活から離れたユートピアであった。これをユートピア社会主義とよぶ。19世紀のなかばから、社会主義は労働者階級の解放運動と結び付いた。さまざまな社会主義思想が現れたが、そのなかで影響力がもっとも大きかったのはマルクスとエンゲルスのマルクス主義である。彼らは社会主義を社会の発展法則、とくに資本主義の発展の必然的な結果である新社会として位置づけた。すなわち、資本主義において社会の生産力は急激に成長し、大規模生産は社会的な性格をもつが、このことは生産手段の私有、資本家による労働者の搾取という生産関係との矛盾を深め、貧困、失業、周期的恐慌をもたらす。この矛盾は、生産手段の私有の廃止とその社会化、国民経済の計画的・組織的管理によってだけ解決される。マルクスとエンゲルスは社会主義への変革は労働者階級により達成されるとして、社会主義の思想を労働者階級の大衆的な運動と結び付け、労働者階級の政治的な組織と運動の必要を説いた。2人によると、資本主義から社会主義への移行は革命を必要とし、勝利した労働者階級は、社会主義を組織し、生産力を急速に発展させるため自分の国家を必要とする。彼らは、階級闘争は革命後も続き、旧支配階級の抵抗をなくすため、移行期にはプロレタリアート(労働者階級)の独裁が必要であると説いた。他方において彼らは、人民主権、普通選挙、議会への権力の集中(権力分立の否定)、地方自治、統治への大衆の参加、官僚主義の廃止、政治的自由などの民主主義の理念と制度は、社会主義で完全に実現されると考えた。マルクスとエンゲルスによると、社会主義では生産手段は社会の所有に移され、もはや搾取はないが、社会の構成員への生産物の分配は、「各人はその能力に応じて働き、各人はその働きに応じて受け取る」という原則に従い行われ、そのため社会的な不平等はまだ残る。社会の生産力がさらに発展し、人々の道徳水準が向上したとき、「各人はその能力に応じて働き、各人はその必要に応じて受け取る」という共産主義の原則が実現され、そのときは権力の組織である国家がなくなるだろう。マルクス主義の社会主義は、歴史の、また資本主義の社会と経済の科学的分析に基づくものであったので、科学的社会主義とよばれた。(日本大百科全書(ニッポニカ)「社会主義」の解説[稲子恒夫]より)

●民主制/民主主義(democracy)

民主主義を表す英語のデモクラシーという語は、もともとはギリシア語のdemos(人民)とkratia(権力)という二つの語が結合したdemocratiaに由来する。したがって、民主主義のもっとも基本的な内容としては、人民多数の意志が政治を決定することをよしとする思想や、それを保障する政治制度あるいは政治運営の方式、と要約できよう。この意味では、第二次世界大戦後の現代国家のほとんどは、成年男女に普通・平等選挙権を認めているから、資本主義国家であれ社会主義国家であれ、それらの国々を民主主義国家とよぶことができよう。しかし、ひと口に民主主義といっても、その内容は、単に普通選挙権や国民の政治参加の保障にとどまるものではなく、人権(自由・平等)保障の質の高さや内容の違いあるいは民主的政治制度の考え方の差異などをめぐって多種多様に分かれ、しかも、そうした思想や政治運営の方式は、歴史の進展、政治・経済・社会の変化に伴って、しだいにその内容を広げ、また豊かにしてきた面もある。(日本大百科全書(ニッポニカ)「民主主義」の解説[田中 浩]による)

●社会民主主義(social democracy)

資本主義経済がもたらす貧困や格差などを解消するために、様々な社会主義思想が唱えられた。階級闘争と革命を志向するマルクス主義と区別して、議会への進出によって労働者の利益を図る路線を社会民主主義と呼んだ。20世紀に入ると西欧の多くの国で労働組合を基盤とする社会民主主義政党が議会政治の有力な担い手となった。そして、第2次世界大戦後、イギリス、ドイツ、北欧などで社会民主主義政党が政権を取り、福祉国家を整備した。現在では、新自由主義を推進するアメリカモデルと社会民主主義を推進するヨーロッパモデルとが政治の対立軸を形成している。(知恵蔵「社会民主主義」の解説:(山口二郎 北海道大学教授 / 2007年)より)

●グローバリゼーション(globalization)

物事が地球規模に拡大発展すること。グローバル化ともいい,世界化,地球規模化などと訳す。多国籍企業の世界的展開,全地球規模の国際労働分業に伴う相互依存の深化,情報・コミュニケーションおよび運輸技術の急速な発展による時間と空間の観念の変貌などによってもたらされた。冷戦体制の終結はこれをさらに加速させ,1996年フランスで開催されたリヨン・サミットではこの語がキイワードとなり,グローバル化がもたらしたさまざまのマイナス面(発展途上国の貧困や累積債務の拡大,環境破壊など)が論議された。こうして経済面での一体化が進む一方で,政治的には〈国民国家〉が分立したままというギャップが顕著になりつつある。(百科事典マイペディア「グローバリゼーション」の解説より)

●混合経済(mixed economy)

国民経済において民間部門と公共部門がそれぞれ独自の機能を果しながら相互に補完し合って経済全体の機能の円滑化が維持されている状態をいい,現代資本主義経済の基本的特徴とされている。資本主義経済は本来市場における自由な競争を通じて効率的な経済活動が行われるところに制度上の大きなメリットがあると考えられるが,市場の機能には限界があり,外部効果の大きな公共財および準公共財の供給や景気を調整して完全雇用を維持することは市場機能では達成できない。さらに国民の最低生活を保障するための医療,年金,その他の社会福祉サービスの充実が社会的要請となっているが,そのためには市場機構を通じて行われる所得分配を再調整する必要がある。これら市場の機能では不可能なことはすべて国や地方公共団体が市場を通さずに,あるいは市場の機能に調整を加える方法で実施しなければならない。 1930年代以降は完全雇用政策や社会保障制度の発展,公企業の拡大,公害防止など公共部門の活動分野が国民経済に占める比重が増大傾向にあり,混合経済とは現代資本主義のこのような傾向を強調するために用いられる概念であるといえる。

以上、『ショック・ドクトリン』を読み解いていくための前提共有でした。

前章の前提知識、そして本章の用語整理を踏まえると、どのようなことが見えてくるでしょうか?

これについては、次の章で概観していきたいと思います。

前提知識のまとめ:現代社会・国際情勢を概観する

前章までのような前提を踏まえて世界を眺めてみると、現代社会とはこのように説明できるかもしれません。

現在、世界には多数の国家が存在する。国家は国民と領土を定め、国内外の市場を通じて経済が営まれている。

また、各国家の国民はそれぞれ幸福を目指し、行政に対して社会保障をはじめとするサービスの提供を求めたり、あるいは自らがそのような政治体制を実現するために様々な主義主張を通じて活動している(民主的な選挙で代表を選ぶ場合もあれば、独裁政権に対するクーデター、革命の場合もある)。

国民の幸福(福祉)を達成する上で、国家によるサービス提供と民間によるサービス提供が存在し、各国によってその比率は異なる。また、その比率がどうあるべきか・実施されるべきかについては、経済的・政治的思想とそれに基づく政策によって異なる。

往々にして経済力および軍事力の大小と権力の大小は比例する関係にあり、政府と市民、大企業と中小企業、大国と小国、政府と多国籍企業の間などでパワーバランスの偏りが生まれ、大きな権力を持つ勢力が権力を持たない勢力に対して不平等な措置を取ることがある。また、このような偏りをなくしていこうとする勢力と、偏りを拡大していこうとする勢力が現れる。

国家は国民の幸福に責任を負う機関と言え、そのために公共のサービスを提供する(独裁政権および一部の権力者の利益を優先する政権・政体の場合は、その限りではない)。しかし、グローバル化を促進する各国間の取引等の規制緩和が進むことで国家を超えた枠組みやルールのもとで経済が営まれるようになると、相対的に、公益に資する責任を負う国家の影響力が小さくなり、民間の、特に多国籍企業の影響力が高まる。

専門用語を極力排して説明すれば、世界はこのように捉えることができるかもしれません。

ちなみに、もう少し専門用語を活用しながら上記の見方を整理すると、トルコ出身の経済学者ダニ・ロドニックが指摘した、国民国家、民主政治、グローバリゼーションのトリレンマとして表すことができます。すなわち、以下の三つの選択肢から一つを選ぶことしかできないというものです。

①もし国民国家を維持したまま、グローバリゼーションを徹底するために各国の制度上の違いや参入障壁をなくすのであるならば、各国の民主政治による制度の自己決定権は制限されなければならない。

②もし国民国家を維持したまま、各国の民主政治を守ろうとしたら、グローバリゼーションは制限されなければならない。

③もしグローバリゼーションを徹底し、かつ民主政治を維持するというのならば、国民国家という枠組みを放棄し、グローバルな民主政治を実現しなければならない。

さて、このような条件下において、『ショック・ドクトリン』、『惨事便乗型資本主義(Disaster Capitalism)』とはどのようなものといえば、訳者あとがきに書かれた以下の通りです。(強調部は筆者による)

著者のナオミ・クラインが本書で徹底して批判するのは、シカゴ大学の経済学者ミルトン・フリードマンと彼の率いたシカゴ学派の影響のもと、一九七◯年代から三◯年以上にわたって南米を皮切りに世界各国で行われてきた「反革命」運動である。言い換えればそれは、社会福祉政策を重視し政府の介入を是認するケインズ主義に反対し、いっさいの規制や介入を排して自由市場のメカニズムに任せればおのずから均衡状態が生まれるという考えに基づく「改革」運動であり、その手法をクラインは「ショック・ドクトリン」と名づける。「現実の、あるいはそう受け止められた危機のみが真の改革をもたらす」というフリードマン自身の言葉に象徴されるように、シカゴ学派の経済学者たちは、ある社会が政変や自然災害などの「危機」に見舞われ、人々が「ショック」状態に陥ってなんの抵抗もできなくなったときこそが、自分たちの信じる市場原理主義に基づく経済政策を導入するチャンスだと捉え、それを世界各地で実施してきたというのである。p683-684

フリードマンが提唱した過激なまでの自由市場経済は市場原理主義、新自由主義などとも呼ばれ、徹底した民営化と規制撤廃、自由貿易、福祉や医療などの社会支出の削減を柱とする。こうした経済政策は大企業や多国籍企業、投資家の利害と密接に結びつくものであり、貧富の格差拡大や、テロ攻撃を含む社会的緊張の増大につながる悪しきイデオロギーだというのがクラインの立場である。自由市場改革を目論む側にとってまたとない好機となるのが、社会を危機に陥れる壊滅的な出来事であることから、クラインは危機を利用して急進的な自由市場改革を推進する行為を「ディザスター・キャピタリズム」と呼んでいる。これまでこの語は「災害資本主義」と訳されることが多かったが、「ディザスター」は自然災害だけでなく人為的な戦争やクーデターも含む語であることも踏まえ、より意味を鮮明にするために、本書では「惨事便乗型資本主義」と訳した。p684

以降、具体的な『ショック・ドクトリン』の事例を見ていきたいと思います。


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