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シャナン・ドハーティーの癌のニュースで思うこと


『ビバリーヒルズ高校白書』『チャームド~魔女3姉妹~』などで知られる女優シャナン・ドハーティ(52)は、がんが骨に転移しているものの、「生きることを諦めない」と強い思いを明かした。
2015年に初めて乳がんと診断され、その2年後に寛解するも2020年に再発し脳に転移。乳房切除術、化学療法、放射線療法を受け、現在も治療を続けている。

 インスタグラムで、ステージ4の乳がんが、骨にまで転移していることを明らかにしたシャナン。まだ長い人生が待っているからと希望を捨てておらず、ピープル誌にこう語っている。「私は死にたくない」「まだ人生が残っている。愛が残っている。もっと創造するものがある。状況が好転することを願っている」「私はまだ、終わっていない」

 そして、自分のスピリチュアリティと信仰が自身を支えているそうで、末期の病気だからと人生をあきらめる必要はないと主張し続けている。「朝起きて、神に感謝し、多くを求めずに自分にとって大切なことを祈りながら寝るの。そうすることで、私のスピリチュアルな部分や高次の力とつながる。信仰は私のマントラ」「安っぽくクレイジーに聞こえるかもしれないけど、すべてのことをより意識するようになり、とても恵まれていると感じる」

 「私たちは、ここで過ごせる一瞬、一瞬、毎時間、毎日にとても感謝しているからこそ、最も熱心に働きたくなるの」「『あなたは終わった、もう引退』と、他人は自分たちをとても早い時期にお払い箱にしてしまう」「私たちは生き生きとしているし、人生観も違う。仕事をし、人生を最大限に楽しみ、前進し続けることを望む人々なのよ」


歴代の数ある海外ドラマの中で、有名なものを1つあげるとすれば、『ビバリーヒルズ◯◯白書』シリーズだと思う(以下ビバヒル)。
特にNHKの土曜の深夜にやってた90年代以降は、そこから色々なドラマが始まる先駆けとなった印象が強い。
キャストの入れ替わりはあれど、物語は10年続き、それから約10年後には、キャストが若返りしての新シリーズが制作された。他にも旧キャストの新シリーズが制作されたりと、とても人気のあったドラマシリーズであることが伺える。

その中の主役の一人、シャナン・ドハーティーについて書こうと思う。

ビバヒル出演時のシャナン
数ヶ月前のシャナン

シャナンは『ビバリーヒルズ高校白書』シリーズの主役の一人であったに関わらず、共演者との不仲や素行の悪さを理由に、第4シーズンで降板。
その後『チャームド〜魔女3姉妹〜』にも主役の一人として出演したが、やはり共演者との不仲などが理由で第3シーズンで降板となっている(ドラマは第8シーズンまで続いて終了)。
私生活でも結婚と離婚を繰り返し、今年3度目の離婚をしてしまいました。

私は『ビバヒル』も『チャームド』も、シャナンが出演してた頃はだいたい見てました(ビバヒルはシャナン降板以降も見てましたが、チャームドは見るの止めてしまいました)。
やっぱりディランにはブレンダ派(ケリーにはブランドン派)。だから結末的にはあまり納得しきれてないけど、一応受け入れはしています。
三角関係から四角関係になった時から、このカップルの構図が1番しっくり来たし、それぞれの思いとか絆の深さとか、10年も続けばそりゃ色々あるだろうけど、ビバヒルファンの中では推しのカップルの論争はずっと続いてますね。
カップルの入れ替わりが激しいドラマのパイオニア的な存在です。

女性にとっての乳がんって、乳房切除することがどれほど辛いものなのか・・・。
がんと言われれば切除するしかないと思うのですが、若ければ若いほど、女性としての見た目、機能などを諦めるという葛藤も生まれてしまいますよね。
そして抗がん剤治療や放射線治療・・・
それで良くなればいいのですが、再発と言われた時には絶望してしまいそうです。
しかも脳に転移し、続けて骨にまで転移って言われたら、だいたいは積極的治療が難しくなることが多く、緩和治療に移行することも考えられるステージ。
脳に転移って、頭痛とかだけじゃなく、色んな運動機能障害が生じたり、認知症みたいな症状が出る人もいる。骨に転移だって、骨折とは違う痛みが常に襲ってくる。しかも骨折みたいに、手術すれば終わりとかじゃないから、痛みとの戦いが続いていく。
毎日生きていくだけでもしんどいのに、急に死ぬまでのカウントダウンを押し付けられて、いつ来るかわからない死の恐怖に怯えてしまうかもしれない。

私的には、がん闘病中に離婚もしてしまうなんて、さらなる追い討ちって感じがして、メンタル破壊されてしまいそうだけど、元祖お騒がせ女優として名を馳せたシャナンは、色んな苦難を乗り越えながらも、きちんとがんに立ち向かってる姿が凄いと思います。

もちろんシャナンも、泣いたり弱音を吐いたりしたコメントがありましたが、こんな風に生きることを全力で諦めず、ひたすら前を向いて人生を全うさせようとする姿は、人として尊敬に値します。
そして、支えてくれる人がいるということ。
自分の拠り所や道しるべが何かを示してくれる存在が、誰にでも必要だと感じるのです。

私ががんだと言われたら、こんな風に強く生きられるのだろうか?
「生きたい」「死にたくない」って毎日悲観的になってしまうのだろうか。
だからこそ逆の立場になったら、誰かの支えにはなっていたいな・・・

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