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田舎娘(海外未経験・英語0)がUCLA飛び級卒業、アメリカ就職に至るまで。

プロローグ:


茨城の田舎でスポーツ大好き少女として育ち、勉強そっちのけで毎日7時間部活動に励む。その甲斐あってトライアスロン全国入賞を果たすが、勉強の成績は右肩下がり。このままじゃせいぜいFラン大学に入って地元の中堅企業就職か、こんな田舎で一生終えるの嫌だな、なんて思っていたところ、たまたまTwitterで見かけた「留学」 の文字にピンと来る。親、先生の反対を押し切り、英語力0で単独渡米。そこからいかに数々の試練を乗り越え、全米公立大学No. 1と言われるUCLA, UC Berkeley にダブル合格を果たし飛び級卒業、かつ至難の業と言われるアメリカ就職を手に入れたのか。

生い立ち

茨城県水戸市で育つ。小中高とスポーツに打ち込むお転婆娘。高校時代は、陸上部の活動に加え、個人でトライアスロンも続けていたため、午後4時から7時までは学校で陸上の練習、その後すき家の牛丼をかきこみ、午後7時半から午後11時までジムで単独練習。毎日ヘトヘトだったため、授業中は教科書を枕にして寝るダメ生徒だったが、その甲斐もあり、トライアスロンは全国4位、陸上でも関東出場を収めることができた。

高校3年、受験。浪人する?

そんなこんなで部活ばかりしていたところ、あっという間に成績は落ち、進学クラスの一番上で入学したのだが、卒業時には一番下のクラスにいた。当時私は、トライアスロンで世界入賞を果たした知り合いのいる早稲田大学の国際教養学部に行きたかったのだが、偏差値40代を数度叩き出した上に、部活を引退したのが高3の秋と遅く、どう頑張っても間に合わないため、このまま行けるのはいわゆる"Fラン大学"かなというところだった。第二志望校だった中央法の推薦も受けたが最終試験で不合格になってしまった。

そこで受験担当の先生に、「お前は根気があるんだから、浪人したら早稲田いけるよ」と言われたのだが、もし落ちても浪人した一年は取り戻せないし、誰も責任を取ってくれない。そもそも、大学受験にしかほぼ生きない知識を1年間必死に習得したところで何になるのだろう?日本の大学で何を学べるのだろう?と言う疑問が次第に湧いてきた。そんなこんなでいつの間にかお正月が明け、三が日、受験生らしからずTwitterを見ていたところ、海外大学に通う方の投稿を見て、これだ!と思った。アメリカは短大があり、そこから名門四年生大学への編入も一般的なルートになっているため、これなら私にもセカンドチャンスがあると思った。この時は、日本就職を考えていた(というかアメリカ就職なんて考えもしなかった)ので、大手企業就職に優位になるよう、とりあえず名前の良い大学に行こうという安易な考えだった。そこで、UCLA, UC Berkeleyどちらかの大学にトランスファーすることを目標とした。

補足だが、この時点で、修学旅行でハワイに行った以外は海外経験なし。アメリカに知り合いもいない。英語は他の科目に比べ得意ではあったが、全く話せないという状況だった。

先生、私留学します。

三が日が明けて、家族と先生に海外留学の話をしたところ、案の定猛反対された。というか、「ついに狂ったか」というような反応だった。
それから、アメリカの大学は入るのは簡単だが出るのは大変なこと、そもそも英語を話さないのにどうやって授業について行くのか、などと諭された。だが、好奇心旺盛な私は、「でも、この人たち留学したことないよね..?」何を根拠にそんなこと言ってるんだろうくらいにしか思わず、先生家族の意見は参考程度に聴き逃してすぐさま留学を決めた。

英語がわからない中で、Google翻訳を使いながら学校のウェブサイトを読み漁り、入学条件、VISA等を調べ一連の手続きをするのは一苦労だったが、必死だったため、面倒、大変というような感覚は全く覚えていない。高校卒業間近でもうこれしかないという感じだったので無我夢中だった。

通常アメリカ短大の入学条件はとても寛容で誰でも入れる仕組みになっているのだが、それでも、当時私が持っていた英検2級の点数では入学条件を満たしていなかったため(どれだけ勉強できなかったかがわかる…)、duolingo English Testというものを受け、合格点ギリギリを取ることができたのですぐさまアプリケーションを提出した。今考えると、twitterで見て留学を決めてから1ヶ月以内には大学にアプライし、合格をもらうという超スピーディなタイムラインだった。

遂に留学するも…カウンセラー:「あなたの英語力じゃ無理だから、大学辞めた方がいいよ」

高校卒業と同時にシリコンバレーに渡ったのだが、そこからが本当の苦労だった。まず英語がわからないので授業はついていけないし、オフィスアワー(教授と1対1で話せる時間)に行って質問するも、その話も全く理解できなかった。このままでは落単しそうだったため、渋々そのクラスは取らないことにした。ところがビザの関係上、フルタイム(セメスター12単位以上)で学生をしなければいけないという決まりがあるため、アカデミックカウンセラーに相談しにいかなければならず、通訳してくれる友達を連れて訪ねた。

そこで、未だに覚えているのだが、カウンセラーの先生に「この会話も理解できないようなら、授業をパスできないから語学学校に行きなさい。あなたには無理よ。」と言われた。もともとお金的に厳しく語学学校はスキップしていたのと、あなたには無理と言われたのが、負けず嫌いの私にとってとても苦痛な言葉で、そこから火がついた私は必死で勉強した。授業を録音し、家に帰った後何回も聞いて書き出したり、同じクラスの学生に話しかけて一緒に勉強をしないかと誘いまくった。(この時助けてくれた友達とは一緒にルームシェアをするほど仲が良くなり、今もとても良い友達)。その結果、なんとか全てのクラスをパスすることができた。

また、良い大学に編入するには、トップクラスの成績だけでなく、大量の課外活動もする必要があるため、大学入学直後にトライアスロンクラブを立ち上げた。誰も知り合いがいなかったため、カフェテリアにいる学生に拙い英語で声をかけまくった。また、中国人の留学生が多かったため、中国人留学生のwechatのグルチャに入れてもらい、入部を募った(日本人とバレたので後にグループから追放された笑)。そんなことをしながら、サポートしてくれる友達がたくさんでき、無事クラブを立ち上げることができた。その他、友達作りにと思い、未経験で水球にも挑戦した。泳ぐのは誰よりも速かったのだが、英語も水球のルールもわからないので、コーチの指示とは別方向に泳いで行ってしまったり、試合中もよくわからずにプレーして、得点王になったりしていた(笑)

念願のUCLA, UC Berkeley含む出願校全てに合格

その他長くなるので省略するが、四年生大学に出願するまでには、アメリカの生活にも慣れ、GPA:3.96(Bを取ったのは初クオーターの1回のみ、その他は全部A)、他にも多くの課外活動(トライアスロンクラブ創設、水泳、水球、ダイビング、陸上のスチューデントアスリート、インターンシップ2社、アクセラレーションプログラムへの参加等々)の実績を持っていた。また家庭環境が複雑だったこともあり、ユニークな人生経験を沢山持っていたので、良いエッセイが書けたと思う。英語0で留学してから2年半後、UCLA, UC Berkeley含めた出願校全てに合格し、やっとスタートラインに立つことができた。親に報告した時は、「あのUCLA? それともUCLA extentionのような付属校?」みたいな感じでなかなか信じてくれなかった。

いざ、UCLA入学!でも…学費年間600万。。

夢にまで見たUCLAに入学できたのは良かったのだが、もともと私はあまり大学のデグリーに価値があると思うタイプではなかったため、年間600万円もの学費を払うのはバカ馬鹿しいと思っていた。(私は、あくまで大学は社交をしてコネクションを作ったり、他学生と意見交換をして自分の考えや価値観を富んだものにする場所だと思っている。勉強をするにはいくらでも本を借りて読めばいいし、今どき無料でスタンフォードの授業だって受けられる。)そのため、どうすれば学費を抑えられるか考えたところ、留学生はほぼ奨学金がもらえないので、飛び級をするしかないという結論に至り、1クオーター30単位以上ずつ(普通の学生は16単位とか)取りつつ、1年間早く卒業した。他の学生の二倍の量をこなしながらも、私が本来大学に価値を見出した恵まれた社交環境をおざなりにしたら本末転倒なので、課外活動にも沢山参加した。有名なUCLAマーチングバンドに入り、週末はサンディエゴやベイエリアにバンドメンバーと旅行、トランペットを演奏。空いてる週はUCLA waterski teamの皆と水上スキーを楽しみ、授業の隙間時間には友達とサーフィンやハイキングをしに行った。パーティーでどれだけ遅くまで飲んでいても、翌朝は8時からちゃんとインターンシップや授業に参加した。

家事も勉強も何もしなかった高校時代の自分からは想像がつかないが、「夢中になる」ってこういうことだと思う。自分の夢に向かって走っている時って、ちょっとやそっとの他人からの言葉で諦めたりしないし、辛いことがあっても苦だと感じない。一生懸命になれることを見つけられたのがなんて幸運なことなのだろうと思う。

最後に…感謝と自分の可能性を信じることについて。


最後に、こんな素敵な経験をさせてくれた母親には感謝しかない。いつかアメリカに呼び寄せ、家を買ってあげて、一緒に住めればいいなと思っている。

ここまで長くなったが、本当に自分の可能性を信じ続けてよかったと思う。言葉もわからない土地に来て、何度も挫けそうになったし、いくら勉強しても努力してもネイティブに追いつけないことは今でもある。たまに、なんでこんな辛い思いしながら不公平な環境で生きてるんだろうと思うときはあるが、日本人の自分だからこそできることがアメリカにあると思うし、特に日本人女性という珍しい立場の私が結果を残すことで変えられる未来があると思う。これまでにアメリカで活躍された素晴らしい日本人の方々に倣って、彼らが作り上げた良いレピュテーションを崩さないように頑張っていきたい。そして、もっともっと日本人が海外に出ていきやすいような基盤を作れればと思っている。

今後の人生計画は?念願のアメリカ就職。

さて、今後だが、UCLA卒業前に現地の監査法人への就職が決まったため、今はハワイで米公認会計士試験(USCPA)に向けての勉強をしている。加えて、時間がある際に、自分が興味があったこと(SNSマーケティング、キャリアカウンセリング/コーチング)に挑戦している。

長期的には、世界での日本のプレゼンスを高めるお手伝いができるようなお仕事をしたいと思っている。なぜなら、長年の留学生活の中で、日本人の祖先が世界に残した偉業に気付いたからだ。英語が話せなくても、日本人と言うだけで興味を持ってもらえ、日本食やアニメなどの世界共通話題で沢山の友達を作ることができた。世界から愛され必要とされる日本文化のパワーを感じる一方で、それを世界にプロデュースするのが苦手な日本。このギャップを埋めることこそが、世界に残した日本人の功績を守り、日本が世界で勝つための鍵であると確信している。

最後ちょっと雑になった、かつ長くなりましたが…これからも頑張っていきますので応援よろしくお願い致します!

ここまで読んでくださった方、本当に本当にありがとうございました。初めてのnote投稿、拙い私の文章にお付き合い頂き感謝です。何か質問、コラボリクエスト等ありましたらいつでもDMまでお願いいたします。

追記: 6/12/2023
noteやtwitterを見てくださった150名を超える方が、海外留学・就職に関するコミュニティがあれば入りたいとのことだったので、今回僭越ながら[WARRIORS海外留学、就職コミュニティ]を立ち上げることにしました。少しでも海外進出を目指す方の助けになれば幸いです。サインアップはこちらから↓

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