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命は巡り、本性を表現しつづける

第50週 3月16日〜3月22日 の記憶。 それを探る試みです。 
一年間のルドルフ・シュタイナー超訳に挑戦中です。

今週は、あなたがどこに向かうのか?到達点はどこなのか?
何をベースに考えてゆくべきか?のヒントにあふれていました。

では、読み解いていきましょう!

Y‘. FÜNFZIGSTE WOCHE. (16. MÄRZ – 22. MÄRZ [1913])

50.
Es spricht zum Menschen-Ich
Sich machtvoll offenbarend
Und seines Wesens Kräfte lösend
Des Weltendaseins Werdelust:
In dich mein Leben tragend
Aus seinem Zauberbanne
Erreiche ich mein wahres Ziel.

Anthroposophischer Seelenkalender, Rudolf Steiners,1913

  
  私の本性に語りかけ
  自らを力強く表現し
  大いなるものの力を解放する
  
  分かちあう喜び:
  「私の命を、あなたの中に運び
  縛られているものから脱し
  到達点を明らかにする」

 

私の本性とは何なのでしょう?

シュタイナーと同時代性のあるハイデガーは、「先駆的決意性」現存在の本来性を知るためには、先駆と決意のつながりを掴みとったうえで、現存在の本質的な在り方を考えるべきだと主張しました。

私(現存在)の、私がいる(本来性)、存在と存在するを別々に考えるべきで、私ではなく、私がここに在るとは?いったいどういう訳で在るのかを問うているのです。

あなたは、何故そこに、いる?

たまたま、でしょうか?何か「先駆的決意性」みたいなものがあったうえでのことでしょうか?

シュタイナーの暦(こよみ)の中では、私は、大いなるものによって「生かされている」存在なのだと言っています。ですから、私の本性の内には、すでに大いなるものの断片が紛れているのです。

ですから、表現するときにも、それを感じ、それを力強く演じることで、私の本来性や私が存在している意味が、外界に向けて解放され、喜びを分かち合える瞬間に巡らされるのでしょう。

あなたにも縄文が?

「前世は、縄文人だったのではないか?」と、
よく知人から、からかわれます。

すぐ、地べたに座るし、太鼓が好きだし、たき火も、編み物も、ねんどイジりも、何よりも自然を愛しているから…。

そのような印象からか、前世縄文人説が浮上するのでしょう。

いやいやでも待って、
あなたも日本人として繊細な縄文のDNAを引き継いでいるのですよ!と
いうのが岡本太郎氏です。

激しく追いかぶさり重なり合って、隆 起し、下降し、旋廻する隆線紋。
これでも かこれでもかと執拗に迫る緊張感。
しかも 純粋に透った神経の鋭さ。
常々芸術の本質 として超自然的激越を主張する私でさえ、
思わず叫びたくなる凄みである。

「縄文土器論 四次元との対話」岡本太郎

上野の博物館に行って、縄文土器をみるときにはこの言葉を思い出します。なにか教科書で縄文土器をみると子どもが本能的につくったようなものかと感じてしまうかもしれませんが、実物をみると実に丁寧に手をかけ、細やかな仕事をしていることがわかかります。

さらにその背後には、大いなるものを感じ、自然の造形を本質的にとらえているように感じるのです。

狩猟期に於ける感覚は極めて空間的に構成されている筈だ。
獲物の気配を察知し、適確にその位置を掴むには
極めて鋭敏な三次元的感覚を要するに違いない。
更に捕らえる時は全身全霊が空間に躍動しなければならないのである。
それによって生活する狩猟期の民族が、我々の想像を絶する
鋭敏な空間感覚をそなえていたことは当然であり、
それなしにはあのように適確、精緻な捉え方が出来る筈はない。

「縄文土器論 四次元との対話」岡本太郎

きっと、飛び抜けた自然を感じる能力を持つ縄文人がいたのでしょう。

こういう話になるとすべての縄文人がそうだったかのような話になりがちですが、一部の天才的な表現者がいたのではないか、と私は思います。今でいうインフルエンサー的な人が表現して、「スゲー!」となり共感を生み、もっとつくって!となり、真似する人もでてきて文化になっていたんじゃないかなぁと。

当時。「オレもおまえのアートに共感するぜ!」という感じで、縄文土器は、時代に残っていったのではないでしょうか?



到達点はどこなのか?

仕事でも人生でもどこに到達したいのか?を決めるのが難しいですよね?
どの「道」を歩み、どこが「終着」なのか?
みえるものではなく、みえないもの…。

おそらく、単なるモノや知識や情報の取得ではなく、それらに基づいき内界に生成された境地のようなことを意味しているのでしょう。

シュタイナーは、アントロポゾフィー(Anthroposophie)人智とは「人間における精神的なものを、大いなるものにおける精神的なものに導こうとする一つの認識の道である」としています。

ここでの「精神(ガイスト)」とは、滅びゆく「肉体」や、うつろいやすい「心」とは別の、本質を指しています。自然と一体化し、宇宙を感じ、大いなるものに生かされている状態に成長することなのでしょう。

あなたが何を感じ、何を表現して生かされてゆくのか?

大いなるものは、そのすべてを与えてくれている。
ということのようですね、
感謝です。



2024年3月 アブラチャン

四次元的思考

今日の読み解きでは、「存在と時間」「縄文土器」も四次元でものごとを観察することがポイントになってきました。つまり、空間+時間。俯瞰的に対象をとらえ、時間軸を加えて認識を深める思考が求められているのでしょう。

本質とは何なのかを考える際、断片を見るのではなく、全体を把握すること。さらに、なぜそうなったのか(過去)、さらに成長していく到達点(未来)、そして今、何をすべきか(現在)。未来・現在・過去・現在・未来と時間軸さえも俯瞰的にとらえてみる。

表現されるものは、二次元や三次元のみに存在しているかのようですが、感性を解放して感じれば、四次元に在るのです。いやいや、さらなる高次元に在るのです。

萌芽の候、外界を観察することで
このような感性に出会えることもあるかもしれませんね。

「いのちのカタチって、スゲーな!」



シュタイナーさん
ありがとう

では、また


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