見出し画像

私も待ち続けているのかもしれない ~映画『アプローズ、アプローズ!』をみた~

おみくじのなかの「待ち人」ってなんなんでしょうかね。
私の場合、不思議と「まだ来ない」「来るが遅い」となることがほとんどだった。
結婚前は、まだ見ぬ結婚相手のことかな?と思いながら苦々しく結果を見つめたものです。
と同時に、実際は誰のことなのか…私は本当は誰を待っているんだろうか、と思っていました。
そんなことを思い出したこの作品。

映画『アプローズ、アプローズ!』とは。
崖っぷち俳優が囚人たちの演劇ワークショップの講師をすることになり、不条理演劇として有名な『ゴドーを待ちながら』を演目として公演するというお話。

いろいろあったけどみんなで頑張って公演が大成功!大団円!カタルシス!!
みたいなのを想像していましたが、そことは一線を画す作品でした。
クスッとしたり感動がありつつも、なんだかとても余韻のある、考えさせられるものでした。

『ゴドーを待ちながら』という演劇作品については、その名前と「なにやら全然来ないゴドーという男を待ち続ける話」みたいなごく簡単なあらすじしか知りませんでした。

主人公がこの演目を選んだ理由は、囚人たちは「待つ」ことに慣れていて「待つ」ことを知っているから、でした。
囚人たちは、ひたすらに待っている。
食事を、活動を、入浴を、睡眠時間を。
朝が来れば夜を、夜が来れば明日を、そして刑期の終わる日を。

そう考えると、「待つ」というのは希望なのかもしれない。
来ると思えるから、待つ。
もう待てない、と思ったときは…どうするのでしょうか。

自分のことを顧みました。
私も待ち続けていたように思えてきます。
より自分に合う仕事を、職場を。
気の合う仲間を。
結婚するにふさわしい相手を。

もっと小さいところでも待っている。
今日会う相手を。
終業時間を。
頼んだメニューが届くのを。
眠りに落ちる瞬間が来るのを。

待っていれば必ず来る場合もあれば、待っているだけではダメで自らつかみに行かなければならない場合もあります。
待っているつもりだったけど実は望んでなかった、なんてことも。
来るのに時間がかかって、しばらく何も起こらないことも。

私が待っているだけでなく、実は私も待たれているかもしれません。

『ゴドーを待ちながら』の舞台を、すごく観てみたくなりました。
もっともっと、「待つ」ことについて考えてみたくなったのです。
意味はないかもしれないけど。
それもまたよいのではないかと。


この記事が参加している募集

#映画感想文

65,841件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?