流産を経験して

このnoteの記事の流れからして唐突だが、先月初めての妊娠と流産を経験した。

こんなに辛いことが人生にはあるのかと、嫌というほど涙を流し

はや3週間。

だいぶ前向きになれてきたので、この瞬間の考えを忘れないよう、残しておきたいと思う。

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そもそも私は、20代後半まで正直結婚も子供も、心から欲しいとは思っていなかった。

結婚はいつかしたいな、と漠然と思ってはいたが、その理由も独身ということで周囲に変な先入観を与えたくない、という世間体を気にしてのもの。

ましてや子供は、自分の仕事ややりたいことに制限ができるのにわざわざ欲しくない、いっそ私の産む機能がなくなってくれれば考えなくて済むから楽なのに、と感じていた時期さえあったほどだ。

それほど当時の私にとって、家庭を持つということは自分ごととして捉えられない、非現実的なイベントだった。



それが、今の夫と出会い自然と一緒に過ごす時間が長くなる中で、この人と結婚して家族を作りたい、と本気で思うようになった。その理由は、基本1人で行動するのが一番楽と思っていた私が、彼とならなぜか2人でいるほうが楽しいぞ、と気づき始めたから。こんな人、他にいないと・・・。

約2年の交際を経て同棲、そしてすぐに結婚へと順調に事は進み、それは幸せな日々が始まった。


入籍、結婚式、そしてハネムーン。バタバタと半年かけてイベントが過ぎ去り、31歳になる少し前の私は妊娠を考え始めた。

数年前まではいっそ子供が産めなくなれば楽なのに、とさえ考えていた私と今の私は本当に同一人物なのかと、自分でも笑ってしまうほどの心変わりだ。

運が良ければハネムーンベイビー?と期待していたものの、授からず。その後も5ヶ月ほど、生理が来ては落ち込む、の繰り返し。


欲しい時にできるとは限らない。子供は授かりもの。

そんな当たり前のようで、実際には世間にはあまり認知されていないこの事実を、私は身をもって実感した。


そして31歳になって1ヶ月後、ようやく妊娠が分かる。ちょうど妊活(そもそも妊活という言葉はあまり好きではないが・・・)に疲れ始めていた頃に授かったので少し予想外ではあったが、本当に踊りだしたくなるほど嬉しく、9ヶ月後を想像しながらしばし幸せに浸った。それが、人生で一番辛い経験の始まりだとは知らずに・・・


最初の検診から、妊娠週数に対して胎嚢のサイズが小さいとは言われていた。その時の担当医の不安げで言いずらそうな顔も、しっかり覚えている。でも、まさか自分が本当に流産するとは、7週目にはっきりと診断されるまで信じられなかった。

「まさか自分が・・・」

多くの人がそう思うと、不安に駆られてひたすら検索した流産の記事に書いてあった。私はまさにそれだった。


流産の兆候が分かり、診断が下され、実際に手術を決断して施術するまでちょうど2週間あったが、その間にどれだけ泣いただろう。

手術後も、キリキリと続く腹痛に耐えながらちょっとしたきっかけで流産のことを思い出し、とめどなく涙を流していた。おそらくホルモンバランスの乱れとストレスで顎にニキビが大量発生し、見た目もボロボロになった私を見て夫は本当に戸惑いながらも、ただひたすら背中をさすってくれた。


なぜ子供が欲しいのかーーーー


結婚したら子供を持つのが当たり前と思っている人が多い世の中で、私は改めて自分が子供を持つことについて見つめ直す機会をもらったと思っている。当たり前に妊娠を継続できなかったからこそ、改めて2人だけの生活もリアルに想像したし、子供をこの先また授かることができたら、そして無事出産できたら、夫と一緒に楽しく子育てをして家族を作っていきたい、と強く望むようになった。

その願いの一方で、正直なところ、子供を産むことになれば産休・育休で今の職場から少しの間離れることになり、私はそれを望んでもいた。でも、結果流産となったことで、その一度見えたキャリア中断・復活のプランも消えた。

私は、仮に子供ができなくてもこの仕事を続けるのか?その答えがNoだとしたら、今会社にいるのは産休・育休のためだけではないか?それは母や妻という役割を抜きにして、私個人の生き方として満足できるものなのか・・・。だからといって、妊娠を視野に入れている以上すぐに転職をするという結論にはならず、どうにか自分らしい道が描けないかと、日々模索している。


子供はいつ授かるか分からない。


その当たり前の不確定要素を抱えたまま、仕事のことも家庭のこともプランニングするとはなんてハードなミッションなのだろうと、不安と焦りにも似た気持ちを感じる毎日だ。不妊治療をされている方はもっと気持ち的にも金銭的にもハードだろうと想像する。


それに、今回の経験を通じて、他人の家庭事情を話題にする難しさについても改めて考えることとなった。本当に家庭の事情はそれぞれで、子供をどれだけ望んでも叶わない人もいる。結婚も然りだ。

手術から1週間後、義祖母宅へ新年の挨拶に行った時、近々生まれる義兄の第二子が話題となった。

義祖母は何の悪気もなく、「子供は考えてるの?」と夫に聞いた。

その瞬間、私の目にこみあげてくるものがあったが、何も知らない義理の祖母と両親を前にして泣くわけにはいかない。でも、ただただ辛かった。

考えてるどころか、欲しくて欲しくてつい最近ようやく授かったと思ったら、流産して今はどん底ですーーー

そんな様子を察した夫は、さりげなくその話題を変え、そのすぐ後でお暇を申し出てくれた。


彼女に悪気がないことはもちろん分かっているし、腹を立てているわけでもない。それに家族だから、その話題が出るのも当然だ。


だけど、これから友人や知人に対しての発言は特に気をつけようと改めて感じたのは事実。

いろんな生き方がある。その中の選択肢としての家族を持つということ。子供を授かるということ。

生き方に普通や当たり前なんてない。

自分が納得する方法を探すしかないんだ。

そして、それを他人に押し付けてはいけない。


そんなことを今回の一連の出来事は気づかせてくれた。


また授かれるだろうかーーーそんな希望を抱きながら、夫と2人の幸せな日常をかみしめる毎日を、今は大事にしたい。





いつも読んでくださりありがとうございます。もっと素敵なnoteを書くための投資にさせていただきます!