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【アンパンチ】は、暴力か?正義か?

保育士を10年しております yukichi. です。

乳幼児がみんな大好き『アンパンマン』
しかし、近年では
「アンパンマンは結局、アンパンチという暴力で解決している。」
なんて論争を聞くではありませんか。
ほほう。ここでもそんな時代になったと言うことか。正義のヒーローアニメにも暴力が問われる時代?

私が小学生の頃、『北斗の拳』は野蛮で教育上良くないとかどうとかで、先生から見ちゃいけない、なんて言われていたことを思い出しました。
いや、でも『ドラゴンボール』はみんなめっちゃ見てたし、人気あったよ?
『ワンピース』だって超ロングヒットだし、日本のアニメは海外でも人気も評価も高いよ?

パンチ・キックや技・剣術など【力による攻撃】で相手を倒す、という漫画やアニメは山ほどありますよね。
戦隊モノだってそうだし、近年で言えば『鬼滅の刃』や『進撃の巨人』だってそう。主人公が【強さ】を求めて鍛錬を積み重ね、次々に現れる敵を【力】で倒していく。
でも、よく考えたら鬼だって巨人だって、もともとは人間だった。望まずして鬼や巨人になってしまった元・人間を殺すことが正義なのか、とも思ってしまう。
『ウォーキング・デッド』のゾンビたちも、元・人間。元人間には、必ず家族や大切な人たちがいたはず。そう思うと複雑な気持ちになります。

話が逸れていきましたが、はたしてアンパンマンの【アンパンチ】は、【暴力】なのか?【正義】なのか?
あなたはどう思いますか?
子どもにどう教えますか?


①【アンパンマン】の正義とは?

アーンパーンチ!!

まず、【アンパンマン擁護派】の意見をみてみましょう。
アンパンチを「正義の手段として妥当だ」と解釈する人たちの意見です。

・悪さを繰り返すバイキンマンに対し、「やめるんだ!」と何度も警告しているにも関わらず、続けているため仕方なくパンチしている。
・直接殴って痛めつけているわけではなく、バイキンUFOをパンチして遠くへ飛ばし、お引き取り願っているだけである。
・武器などを一切使わず、素手によるものである。
・街のみんなを守るため、誰かを助けるために闘っている。自分のためではないし、やむを得ないパンチは正当であり暴力とは言わない。

なるほど。
では、【アンパンチは暴力】と考える、反対派の意見は?

・子どもが真似をして、アンパンチで友だちを殴らないか心配。
・何度もやめるよう言葉で伝えてもやめてくれなければ、やむを得ず殴ってもいいのか。
・暴力による解決が、強さやカッコいいものであるとする誤解を招く。
・誰かを守るためという正義があれば、何をやってもいいのか。どんな理由があっても、相手を殴るという手段は取るべきではない。

う~~ん。。。なんだか水掛け論ですよね。
どちらの意見も分かるし、ごもっともなんだけど、ああ言えばこう言う、これこそまるで子どもの喧嘩のようです。

②結論や正解がないことを考えることこそ、「教育の意義」なのでは?

アンパンマンは乳幼児向けの作り話です。あくまでフィクションです。
そのため、【正義】を分かりやすく単純化し、ある程度パターン化された結末のストーリーにするほうが、安心感があって親しまれ・好まれます。
正義のヒーローは、毎回勝利する必要があるのです。

それに、大人が思っている以上に子どもの【アンパンマン離れ】は早いです。3歳ぐらいまでかと思います。
アンパンマンキャラの服やら靴下やらを身に付けているのも、3~4歳ぐらいまでがギリじゃないかな?
私の仕事経験上、5・6歳児ぐらいの子に
「アンパンマンは今もテレビで観たりする?」と聞くと、
「観ないよ!そんなの赤ちゃんが観るやつだよ!」と言われます。

つまり、アンパンチは最善の解決策か否か、話し合い等ほかの手段はないのか、物事の良し悪しを自分で考えられる年齢になってくれば、アンパンマンはつまらなくなって、離れていってしまうのです。
しょっちゅう同じ結末でパターン化された正義が勝つシリーズは、飽きるのも早いということでしょう。

バイバイキーーン!

なので、アンパンチは暴力だと思う派の大人が、子どもが小さいうちにそれを観せないようにするとか、否定したり排除したりとかするのではなくて、ひとつの教材として一緒にそれを観て、一緒に考えればいいと私は思います。
「アンパンチって、ほんとに一番良い方法なのかな?」
「バイキンマンは、話の通じない悪い人なのかな?」
「実際に人に対してやったら、相手はどう感じるかな?」と。

アンパンマンのせいで子どもが暴力的になったなんて文句を言う親にこそ、アンパンチです。って、志らく師匠?も言ってたらしい。
私も職業柄、子どもに観せっぱなしにするのではなく、親が教えるため・考えさせるためのひとつの機会にすればいいのだと思います。

③100%の正義は存在しない。毎回必ず正しい答えを出せる大人もいない。

現実世界の市民を守る、正義の象徴・警察の中にも、汚職やパワハラ・冤罪や自白強要など、いつの時代でも正義以外のものが少なからず存在します。
人の命を助ける消防や医者の世界であっても同じ。悪いことを一切しない、100%クリーンな正義の人間なんて、実際には存在しません。
以前、正義の反対は悪ではなく、他人の正義である、という記事も書きました。

そして、毎回間違わずに正しい答えを返せる大人だって、先生の中にも有識者と呼ばれるような偉い学者の中にも存在しません。

例えばの話ですが、
「蚊やゴキブリや毛虫は殺してもいいのに、どうして蟻やセミ・青虫は殺しちゃだめなの?」
と子どもに聞かれたら、なんと答えるのが正解なのでしょう?

「人間に害を与える虫は駆除してもいいけど、そうじゃない虫はだめなんだよ」←??ほんと?
それも、人間側だけの勝手な主観じゃない?そもそも害虫という線引きはどこにあるの?誰が決めたの?
虫だって、生きるためや種の保存のために、血を吸ったり毒を持ったりしているだけじゃない?

蜘蛛は益虫だから殺しちゃだめとも言う。でもセアカゴケグモみたいに毒があるやつもいるよ?蟻だって、普通のアリンコと、木造建築の害虫であるシロアリがいるよ?
蜂も人を刺すことがあるから害虫?蜂蜜は食べるのに?

食べるための野菜は取ってもいいけど、むやみやたらに木の枝を折ったり葉っぱをちぎったり・花を摘むことはかわいそうだ、なんて意見も、正解かどうか私には分からない。花を飾って楽しむ文化だってあるし。

花のある生活。生花を飾ることも賛否両論なのかしら?

むやみに殺すもんじゃない、の「むやみに」だって、子どもに説明するのは凄く難しいと思う。
どこからが「むやみやたら」で、どこまでなら「やむを得ない」のか、ハッキリとした線引きなどないし、人によって考えも意見も違うはずです。
子どもの「なんで?」と不思議に感じる心や、理由を知りたいという欲求に対して、すべて間違いなく正しく答えたり教えたりすることは、どんな良い先生であれ親であれ、不可能だと思います。

なので、無理に答えを出さなくても、正直に
「なんでだろうね?不思議だね。」とか
「先生はこういう理由でこう思うけど、これが正解じゃないかもしれない。君はどう思うかな?」などと答えたっていいと思います。

だから、今回の【アンパンチは暴力か?正義か?】に対する、正しい答えや結論など、私に出せるはずもありません。
教育とは、人によって考え方や意見が違うことを学ぶことでもあると思います。だから、たくさん勉強して自分も考える。知識や思考回路を増やして自分で判断する力をつける。そして自分の意見を持つ。

子どもには、偏った意見ばかりに囲まれないよう、親だけでなく色んな先生や大人や先輩・友だちの影響を受けて育っていってほしい。物事の考え方はたくさんあることを知り、子どもたちが自ら考えられるようになって欲しいなぁと願っています。

あくまで、イチ保育士としての意見でした。最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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