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一人っ子論の歴史(3)~なぜバッシングされてきたのか

▼今回の記事のハイライト▼

明治維新にはじまり、日本は西洋から学ぶことによって成長してきた。それは、お隣の中国や韓国が、なかなか外国に学ぼうとせず、諸外国に虐げられたことと比較して、誇りをもって語られることが多い。
しかしだからといって、公正な視点ばかりが学習されるとは限らない。一人っ子に対するステレオタイプもその一つなのではないだろうか。


この記事は連載企画「一人っ子論の歴史~なぜバッシングされてきたのか」の第3回です。

▼第1回、第8回無料公開しました▼

前回の記事では、1910年代の日本において紹介された一人っ子に対する見方と、一人っ子への視線について触れた。

今回の記事では、1920年代に起きた一人っ子への「追い風」と、同年代の日本で一人っ子をめぐる言論にどのようなものがあったかを見ていきたい。

●一人っ子への追い風はあったが

この頃、一人っ子否定論の本場・アメリカで、一人っ子にとっての追い風が発生した。

1928 年、アメリカにおいて、一人っ子に特異性はないという研究が発表されたのである。
そしてこれ以後、フーカー、ウースター、ギルフォードなどの研究者が一人っ子の特異性を否定する研究を提出した。
一人っ子否定論が最初に出されてから 30 年後のことである。

しかし残念なことに、この一人っ子肯定論が日本の教育界に強い影響を与えるのは、ここから実に 100 年後、つまり現代を待たなければならない。

なぜなら、この頃の日本はすでに一人っ子否定論を吸収し、咀嚼して、それを自らの言葉で書籍や雑誌に表現し始めていたからだ。
そこで強調されるのは、特定の家庭教育が性質の悪い一人っ子を作るという言説、つまり、家庭環境が子どもの性質に与える影響をコントロールすることが、よい教育のヒントということである。

これは、明治大正期に、家庭教育の重要性が強調されるようになったという分析と一致するだろう。
そして、この後戦争により日本がアメリカと距離を置くようになっていったことも、一人っ子肯定論の輸入が遅れた原因の一つといえるのではないだろうか。

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