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日本酒の提供方法を変える時期が来たような気がします

日本酒が、世界に出ていって広がりつつある、という話が最近持ち上がりますね。

世界の人々が(まだ多くは無いようですが)日本酒を楽しみ、かつ外国でも日本酒の醸造を始め、その地域の個性を打ち出した日本酒を醸造しているということです。

同時に、現代の流れに付いて行けない日本酒造元はどんどん廃業しているようで、厳しいものです。

日本酒は、日本人にとってはワインほど気取った感じがなく、販売価格もワインに比べると同じ品質なら、かなり割安なので、日本国内で呑むのは良いですね。

銘醸ワインレベルのものが、日本酒なら1升3500円以上出せば買えてしまうのは本当に素晴らしいと思います。

日本酒も、現代では凝った造りだとそれなりの価格になりましたし、ものによっては1升で5〜20万するものもありますが、そこまでのものでなくても、良い造りの日本酒は、今までの日本酒の提供方法ではダメになって来ている気がします。

日本酒の質は格段に上がり、日本酒の味わいもバリエーション豊かになって来ているのに

「その品質の高い日本酒を味わうためのシステムが出来ていない」

感じがします。

私は、日本酒を呑む際には、その日本酒に合う器を使ってその日本酒が最大限に生きるようにします。

日本酒だから〇〇で呑む、という風にはしません。

呑む器によって味わいが変わるのも楽しみます。

日本酒の保存も、極力揺らさないようにしますし、呑む際の温度も気にします。

なので、私は特に、飲食店での提供方法に疑問を持つことがあります。

日本酒のコレクションが多い、超高級店ではないけども安くはない和食店などで、良い造りの日本酒を頼むと、分厚く大きい蛇の目のぐい呑に、なみなみと注ぎ、受け皿にこぼす。。。枡の時もありますし、グラスの時もありますが。。。

これが、何とも貧乏くさいし、こぼれた日本酒が手に付くし、小皿にこぼれた日本酒を器に移したり、そのまま呑んだり・・・なみなみと注がれた日本酒を呑むのに、こぼさないように口を器に近寄せて呑むことになります。

どうやっても、その所作は貧乏くさくなります。全くエレガントではない。それに、こんな呑み方をしても香りや風味や味わいが分からないということで、私は嫌いです。

それと、日本酒には1升、1合・・・という単位があるのに、このような呑み方だと実際にはだいたい120mlぐらいしか入っていないのに、まるで1合180ml注いでいるかのような錯覚を起こさせ1合の金額を取っているように観えるのも貧乏くさくて嫌いです。

まあ、昔からお銚子でも1合ではなく「8酌」なんて単位のものがあって「ウチのは正味1合だよ!」というのがウリのお店がありますが・・・

とにかく、あらゆる面で、今の日本酒の提供のされ方は「昔の安居酒屋での提供方法」的で、それは昔の3増酒や、今の2増酒などの、品質の悪い日本酒、酔うために呑む酒の文化のような気がします。

(ちなみに、私はそういう「安居酒屋文化」は好きなので、そういうお店にも行きます。ただ、良い造りの日本酒で同じように出すのはいかがなものか、というお話です)

ワインの場合は、提供方法、価値観が確立しています。

安いものなら安いものが美味しく呑めるシステム、良いワインなら、良いワインを楽しめるシステム、があるわけですね。

それぞれ、ちゃんと楽しめるようになっているのです。

気軽なワインには、それにふさわしい呑み方があるし、銘醸ワインを楽しむためのシステムもまた奥深くあるわけです。

例えば、銘醸ワインなら、ワインの味わいを言葉に置き換えて表現して共有したり、ぶどうの種類、ぶどうの収穫年度、畑の個性による味わいの違い、作り手の個性、醸造法、熟成法など、細かく深く「味わいポイントが設定されている」のですね。

そして、実際に提供する際には、味わいによってグラスを変えるとか、デカンタージュするとか・・・それを提供するソムリエも高度専門職の職人として、身のこなしもエレガントで人々から尊敬される存在です。

日本酒でもそういうものを、そろそろ本格的に確立していく必要があると個人的に思います。(現行の日本酒ソムリエというのは、ワインにおけるソムリエの役割をしているとは思えません・・)

かといって、一部の和食の高級店のように、木桶に入ったクラッシュアイスに青々とした楓を添えて、作家もののガラス作品に入った日本酒を、これまた造形的に凝った作家作品のぐい呑で呑む・・・というのもなんだか違う感じがするのです。

日本的に変にお品のよろしい感じの酒器で、小さい酒盃でちまちま呑むのとか・・・も苦手です。あれでは香りが分からないし味も判然としません。

旅行で来ている訪日外国人はそういう演出を喜ぶかも知れませんが、私はこういうものは好みません。味わいよりも、呑むためのセレモニーが重視されている感じがして、味わいに集中出来ないのです。本当に日本酒が好きな外国人でも、同じに感じるのではないかと思います。

日本食は器も味わいの一部ですが、しかし「それが主題」になってしまっているものも多く、そういうものはどうかと思います。

かといって、ワインのシステムの真似をしてもダメなんですね。日本酒とワインは味わいのポイントが違いますし、性質が違うので、同じにしても美味しくなるわけでもないのです。

もちろん、その日本酒と相性の合うワイングラスで呑むと美味しくなる、ということはあります。

しかし、実証なく、香りが強めの吟醸酒だからと大きめのワイングラスに注いで来られても、だいたいは日本酒が空気と触れすぎてしまい、香りと味が変になります。

日本の和食器類は、非常にレベルが高く、バリエーションも素晴らしく広いのですが、唯一の欠点は

「飲食物の質そのものを高めるための視点と理論がほぼ無い」

ところだと思います。

なんとなく、造形的な面白さだけで評価している感じ・・・食器としてよりも、造形物としての評価を優先する感じです。もちろん、それはそれで良いのです。抹茶の茶盌などは、それで良いと思います。

が、実質的にその飲食物をいかに美味しく楽しめるか?という視点のものが、日本では本当に少ないように思います。

実際に、飲食物の味わいは、器の形状だけでなく、陶器の質・磁器の質・ガラスの質で、味わいが変わります。陶器だから、磁器だから、ガラスだから、という大雑把なくくりではなく、同じガラスでもその成分によって、〇〇ガラスは合うけども、△△ガラスだと合わない、なんてことが起こります。

こう書くと「ほんとかよ?」と思われそうですが、モノによっては「劇的に変わる」ものすらあります。

こちらの酒にその器を使うと酒が開花したかように美味しいのに、あちらの器では、全く味が閉じてしまって不味くなってしまう、なんてことが実際に起こるのです。

酒やお茶などの嗜好品は、それを飲む時の体調によってかなり味が変わって感じるものですが、実は、その酒やお茶を飲んだ時の器と、酒やお茶の相性が悪かった、ということがあるのです。

さらに、器の形状もとても重要です。

このワインは、この口がわずかに開いたグラスで呑むととても香りが華やぐのに、こちらの口が少し閉じた方で呑むとアルコールを強く感じてイマイチ、なんてことは良くあります。本当にちょっとした形状でワインの評価が変わってしまうぐらいに変わります。

日本の器はあまりこういうことが語られないですね。審美的な形の面は語られますが、あまり言われない。

中国茶や、ワインの世界では、そういうことを理論的・実証的に構築して行き、現在のスタイルになっている感じです。スタンダードなものがあり、最新のものがあり、といろいろあります。どんどん更新されています。

なので、日本の器も中国茶やワインのような「実質的に飲食物の内容を高めるための食器と理論」が必要だと思います。

いわゆる作家ものの、審美的な造形を楽しむための食器を否定しているのではありません。私もそういうものは好きです。しかし、そちらばかりに価値観が行ってしまっているので「器としての本来の実用の深部を探り、形にする方向」があっても良いのではないか?ということです。

それと、ちょっと良いお店で日本酒を冷で頼むなら、例えば300mlや4合瓶の720mlの瓶のまま出てきて欲しいと思います。

呑む瞬間に、封を開ける。それが欲しいです。

そして、それにふさわしい呑み方を提供して欲しいと思います。

この1本は注文主のもので、それをしっかり楽しむ。

安い酒だと、大きな樽や瓶から量り売りで持ってこられても良いのですが、高いものだとちょっと違う感じがあるな、と最近感じます。

燗にする場合でも、一度ボトルを持ってきてもらって、それから器に移し、燗にしてもらったら良い感じです。私は燗冷ましになるのが好きではないので、燗は、少しづつして欲しいと思うのです。

もちろん、眼の前で、高品質な樽酒を樽から直接片口に移し・・・というパフォーマンスなどなら別の話ですが・・・

日本酒をボトルのままテーブルに提供する、それが当たり前になれば、ボトルでお店のテーブルに置いて、キチンと審美的に良いボトルとラベルデザインが産まれるようになるでしょう。

呑むための器や提供方法も「良い造りの日本酒をより美味しく呑むため」に集約されて来るでしょう。

もちろん、既にそういう動きは出てきています。

しかし、まだまだどこかで「安居酒屋システム」が日本酒の正しい呑み方とされている気がします。

それと、ワインのシステムをそのまま使っているだけのようなもの。

おそらく、日本酒の質がここまで高まったのは、日本の歴史上、なかったのだと思います。

だから、現状、せっかくの優れた日本酒をしっかり味わい尽くすシステムが無い。

だったら、新しく作るべきだと思います。

日本人自身がそうしないと、外国に先に「日本酒の麗しい呑み方」を構築されてしまい、それが世界のスタンダードになり、日本人はそれを踏襲する羽目になるかも知れない、などと思います。

私は、個人的にはそれはいやだなあ、と思います。

日本酒だから。


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