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分野分け出来ない着物をつくる理由

当工房は、衣桁に(着物を広げて飾るための枠)かけた際に見栄えのする「着物の形をした染絵」のような着物を作りません。あくまで「実際に着た時に最大の力を発揮する着物」を作ります。着物に限らず、当工房で制作する和装全般、そのような考え方で制作します。

昔は着るためだけでなく財を誇るためやインテリアとして衣桁にかけて映える着物の需要がありましたし、現代も美術団体展出品用の総柄の絵羽の着物がありますが、当工房ではそのようなものは滅多に制作しません。

当工房ではそのような着物ではなく「制作に頭と感覚を使った論拠のある現代和装を提供したい」と考えています。

念のため書きますが、ご要望、あるいは用途的に必要があれば総柄や柄の総量の多い着物も染めます。必要の無い柄や色を増やす事が創作性のある着物という事は無い、工芸品の創作性は実用性(精神的実用性・肉体的実用性共に)で証明される、という意味です。

ですので「一般的な着物の分野分け」出来ない感じの着物になる事があり、それでお客さまを戸惑わせてしまう事も時に起こります。

留袖、訪問着、付下げ、染小紋(その他)・・・の分野に当てはまらない感じのものです。例えば極端に柄の量の少ない着物など・・・

留袖は、家紋が入り裾だけに文様があるフォーマル用の着物として分かり易いですが、それ以外の着物となると、実はその名称や用途に確かな論拠があるわけではなく、なんとなく呉服業界が商売のために定めた分野分けだったりします。留袖もずっと昔から今のような用途で存在したものではありませんし・・・

しかし、それはそれで世の中に浸透しているため、人は他人に文句をつけられたくない心理を持ちますので「これは訪問着」とか「これは付下げ」などカテゴリ毎に分かりやすく収まっていると安心するわけです。ですから「いわゆるそれ」なものを望む人が多いわけで、それを呉服業界は利用し商売するわけです。着物に限らず帯でもそうですね。「そんな着物だと恥かきまっせ商法」ですね。

しかし着物に限らず伝統文化と言われるものの決まり事は、論拠があいまいである事は古今東西良くある事ですから、本来的には従来の分野分けには当てはまらない着物があっても特別変わった事ではありませんし、現代の日本人自身が、現代に必要なものを作るのが悪いわけは無いのです。

フォーマル着物以外は、相手に失礼が無いような格好だったら何でも良いわけなので(所属する集団によってルールが変わりますが)当工房が特に変わった事をしている自覚はありません。むしろ当工房の方向性が当然であるというぐらいに考えております。日本人が、現代の日本の衣類を「本来の日本の伝統をベースに制作する」のに誰に遠慮する必要があるのでしょうか?

更新される事の無くなったいにしえ の衣類であるなら、決まりを保存し続けるのも大切ですが「和装は古典的な衣装であり、かつ現代ファッションでもある稀有な民族衣装」ですから、現代も「変化し続けるのが自然」と考えて良いのではないでしょうか。

実際、着物を大変な数お持ちで着る機会の多い方々からは、やはり「一般的な着物の分類に収まらないもの」を別注される事が多いのです。なぜなら、そのような人々にとって和装は日常であり、着る場面も多岐に渡りますから、今までに無いものが必要になる事があるからです。そこから新しいものが生まれるのは自然な事ですし、制作する私たちがその実現に協力するのも自然な事です。

以下は、当工房の和装についての考えです。

伝統文化や技術を大切にしつつ「現代生活に合う和装」「実際に使いやすく、格好の良い、現代的なエレガントさを持つ和装」を作る事。実際の着用と関係の無い手数や色数を見どころや自慢にするような着物は制作しない・・・そのような意識で和装染色品を制作しております。

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例えば以下の着物はアンティークレースを題材にし、糸目友禅とろうけつ染で文様を描いた当工房制作の着物です。

西欧やアジアなどの文様を扱う場合「オリジナルの文様を和装の波長に合うように調整する事」が、とても大切です。今回の仕事の場合、もしアンティークレースをそのまま貼り付けたようなものにしてしまうと、ゴスロリ調やコスプレ系のものになってしまいます。それを「ペルシャ猫を三毛猫にするような感じ」で、アンティークレースの本質的な特徴を変えずに和柄化します。和柄化した文様を着物や帯や羽織・・・その他に実際に配置する際には「空間を和的にする事」も外国の文様を和柄化するのと同じぐらい重要です。

この着物は、いわゆる訪問着ではなく、いわゆる和柄の付下げ的なものでもない、無彩色の着物です。(工房構成員の甲斐凡子が着用。着付けも本人によるもの)生地は先練の縦筋状に地紋のあるもので、縮緬よりもシワになり難く、着用後のメンテナンスが楽なものです。

先日、銀座で行われた旧白洲邸の「武相荘」の倶楽部の忘年会に出席する際に着用しました。

パーティだけども、アゲアゲの騒がしいパーティではない知的な会合・・・それに合った、落ち着いた、一歩引いているけども質が高く、品良く、エレガントで・・・そして「呉服臭くない」着物です。レース柄だから呉服臭くないのではなく、正しく日本の伝統文化に則れば呉服臭くはならないのです。

合わせた帯は、北村武資氏の袋帯で「派手過ぎず個性的過ぎず、程々な感じでかつ品の良い」人気シリーズのものです。帯締めは、全体を引き締めるために道明さんのコントラストが強めの桐壺にしています。

写真だと分かり難いですが、地色は青味のチャコールグレーです。文様部分の彩色はグレー濃淡のみで、色をあえて入れていません。色を入れない事で、合わせる帯、帯締め、帯揚げ、半衿、草履、バック・・・などの取り合わせの展開の幅が広がるからです。

このような着物だと街にもお店にも溶け込み、かつ埋もれる事も無い、場の品位の底を高めるような衣装になります。

会場での写真はプライバシーの問題がありますので掲載出来ない事が残念ですが・・・

この着物の後ろ側は・・・和装の長着は帯のタイコ部分の面積が大きいですから、あまり柄を付けず空間を取ってあります。

帯を囲んで、右肩の後ろ、下ろした右袖の後ろ、後身頃で、孤を描いて文様が出るようにしてあります。その「孤の動き」があるので物足りなさを感じません。空間があるからこそ、実際に着用した際の帯や小物を取り込み「さらに大きな動き」を付けられるわけです。

左側から見ると、やはり孤を描いて文様が展開されるようになっています。

この日は右側からの写真は取れなかったのですが、右側は胸に柄が無く(肩の後ろにはある)裾部分だけ孤を描いて柄が展開します。空間の大きい面、小さい面があるので、全体を立体的に眺めた際にメリハリが出るわけです。

和装がドレスコードではないパーティ会場で着物を着ると他の人たちは洋装が多いわけですから良くも悪くも浮きます。そんな場で不協和音にならず、かつ埋もれる事もない、しかしどこからどう見てもその美しさの根幹は和的である、そんな、周りの人たちを喜ばせ、着る人の気分を上げる現代の和装を強く意図して当工房は制作しております。

なかなか理解され難い路線を、しかも全く無所属でしておりますので非常に地道な創作活動になりますが「伝統的でありかつ最新でもある和装」をこれからも提唱し続けて行きたいと日々制作に勤しんでおります。

それが正しく日本の伝統文化を引き継ぐ事だと考えております。


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