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私は伝統〇〇と言われているものは取りあえず怪みます

当たり前の話が当たり前に把握されていないのが、いわゆる伝統界隈の世界だと私は把握しております。それを理解する事は大切だと思うのですが、むしろあえて事実を観ずに皆で作り話を楽しんでいるように感じられる事が多いです。そう書いている私自身も自覚無く事実を曖昧にする事で楽しんでいる事が沢山あると思います。

日本の伝統モノは、変な「伝説」「おとぎ話」が多く、意外にそれを事実と信じてしまっている人が多いように感じます。それぐらい矛盾に満ちているんですね。

例えば数百年続いていると自称する老舗と呼ばれている会社やお店が、実は老舗ロンダリングをしていて本当の所は分からない事があります。その他その他、調べると疑問に感じられる所が色々と出て来るものです。

呉服業界では、本当は殆ど機械で作られた製品なのに全て手作りであるかのように説明しているものがあります。(ただし手作りであるとは断言しない巧妙さもある)

ある呉服の分野では、その工芸品とは関係の無い程大きく歴史を遡って、あたかもそこから続いているかのように世間に公表していたり・・・殆どの部分が外国生産で最後の仕上げだけ日本でやっているだけなのに純国産だと表示していたり・・・今はそういうものが以前よりは減りましたが(大掛かりな事が出来ない程に市場が縮小したため)そういう所ほど「本物」「老舗」と自称します。(もちろんちゃんとしている所があるのは前提の話です)

逆に根拠が無いからこそ「本物」とか「老舗」と名乗れるのかも知れませんね。もし伝統という冠が無ければ、そのような適当な事をしている会社はあっという間に社会から吊し上げられるでしょう。それぐらい社会全体が伝統という言葉に弱いのです。

それは業界の人間が権威付けのために行うだけでなく、エンドユーザー側も曖昧でも良しとする傾向があります。「伝統文化プレイ」をするのに事実である必要は無いからです。詳しく調べると実は疑わしい所も多いけども、集団で伝統を愛でるプレイを楽しむためのものですから、現状の権威を伝統という事にしておくと色々と便利です。そこでキチンと事実を把握しましょうよ、と主張すると「おいおい、余計なツッコミ入れんなよ」と攻撃される事になります。

だから、世の中の色々な物事は事実よりも「それっぽいもの」の方が人気が出るのは当然です。事実よりも「こうあって欲しいというイメージに近い方が選ばれる」わけです。世間の要望によってそうなっているのです。食品やその他工業製品だと猛バッシングを受けるような事であっても、伝統系だと殆ど問題にされません。

日本に限らず、古今東西、伝統文化の多くはそういう風に成り立っているのだと個人的には思っています。

戦乱があれば、勝者は歴史を書き換えますし、何かしらの文明が滅びればそれは失伝します。

過去の事は、遺物があったとしても推測する事しか出来ません。そこから100%正しく過去を遡る事は出来ません。

自分自身の事で考えても、数ヶ月前、いや数日前の事すら正確には遡れません。写真や日記に残しても、どうしてもそれ自体に無意識/意識的な編集が入りますし、記録されている事の隙間にあるものは忘れてしまっていたり、変形していたりして、正確に過去を遡る事は出来ません。

過去というのは元々そういうものだ、というぐらいにしておいた方が現状の自分が流されなくて良いのかも知れません。


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