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「新しさ・伝統・民藝」などの覚え書き

新しさについて

「新奇である事」と「伝統が持つ新しさ」は全く性質が違う

「新奇」は時間経過で色褪せるが「伝統が持つ新しさ」は時間に破壊される事は無い

物事が、新しい・古いなどの時間を超えた存在になると、それは常に最新であり、かつ常に最古である

何かの極点に達したものは、両極端の性質を同時に持つ気がします。

円を描くのに、描き始めから描き終わりで線が接すると、その点は、描き始めの地点であり、描き終わりの地点でもあるような感じ・・・

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伝統の根幹部分

伝統の根幹部分は“実質”が無時間に至ったものの集積物で出来ている

現代も人間生活に直接影響を与え機能している伝統の根幹は「形式ではなく“実質
”」である。それは“伝説や“権威ではない

「伝統」には現実的な実質があります・・・それは伝説や中身の無い権威ではなく、現実です。

だから、現代生活にも機能し続けるわけです。

とはいえ、闇雲に「昔の人はみんな凄かった」と単純に把握するのは良くないと私は考えます。博物館などに行くと昔の人たちは何と高度な文化を持っていたのだろうと感嘆しますが、しかしそれは膨大な人為と人工物のなかから、強い実質を持ったものだけが残ったからであって、消えて行ったものの方が比較にならないほど多いわけです。それは現代でも構造は変わりません。ただ、昔は現代では存在出来ないようなとんでもない人がいて、それを受け入れ、支援した民衆がいた、という事実もまたあります。

現代人にとって、今も新鮮な価値のあり続ける伝統の場合は、その様式は変化し続けるのが普通です。変化し続けないと本質を維持する事が出来ませんし、本質を維持しないと新しい実質が生まれないからです。伝統は常に新しいものを生み出し続けます。

もちろん「様式」は過去の貴重な記録として保存するべきものもありますから、様式そのものは無意味、とは考えておりません。

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伝統分野の支援について

自ら身を削って後継者育成をし、世襲のみでなく、外部の人材も取り入れ、その分野の新陳代謝を止めない努力をしているのであれば、その分野は現状、社会から隅に追いやられていたとしても、支える価値がある

・・・と、私は考えております。

私は、権威や世襲を否定しておりません。

人間は社会的動物ですので、それが文化の長期の維持に必要な部分があるのを認めないわけには行きません。ただ、上にも書いたように「それが文化の本質ではない」という事です。

しかし権威や世襲が、特定の集団や個人のために社会から利益を吸い上げる仕組みになっている場合は害になる率が高くなると考えます。だからといって過剰に清らかであるべきとも思っておりません。人間社会の話ですから清濁あるのが当然で、潔癖を過剰に望むと人間社会は機能しませんし、粛清が起こってしまいます。

私は普段から「どんなに素晴らしい文化であっても終わりが来る時は来るし、意味の無い延命は文化的に害となる」と申しておりますが、それは「現状機能していない文化は全て削除するべき」という事ではなく、非常に長く続いた伝統文化は、現代の日常生活に不可欠な存在で無くとも博物的な価値において保存・維持する必要があると考えております。

その時代には価値無く感じられても、時代が変わると新たな価値が発見され、そこから再度、社会とつながり更新される事があるからです。現状隅に置かれている伝統文化があったとして、それをしっかりした検証無く浅慮にその時代から削除して良いとは思いません。

しかし、当然、何事も終わりがありますから、終わりが来たら、どんなに抵抗しようと「実質的に終わりが来る」わけです。伝統的なものであっても、その段階に入ったものを奇妙に延命する事は、良くないと思います。

キチンとした後継者育成をし、権威や世襲が健全に機能しているのであれば、仮にその時代の人々の興味がその伝統文化に対して薄かったとしても、社会がサポートし、保存する価値があると思います。その文化の当事者が、次につなげようと身を削って努力をしているのであれば、それは生き続けたいという意思を持っていると見做す事が出来るからです。

文化は、人為と人工物で出来ていますから、当然、人間が動かなければ何も起こりません。ですから「中の人」に実質のある未来像と今現在の活動が無いのなら、その文化にも未来は無いと見做して良いのではないでしょうか。

時代が変わり、ある文化が自力で生きる事が出来なくなったのは仕方が無いにしても、その中の人々が自力で生きようとする活力も失っているのでは延命する意味も価値もありません。助成金頼りで、その収支も考えていないようなら、自ら生きて行く事を放棄しているわけですから、それは消えるべき段階に入ったと言えると思います。

そうなると助成金を得るために、いつまでも中身の無い権威や伝統を振りかざすようになります。それでは後に復興する事は無いでしょうし、後に文化に対して害になる「権威を持ったゾンビ」を生み出す事になります。

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民藝について

民藝については、私は以下のように把握しております。

民藝は途中から、ふたつに分離した
「ミンゲイ」を矛盾無く把握するには、どうしても「二種類のミンゲイが存在する事」を認めなければならない

1)民藝=柳宗悦を中心とした人々が見出した「民藝美を持った手作り品」並びに「民藝美を背景にした生活全般」の事

2)民芸=人間の生活に伴走する、その時代時代で最も有用で公共的に使われている「“今”の実用品」。それは多く、最新のものである。機械生産が進化した現在では「民藝」では重視された“手作り”のものは少ない

手作り、機械生産に関わらず昔から今もずっと使われているものもある。それは今も昔も最新という事である

どちらも、柳宗悦の民藝論と活動から産まれたと言えるのではないでしょうか。こんなの、民藝論と違う・・・と思った方々は柳の「民藝四十年」や晩年の著作、子息の柳宗理のエッセイ、民藝運動が起こった当時の社会状況を少し調べてみると良いかと思います。

民藝は最初から、現在認識されている形で社会から無条件に受け入れられたものではありませんせん。当時は反民藝運動もあったそうです。また、その当時には民藝運動と類似した他の運動がいくつかあったようです。

それに柳宗悦は晩年、自ら唱えた初期の民藝論は仮のものだったという意味の事すら書いていますし、民藝思想の下落を嘆いています。また、機械製品は否定していたようですが機械製品の品質向上に従い、それも認めるようにもなっていたようです。柳宗悦自身は自論に拘泥するような人ではなく、美に真っ直ぐな人だったのですね。

上記(1)の民藝美について

「今まで人々に認識されていなかった種類の美を世の中に提示し広めた」=
新しい美的価値観の創出」という事である。それが「民藝論」である。それはモノだけでなくライフスタイルも含めての事である

それは実質的・本質的には審美性の問題であるから、民藝論で重視した「身体的実用性」や「審美性のための制作では無い事」という民藝論と矛盾が生ずる

「民藝美は、民藝論を超えたところにある」からである。美は常に人間の思想を超えたところに顕現する


現実的に民藝館の収蔵品は「柳好みの美を湛えたもの」であって、審美性を狙って創作された装飾品もある。それは視覚的実用品である。初期民藝論の「九つの提言」に拘泥すると、むしろ事実を把握出来なくなり、民藝美を受け取れなくなる

上記(2)の民芸は、例えば電化製品や車やコンピューター、生活にまつわる道具全ての事である。当然、そこにも「機能美」と「装飾美」の両方が存在する。工業製品であっても、実用と商業と審美の激流に晒され生き残ったものが美しいのは当然である


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無銘性について

民藝の作品(?)に銘を入れる入れないという不毛な話があります。

それは「民藝論的には、民藝品は作品であってはならない」という事によります。

作者の創作的意図・その他の、精神の運動の向こう側に無意識的に産まれるものが民藝美だとされたからです。

だから個人作家の作品であっても銘は入れない。しかし、それも何だから、箱書きはしておく、みたいな話です。柳宗悦の周りの民藝系作家の作品価格は当時から大変高価ですから、商売上箱書きをしないわけにも行かないのです。(高価という点でも民藝論から外れるのですが)

しかし「過去の無垢な職人が無意識に健康的に産み出した美」というイメージは、その当時の現代人が、過去の人々が残した「モノ」を通してその当時を想像する際の、憧れや理想や意味付けが入り混じったものであって、事実とは限りません。

石器時代や縄文時代から・・・もっと前から人間は人間であり、人間は社会的動物であり、経済活動から逃れる事は出来ません。(経済活動は貨幣経済のみではありません)また、古今東西モノを作る職人に見栄や承認欲求や野心が無いわけがありません。ですから、はやり過去の人たちも現代人と同じく、ただの人間です。

それに現代人は「民藝論という知恵のりんごを食べてしまった」のですから、無意識に健全に民藝美を宿したモノを作る事は出来ません。

だから「こうだろう、と推定した条件」を全て揃えたとしても、過去の民藝の良品と同じものは現代人には作れないのです。

しかし、現代人も、民藝論に縛られなければ過去の民藝品の良品と同レベルのものが作れます。

現代でも、どんな環境であろうと思想であろうと作り方であろうと、現実的・実質的に「昔の民藝品と同等の良品をつくり、そこに美が宿れば」それは民藝品なのです。

民藝も、数多ある人為や人工物のひとつに過ぎませんから・・・

話が少しズレました・・・

無銘性の話に戻します。

民藝論で言う無銘性というのは、なかなか矛盾のあるものですが、私は無銘性というのは以下のようなものであろうと考えます。

人為・人工物の本質が公共性を帯びる事で、固有名詞が消え、一般名詞化する事により「無銘性」を得る

・・・しかしこれは特別な事ではなく、昔から起こっていたと思います。

簡単に言い換えれば「みんなが知っていて、みんなが使っている当たり前」になってしまえば、固有名詞は消えて一般名詞化=無銘になってしまうのです。

ですから「民藝」も実質的には既に一般名詞化しています。民藝論や民藝的審美性、民藝的ライフスタイル自体が、もう実質的には無銘状態です。

多くの人が民藝にまつわる制作をし、民藝品を使い楽しみ、民藝にまつわる雇用も生まれています。「民藝」は、日本文化のいち分野として、特別なものではない当たり前に存在する大河になっていますから・・・これは物凄い事だと思います。

物事が無銘に至る例としては・・・

・・・今、誰でも当たり前に使っているパソコンも、その発生を調べれば驚くべき人たちが、驚くべきを事をやってのけた事で生まれ、それが社会に広まり、社会に無くてはならないものとなったわけですが、その始まりを知っている人は殆どいませんし、それを知らなくてもパソコンを使いこなせます。パソコンはパソコン。ただそれだけになっているのです。

和装で言えば・・・

今では当たり前どころか、和装の帯で最も良く使われる「名古屋帯」は、大正時代、越原春子氏が自ら考案し、着用していたのを中村呉服店(現名古屋三越)の小澤義男氏が着目し「名古屋帯」と命名し、社会に広めたそうですが(以下リンクに名古屋帯の発祥の解説があります)

そんな事を知っている人は殆どおりませんし、それを知っていても、日常、意識には殆ど登らず、ただ「名古屋帯は名古屋帯」として使っている事でしょう。

名古屋帯を生み出した人の事が社会の人々から意識される事が無くなっても、名古屋帯という形式の、実質・本質は変わらず、その個性も変わらず、時を超えて残ります。名古屋帯からさらに進化・簡略化した帯も発生しました。

人為や人造物の固有名詞が一般名詞化する事によって・・・個人の名前が実質的に消滅する事によって、その本質は「時間を超えたもの」になるのです


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