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【記憶の街へ#4】恋か憧れか

お盆で帰省し、父が眠る墓を掃除していた。
ボクは上から下まで墓石を磨き、妻はすっかり枯れた花と汚れた水を捨て、新しい花を生ける。
高校生の娘は、ゆっくりと歩く母の手を引いてこちらに向かってきている。
我が家の墓は墓地の外れにあり、ボクの背丈より高いブロック塀の向こうには民家が並んでいる。
その民家から女性の声が聞こえた。
「ホラ!何やってんの?早く準備しなさい!」
そのちょっと揺れるような高く特徴のある声に、ボクは動きが止まった。
間違いなくTの声だ。
懐かしさに胸が鷲掴みにされる。

Tはひとつ年上で、出会いは小学生の時に通っていた算盤塾だった。
Tは小学校を卒業すると算盤塾を辞めたので、それから一年間は会うことがなかった。
そして一年後、ボクたちは再会した。
再会したと書いたが、その言葉でイメージするような想いはなかった、はずだった。
しかし、中学一年生から見る二年生は大人に見えた。
Tはすっかり背が伸びていて、当時流行りのアイドルの髪型も似合っていた。
そしてセーラー服の胸は控えめながらも柔らかそうに膨らんでいた。
声をかけられてボクは、何も言えずに立ち尽くしていたと思う。

やがて中学校にも慣れたボクは、自転車で通学するようになった。
ボクが住むエリアは徒歩通学だったが、自宅から学校までの20分がダルい。
そこでボクは自転車に乗り、学校の近くに住む同級生の家に置くことにした。
ある日、いつも通り自転車に乗っているとTに会った。
「あー!こら、不良少年!乗せていけ!」
そう言うとTは自転車の後ろに横になって座り、片方の手をボクの腰に回した。
母以外の女性と、こんなに密着したのは初めてだった。
シャンプーなのか石鹸なのか、花のような香りが鼻をくすぐる。
胸が高鳴るのを悟られないように、ボクは冷静を装いながら、
「何してんだよ〜、重いじゃんかよ」
と言ったことだけ覚えている。

それからTがボクの自転車に飛び乗ってくる毎日は続いた。
話す内容は、前日のバラエティ番組だったり、人気アイドルの話だったり、くだらないことばかりだったが、そのたった10分が学校に行くモチベーションになった。

学校ではいつもTの姿を探していた。
窓際の席から校庭を眺めると、Tの学年のえんじ色の体操服が、体育の授業で出てくる。
授業を聞いていることなんてできなかった。
そしてTを見つけると、ボクはずっとその姿を追い続けた。
当時ヒットしていた村下孝蔵の「初恋」が頭に流れていた。

Tとのそんな日々は続いていった。
この気持ちを伝えたかったが、自転車でくだらない話をする毎日が壊れそうで怖かった。
勇気を振り絞るには、この時期のたったひとつの年の差は大きすぎた。
そして当たり前だが、彼女は先に卒業していった。
それっきりだ。
恋なのか、憧れなのか、ほんのり甘い思い出として残っている。

お盆の墓地は蝉の声が響いていた。
その音を遮るように聞こえるあの声は間違いなくTだ。
Tが塀を挟んでたった数メートル向こうにいる。
この墓の台の部分に乗れば、塀の向こうが見える。
Tの顔が見たい。
「聞いてる?お義母さんが古い塔婆取ってだって」
妻の声で我に返った。
ボクは色褪せた塔婆を選んで台から抜く。
あれから37年が過ぎ、お互いに50歳をこえた。
この先の人生で重なることがないなら、Tの姿は中学生のままの方が良い。

今でも村下孝蔵の「初恋」を聴くと彼女を思い出す。

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