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血の繋がらない祖母の墓前には、ハイライトとピースを手向けた

「由希路を2年だけ私に預けさせてくれないかな。2年、私の手元に置いたら、ものすごく面白い子にして返してあげる。できればさ、あたしの養女にしたいんだけど。ハハッ、ひとりっ子だから、それはダメか?」

父の継母・林タネ、通称・ナイナイちゃんの言葉である。これを聞いたウチの両親は、ポカンとしていた。一方、その場にいた小学3年の私はワクワクした。「おもしれえじゃん。ナイナイちゃんの養女って!」。両親を見ると、静止画のようにまだフリーズしている。その様子を見たナイナイちゃんは「無理かぁ。由希路、ひとりっ子だもんね。無理かぁー」と苦笑しながら、この話を切り上げた。

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ナイナイちゃんは、明治38年3月1日生まれ。父・宏一は大正10年生まれで、翌々年の関東大震災で一家の財産が消失したことから、中国・大連に移り住む。父の実母・よ志子は大連で他の男性とデキてしまい、父の実父・明と昭和10年9月19日に協議離婚。翌々月の11月11日、ナイナイちゃんは前夫との2人の子どもを連れて、明と入籍する。

父・宏一は、異国の地で自分たちを捨てた実母・よ志子のことを、自分が60歳近くになるまで許していなかった。逆に、中国語・英語堪能で強烈に頭の回転が速い16歳年上のナイナイちゃんに対しては、大連に颯爽と現れた救世主のように思ったのか、異様なまでに心を許し、何でも相談している。父は「ナイナイちゃ〜ん」と甘ったるく呼び、一方ナイナイちゃんは父を「ヒロカズ〜」と呼ぶ。宏一(コウイチ)を、敢えて違う読み方で呼ぶことで、あだ名にしているのだ。正直、子どもの私は「ナイナイちゃんとお父さまって肉体関係があるのかな?」と思ったことが何回もある。

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おそらく私はナイナイちゃんと同居したら「お父さまとセックスしたことあるの?」と聞いたであろうし、ちょいちょい男友だちを連れ込んでは徹マンをやる彼女に閉口して、「おばあちゃんなんだから、ちゃんと私を見てよ」と言っては「孫だからって、何でも面倒見てもらえるとでも思うな。あたし、今、麻雀勝ってるから、ハイ、ファンタグレープ買ってきてぇ〜」と、鮮やかに返され、ファンタをすごすごと買いに行かされるだろう。まあ、時々腑に落ちないけど、子どもと同じ目線に落として物を言い、丁々発止の面白いやり取りができるナイナイちゃんとの会話はやっぱり痛快だった。

それに、毒親で支配的だった母親と正反対の態度で接してくれたというのも大きい。彼女は、子どもである私の意見をないがしろにしたことがほとんどなかった。私が何気なく言った言葉でも、面白いと思った瞬間に「へえ、何でそう思った?」と必ず聞く。すると、私はナイナイちゃんの質問に答えているだけで、自分でも思いつかなかった考えがするすると出てきて、自分の世界が一つまた一つと広がっていくような気がしたのだ。自分の目の前に屹立するかのように立ちはだかる母と違い、一見すると人の話に関心がないように見えて、いつも自分の左斜め前に座って一言一句漏らさず話を聞いているナイナイちゃんは、私からすると理想的な「ななめのばあちゃん」だった。

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死ぬまで語学が堪能だったナイナイちゃんは、渋谷のハチ公前で待ち合わせる度に、欧米人と談笑していた。また今の国際情勢でいうと、北朝鮮並みに出入国が困難だった当時の中国に、香港経由で頻繁に出入りしていた。ちょうど文化大革命が終わり、毛沢東の妻・江青ら四人組の裁判を行っていた時期だ。中国人の友人を訪ねていたというが、本当のところ何をやっていたのかはわからない。

いつも北京の骨董通り・瑠璃廠で京劇に出てくるようなデカい扇子を買ってきては、「中国土産ぇ〜」と言って渡してくれるナイナイちゃん。ある時、一緒にNHKの7時のニュースを観ながら彼女の放った言葉が、私のその後の人生を決定づけたと言っても過言ではない。

当時のNHK・7時のニュースは、10分間の尺で6分が国内情勢、3分が日米関係、残りの1分弱で中国、韓国といったアジア情勢を流していた。それを観た私が、「ナイナイちゃんがいつも行く中国って、隣の国って言うけど、ニュースだと北京から15秒ぐらいしか放送しないから、国のことが全然わからないね」とつぶやくと、彼女がバッと振り向いて「由希路、その視点が大事なんだよ!」と言う。

「NHKのニュースっていうのは、扱うニュースの長さで、この国がどこを向いて政治をしているのかがわかる縮図なんだよ。北京15秒でしょ? ソウル10秒でしょ? アメリカのホワイトハウスからの中継が何分? 3分でしょ? この国はアメリカに向けて政治をしているのさ。もっと言うと、アメリカしか見ていないのさ。わかる?」

ナイナイちゃんは続ける。「由希路さ、香港とか台湾のニュースを現地で観るといいよ。向こうで7時のニュースを観ると、日本のニュースなんて7時4分ぐらいで出てくるよ? 情勢が安定していない地域でのニュースは、周りの国の情報を詳しく伝えるからさ。自分の国や地域が、周りからどう見られているのかが気になるんだよ。日本は独立国で安泰じゃない? でもその分、アメリカしか見ていない」

「日本はアジアの国なのに、アジアを見ていないよね」と私が言うと、「そうそう」と言いながら、彼女は煙草のハイライトに火を付ける。ナイナイちゃんが吸う煙草の濃厚な煙で部屋が白んできた頃、彼女に聞いた。「ねえ、日本ってさ、どこでも自動車が走ってるでしょ? 何で中国の人は自転車ばっかり乗っているの? 車がないの? お金がないの?」

「何でみんなが自転車に乗っているかは、教えてあげてもいいけど、今は由希路に教えないよ。北京に行けば理由はわかるし、10年後、由希路はパスポートを取って、多分中国に行くでしょ。その時に自分の目で見て確かめればいいよ。車はあるにはあるんだよ? あと貧しいとか、そういうことが理由じゃない……」

実際に私はこの約10年後、北京大学へ語学研修に行っている。大学では中国の政治・文化を専攻し、中華圏の渡航歴は延べ40回を超えた。

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NHKニュースの考察後、半年もしないうちに両親は別居し、ナイナイちゃんは家に来なくなった。それから約1年後、小学校の授業中に、私は至急帰宅を促された。ナイナイちゃんが亡くなったというのだ。死因は肺がん。「肺がんで死んだら本望だ!」と言って笑っていた、超ヘビースモーカーの理想的な死に方である。

「今日納骨した」という連絡で、急いで私は母とナイナイちゃんの墓地に向かった。最寄りのバス停から歩くと、遠目に見ても、墓地から妙に白い煙が立ち上っている。墓標を目の前にすると驚いた。右手にハイライトのソフトケースが10段ぐらい積まれ、左手には両切りのピース缶が3缶積まれているのだ。おせっかいにも汚い字で「線香手向けるべからず」と書かれたボードが、墓の中央に鎮座する。ナイナイちゃんを晩年まで楽しませた男友だちが書いたのだろう。

書かれた通りに私はハイライトに火を付け、母は両切りのピースに火を付ける。あまりの煙の濃さに、母娘でむせる。「由希路を2年だけ預けさせてくれ」の2年は、自分の死期を悟ってのことだろう。血はつながっていないが気の合う孫に、彼女が伝えたかったことは何だったんだろうと想像する。でも、ナイナイちゃんはいつだって真剣勝負で私に接してくれた。私は彼女からのメッセージを、もう十分すぎるくらいに受け取っていたのだ。

ちなみに線香代わりに手向けられたピースとハイライトの煙は、近所でも噂になっていたようで、後日墓地で小火が起きていると通報されたらしい。「ハイライトを手向けるなんて、松田優作かよ!」と言って笑う私と母の会話を聞いたなら、きっとあの世からケラケラと乾いた笑い声で返されるに違いない。


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