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132. 「試合に出れない子ども」がいること自体おかしいんだよ

励ます前に、前提を疑おう

先日、とある方のこんなツイートがタイムラインに流れてきた。

先日の試合。朝から「今日はずっとベンチだー。」「ベンチ、頑張るわ・・」と息子。案の定、1日目は1分も出られず、ずっとベンチ。2日目は得点差がついたため、その試合のハーフだけ出場。帰りの車で、「お母さんは試合に出れない子の親で不幸だね」と落ち込む息子。思わず泣きそうになった。なんでこんな思いまでさせてまでこのチームにいるのかな。「サッカー、好き?」と聞くと「好き!」と即答の息子。よかった、サッカー嫌いになってなくて。今晩もボールタッチとトラップ自主練頑張っていました。上手いよ!頑張ってるね!
#小学生サッカー
#補欠の子の親

サッカーの試合に出れていない子を持つお母さんの投稿だった。これを読んだ僕は、本当に悲しい気持ちになった。小学生、ユース世代の段階において、「上手い子は試合に出る、下手な子は試合に出れない」という事実は、もちろん許せない。

でも、僕がもっと驚いたのは、このツイートへのリプライ欄の意見だ。

そこには、様々な人からの励ましの言葉が並んでいた。「試合に出れてなくてもチームの一員ですよ」とか、「いつか認めてくれる人が現れます」とか、「試合に出てくる子はベンチの応援があるから頑張れる」とか、「あきらめずに努力しよう」とか、「努力は決して裏切らない」とか、そういった温かい言葉が多くの人から送られていた。

これらの言葉は、試合に出れていない子、そしてその親御さんを思って多くの人が伝えたメッセージだ。人を思いやる優しさが多くの人から溢れ、それによって投稿者さんも励まされる、素晴らしい出来事だと思う。

だが、僕はここで一つ疑問を呈したい。

なぜみんな、「試合に出れない子どもたちがいる」ことを当たり前の前提として話しているんだ。

試合に出るための競争を経験するのは、もっと後からでいい。「試合に出れていない選手の気持ちを背負う」とか、「ベンチでもチームのためにできることがある」といった感情は、試合に出るための競争を通して学べばいいことで、そもそもその競争をする必要がない子どもたちに背負わせる感情じゃない。こういった感情を抱かせることは、試合に出れない子どもたちが存在することを肯定化する大人のエゴに他ならないと思う。

ユーススポーツと競技スポーツ

僕がここで言いたいことは、ユーススポーツについての話だ。高校や大学、プロレベルで試合に出れないのは、ある程度は仕方ないことだとおもう。(高校生で試合に出れずに3年間補欠で終わるなんて出来事にも問題を感じるけど今回は割愛する)

ある程度年齢を重ねた選手が試合に出れない状態と、小学生の子どもたちが試合に出れない状態は、完全に別物だ。訳が違う。

ユース世代を過ぎた選手たちは、基本的に「自分の意志」で強豪校なりクラブチームに進むことを決める。そしてそういったチームは、勝つことが必要とされる組織だ。レベルが上がれば上がるほど、勝利に対する期待や責任は増していく。だからこそ、競争もシビアになる。こういった組織に所属する選手は、自分自身がその道を選び、その場で競争に参加することを選択するわけだ。そして競争の中で、技術の足りなさや実力不足が原因で「試合に出れない」状態になることがある。でも、それに対して言い訳はすべきではない。なぜなら自分でその場に参加することを選んだわけだから。「下手だから試合に出せない」とコーチに言われたなら、その評価を覆すためには自分自身が変わるしかない。厳しいけれど、それが当たり前とされる勝負の世界だ。

でも、子どもたちは違う。

ユーススポーツと競技スポーツは全くの別物だ。

子どもたちは、それがサッカーでも、バスケットボールでも、野球でも、アイスホッケーでも、「このスポーツがやりたいから」、「このスポーツが好きだから」という最も尊く、純粋な目的を持ってチームに入ってくるのではないだろうか。その子たちにとって、スポーツをする場所は「楽しい」時間であるべき場所なのに、それを壊しているのは大人の都合に他ならない。

「今日もベンチ頑張るわ・・・」なんて言葉は子どもたちが絶対に口にすべきではない。絶対に子どもたちに言わせてはいけない。

試合に出れないことで学べることはもちろんある。自分に何が足りないのかを見直す機会になるし、控えの状態からレギュラーになるために何をすべきか必死に考えるようになるし、普段の練習でも試合と同じくらい、いや、それ以上の緊張感を持つようにもなるだろう。そしてその日々は、成長には必ず欠かせないものになる。僕も大学2年生のとき、試合に出れない時間を過ごしたからこそ、学べたことが本当に多くある。

ただ、こういった経験はもっと時が経ち、子どもが競技スポーツとしてスポーツを続けると決めてからでいい。小学生が経験すべきものではない。

親が月謝を払い、遠征費を払い、ユニフォームを買い、そして何よりも「子どもがサッカーをやりたくてチームに入っている」のだから、試合に出ることは子どもたち全員が享受すべき当然の権利だと僕は思う。そこに実力は関係ないはずだ。

「あの子は試合に出れない中でも努力を続けているから偉いなあ」ではなく、そもそも試合に出れないこと自体がおかしいことに気付かないといけない。特に僕ら大人たちが。

試合に出れない子どもたちが存在するのは当たり前じゃない。上手い子は試合に出れて、下手な子はベンチという概念自体に対して、僕らはもっと違和感を感じるべきだ。どう考えても間違ってる。

そして僕は、この出来事を引き起こす最大の原因が、コーチ、親、そしてリーグのシステムだと思っている。順番に話していく。

コーチの役割

まず、僕はユース年代においてそこまで勝利にこだわる必要はないと思っている。この試合に勝ったから、あるいは負けたからといって、その子の将来が決まるというわけではないからだ。試合を通して、勝利を目指すこと自体は悪いことではない。ただ、コーチが「勝利にとらわれる」と、こういった悲しい思いをする子どもたちが出てきてしまう。練習とはまた違う感覚を得られる試合という場は、子どもたちにとって本当に楽しい場のはずだ。普段一緒に練習している選手ではなく、他のチームのプレイヤーたちと対峙し、全力でプレイし、そして勝利の喜びや敗北の悔しさを体験すること。これこそが試合の最大の楽しみであり、子どもたち全員が得るべき「快感」だと思う。相手からボールを奪ったり、逆に奪われたり、ボールを追いかけて全力で走ったり、ゴールを決めたり・・・この感覚は、子どもたち全員が「当事者」として感じるべきものだ。「傍観者」としてその様子をベンチから見ている子どもは、本来あるべき姿ではないだろう。

だからこそ、ユース年代においては、「チームを勝利に導くコーチ」ではなく、「チーム全員を試合に出場させるコーチ」こそが真の評価を得られる世界になってほしいと心から願う。

親の役割

そして、これを実現するには、親自身(特に試合に出ている子どもの親)も、全ての子どもたちがなぜチームに所属しているのか、なぜこのスポーツを続けているのかの意味を、改めて考えるべきだろう。上手い子を持つ親からしたら、「あいつじゃなくてうちの息子/娘を試合に出せ」と言いたくなる気持ちが出てくるかもしれない。もちろん、上手い子が出た方が試合に勝利する確率は上がるだろう。

でも、もう一度考えてほしい。目の前でプレイしている子どもたちは、浦和レッズのFWでもなければ、巨人のピッチャーでもない。「このスポーツがやりたい」という想いを持って足を踏み出した子どもたちだ。その子たちにとっては、勝利することだけが目的ではない。「試合を当事者として楽しむ権利」は上手い下手に関わらず、平等に与えられるはずだ。だからこそ、子を持つ父兄の皆さんには、どうか寛大な心を持って子どもたちみんなが純粋にそのスポーツを楽しむ瞬間を温かく見守ってほしい。

競技構造について

最後に、システムについて。言ってしまえば、試合に出れない子どもを生み出す一番のきっかけとなっているのは、競技構造にあると思っている。もし仮に、コーチが平等に子どもたちを試合に出すようになると、今度は子どもの間で下手な子を排除する動きが出てくるかもしれない。だからこそ、自分の実力にあった場所を選べる環境を大人がしっかりと整えてあげる必要があると思う。

そもそも、子どもたちに対して「なぜ全員が試合に出るべきなのか」をコーチや親がしっかりと説明してあげるべきだけど、それと同時に、皆が自分のレベルにあった場所でプレイできることが当たり前になるべきだ。高い旅費と時間を払ってトーナメントに参加して、結局試合に出れたのは終了間際の1-2分だけなんてことが今日スポーツ界でも当たり前に起こっている。はっきり言って、試合をするために遠征をしているのに、その試合に出れずに大会が終わっている中で、子どもはそこから何を学べばよいのだろうか。「勝つためには試合に出れない選手が出てくるのは仕方ない」という意見もきっとあるだろうけど、そもそもレベルの均等化がされていない場所で試合をしたところで、本当の成長には何一つ繋がらないと思う。「15対0で負けたけど強いチームと試合が出来て良い経験になったね」なんて言葉は、目の前の実力差を正当化し子どもたちをだましているだけだと、僕は思う。

だからこそ、試合数の担保、レベルの均等化、そして出場時間の確保を運営側が整えていかなければいけない。トーナメントに参加して1回戦負けで、「はい終わり、お疲れ様でした」なんて残酷すぎる。自分が全く手の届かないレベルの人たちと試合をしたところで、成長は生まれない。それは強いチームにとっても、弱いチームにとってもそう。完全な実力差のあるチーム間での試合は、双方にメリットがない。明らかにレベル差のあるチーム同士が対戦しないように、例えば同じ大会でも強いチームをAグループ、弱いチームBグループに分けて、自分たちの実力に合った相手と対戦し、どのチームも勝ち負けに関わらず最低3-4試合は必ずできるような仕組みを作ることはそこまで難しいことではないと思う。そもそも、そんなに「優勝」にこだわる必要すらないのかもしれない。自分も海外のトーナメントに参加したときに、「勝ち上がる」という概念よりかは、「試合数をこなす」ことにフォーカスをしていたことに驚いたことがある。「どこが優勝なの?」と聞いても、「それはあんまり関係ないよ」と言われた。

試合にたくさん出れる場所、同じくらいのレベルの相手と対戦できること、そして何より、自分が「楽しい」と思える場所を大人が用意してあげることで、子どもたちの得られる経験や上達スピード、スポーツに対する喜びは格段に増すのではないだろうか。少なくとも、「試合に出られないからこのスポーツはつまらない」と感じる子どもの数は減るはずだ。

最後に

僕らは常にバイアスにとらわれ続けている。物事が当たり前に存在していると、その前提を疑うことをいつしか忘れてしまう。

このnoteがきっかけとなり、改めて「試合に出れない子どもが存在すること自体の不自然さ」に気付く方々が増えれば、それほど嬉しいことはない。

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。

三浦優希


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