見出し画像

君の青い車で海へいこう

小学5年生の頃。2つ上の姉の影響でスピッツを聴くようになった。
カッコいい男子が『青い車、いいよな~』と言ったのを教室で耳にしたらしい。我が姉ながらミーハーの極み的きっかけである。

おかげで私はスピッツの素晴らしい世界を知ることができた。暇さえあればCDデッキの前で曲を聴き、歌詞をノートに書きだす遊びに没頭した。
何度も聴き、何度も書き連ねた。草野マサムネが作り出す、かわいくてとがった世界をなぞる遊び。
当時はアルバム『ハチミツ』のあたり。
ノートはどこかにいってしまったが、いつしかスピッツを愛してやまない私が爆誕していた。
(『チェリー』発売の時は、町のCD屋さんでドキドキしながら購入、帰宅後厳かに再生ボタンを押し、心が震えすぎて1人止まらない涙に戸惑った思い出。初めて曲を聴いたときに涙があふれたのは、37年の人生でこの時の『チェリー』とくるりの『ブレーメン』だけ)

幼心にベースの田村氏(リーダー)に惹かれた。
以降、”塩顔”の人を好きになる傾向あり。現在のマイナンバーワン塩顔はジャルジャル後藤氏。素敵な塩顔スマイル。
がしかし、小学生ハナタレ女子にとって、ベース音は哀しいかな【見えないもの】だった。
いうまでもなく楽曲の背骨ともいえるリズムの要なのだが、ボーカル、ギター、ドラムのわかりやすい華やかさの裏で、まるで聴こえていないかのよう。

「メンバーからもし1人いなくなるとしたら、残念だけどきっと田村氏だろう」
君の青い車で海へいこう、置いてきた何かを見にいこう、うっとり歌いながら勝手に妄想した。
(こよなく愛する田村氏に対して大変失礼な思考回路、また世界中のベーシストを冒涜する失礼な発言であることを当時の自分になりかわって謝罪します…なお、現在の私はスピッツメンバー誰ひとりとして、そして世の中のあらゆるベーシスト様は誰ひとり欠かせないと思考しています)

実はこの「もしもここから1人いなくなるとしたら」という妄想は、物心ついた時からの癖みたいなものだった。
姉・私・弟の3人きょうだい。もしも1人いなくなるとしたら、私だろう。
空に流れる雲があるように、海に湿った潮風があるように、森に裏返る葉っぱがあるように。当然のようにずっとそう思っていた。
定期的に酒飲みの暴君となる父を中心に、多々機能不全に陥ることもあった原家族ではあった。

がしかしその暴君からでさえ面と向かって「ここからいなくなるように」と命じられたことは一度もなかったのに。

謎思考の中身はこんな具合だ。
姉は第1子でたいそう喜ばれた。弟は初めての男の子でたいそう喜ばれた。
私は?また女の子か、そう思われたのではないか?
父母が男の子を切望していたとしたら、生まれ出た瞬間、失望させたのではないか?

当時は、生まれてくるまで性別が分からない、というのがまだ普通の時代だったから。
自分の誕生が姉や弟と同様に、親を喜ばせることができたのだろうかと幼心に心配だったのだ。
何度も言うが、誰かに何か言われた記憶は一切ない。
しかし、いつしかそういう思考が自然発生的に染みついていたのは確かだ。
年の瀬ギリギリ年内!に生まれた私に、父が会いに来たのは正月になってからだったと聞いたせいかもしれない。
私は父を喜ばせることができなかったのではないか?
疑念はいつのまにか確信になっていた。

田村氏への妄想から少し時は経ち、思春期。たくさんの恋をした。
幼すぎて、恋とすら呼べないものがほとんどだったが、高校時代のそれはほとんど強迫的だったと言っても良い。
常に好きな人がいたし、恋人のいない期間はどんなに長くても2・3ヶ月だった。
誰かと付き合うことで、自分の中の「もしもいなくなるとしたら」を封印することができたのかもしれない。
でも、そういう恋はまったく長続きしなかったし、痛い目も見た。ずるい自分に失望しながら、大人になっていった。
大学生の卒論の研究テーマに親子関係と自尊感情を選んだことも面白いくらい自分を映していると今となっては大納得。

さらに時は流れ、転機が訪れたのは20代。
社会人として働き始めた地元の職場。
上司(管理職)からきょうだい構成を尋ねられ、シンプルに答えた。
「姉、私、弟の3人きょうだいです」
すると上司は「そう。そしたら、あんた”いらん子”じゃな」と笑顔で言い放ったのだった。
私は自分の中にずっとくすぶっていた奇妙な思考のルーツのようなものを見た気がして、盛大に腑に落ち「そうですね!」と答えた。
心はむしろ晴れやかだった。
私が縛られていたのは、こんなちっぽけな言葉だったのかもしれない。風土に文化に集合的無意識に刷り込まれた何重もの思い込みの断片をひたすら有り難く握りしめてきただけだった。

働く大人になり、晴れ時々機能不全家族から自立して旅立つタイミングも重なっていたのだろう。
その日を境に「もしもここから1人いなくなるとしたら」と妄想することはピタリとなくなった。
ベースの見えない音も、腹から聴き分けることができるようになった。
闇雲な恋に飛び込むこともなくなった。
上司の発言は褒められたものではなかったかもしれない。
だけど呪いが言葉になって、思い込みに形が見えて、そしてゆるやかに解放された。

今だって時折【がっかりされること】への古傷が暴れだすこともあるけど、もう大丈夫。
「いらん子」は1人もいない。逆説的にそれがわかって、ようやく私は私のことをわかり始めた。この歳になってもまだ不完全な地図で心許ないところもあるけれど。
君の青い車で見にいこう、遠い海と、遅い自尊感情の芽生えを。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?