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さぁどうする?ママの単身赴任

ここ数年は色んな意味で本当に忙しかった。

自分なりに地に足をつけて頑張ってきたつもりだけど、現実には少し上滑りしていたかもしれない。このnoteを活用して、自分の気持ちを言語化することで、メタ認知出来たらなと思う。

4年前の9月。

会社員にとっては避けて通れない異動。それはうちの会社では4月と10月に訪れる。

年に二回、愛社精神を試す踏み絵のような本当に嫌な行事だ。

私は大阪のオフィスに向かう電車で上司から面談のメールを受けとった。

1人娘はまだ幼稚園児、旦那は沖縄に単身赴任中。自宅のある大阪では保育園の待機児童で苦しみ、無認可保育園に預けて何とか育休復帰したものの、園庭もない狭い二間続きの園に預けることの後ろ髪引かれる苦しさ。それもさらに1年は続きそうだった。悩んだ末、実家がある京都のとある市役所に相談に行き、何とか入所にこぎ着け、娘に落ち着いた保育園生活を過ごさせてやれると安堵していた。

こんな状態の私にまさか転居を伴う辞令が下りるとは。なんて情け容赦ない。

とうとう私にもその日が来てしまったのだ。

さぁどうする、私。

内示の翌日。

私はいてもたってもいられず、会社を休み、東京へ向かった。自分がこれから働く場所へ実際に行き、そこで本当に働きたいのか? 娘が安心して暮らせる場所なのか? 自分の気持ちを確かめたかったのだ。

社会人になって3社目の会社。これまでもずっと関西で働いてきた。

これからもきっと大阪を中心に働いていくのかな、そう思いながらも、心のすみで東京で働いてみたい気持ちもほんのり抱えてはいた。

たはだ家庭の事情でそれは叶わないだろうと考えていた私。そこに降ってわいた内示。

実際に直面すると、こうもオロオロするんだと我ながら驚いた。

さぁどうするよ、私。

東京のオフィスを実際に確認したあと、区役所で東京の保育園事情を聞きに行く。想像の通り、突然の入所は大阪よりもさらに難しい。

東京から戻った私に母が一言。

「まずは一度1人で行ってみたら?今だって私が育ててるようなもんなんだから、何とかなるわよ」

実家近くの京都の保育園に入所してからというもの、大阪のオフィスまで、通勤は軽く往復3時間。冷静に考えると母におんぶに抱っこの育児だった。

なんてこった。

新幹線で今後の生活をあれやこれやとシュミレーションをしながら帰宅したものの、悩んでいたが。

こうして母から、どん!と、背中を押して貰い、私の腹はビシッとすわった。

私が決めたプランはこうだ。

月曜日に新幹線始発に乗り出社、金曜日の夕方フレックス退社し新幹線に飛び乗り帰省する。

これだと娘の寝顔も含めて見れないのは火水木の3日だけ。

小学校入学までの残り1年半をこれで乗れたら。月に数日の在宅勤務も可能だから、これも使えば娘に会えないのは週に2日まで短縮できる。

毎週出張、もしくは連続夜勤の仕事だと思えば、何とかごまかしながら乗り越えられるかもしれない。

そう、出稼ぎかあちゃんに、なればいいのだ。

1つだけ心に決めたこと。
それは、なにより娘を不安にしてはいけないということ。母としての演出は大事。

複雑な心境を抱えながらも、とにかくそれだけは十分気を付けた。

私は、オフィス近くにマンションを借りた。

東京駅にも近く、これなら新幹線へのアクセスも便利。東京での生活基盤を早く作り、娘を受け入れる準備を整えることに集中しよう。娘を迎える時は、もう少し広いマンションを借り換えよう。それもオフィスの近くに。

東京に住む私と京都に住む娘と祖母、沖縄で単身赴任の旦那、週末しか帰らない大阪の自宅。4つを拠点にした私たちの綱渡りのような生活が始まった。

月曜日の早朝、薄暗い中、スーツケースをガラガラ引いて新幹線に飛び乗り、金曜日の夕方またスーツケースをガラガラ引いて新幹線に飛び乗る生活。

そうこうと、何とか生活が起動に乗り始めた頃、私はさらに自分を奮い立たせる決意と行動に出ることになる。

次回は、社会人大学院へ入学した生活について振り返りたいと思う。

#自分にとって大切なこと

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