映画「夢みる小学校」
きのくに子どもの村学園の実践のドキュメンタリー映画をみてきました
https://www.dreaming-school.com/
きのくに子どもの村学園は和歌山、福岡、福井、長崎、山梨の5箇所にある、文部科学省一条校として認められた、一般的な画一化された教育から脱した実践を試みている学校です
注:一条校とは、学校教育法第一条に規定された学校のことで、ちゃんと卒業証書が与えられます。フリースクールやインターナショナルスクール、のなかには、一条校ではない学校もあり、その場合、子どもは近隣の公立小に籍を置いておきます。
私の認識では、このように公立の規範(伝統的教育・画一化された教育)にとらわれない教育はオルタナティブ教育と呼ばれます
「オルタナティブ(alternative)」とは、主流のスタイルに代わる新しいものという意味です
オルタナティブ教育を推進している方たちは、自分たちの教育が「オルタナティブ」ではなく当然の選択肢のひとつになることを目指していると思いますが
きのくにの教育理念はこちら↓
オルタナティブ教育の中でも、特に子どもたちが学校運営や授業内容を決定していく学校は、デモクラティックスクール(democratic school)とか呼ばれたりもします
私が知っているのは、イギリスのサマーヒルスクール、アメリカのサドベリーバレースクール、ポルトガルのエスコーラ・ダ・ポンチ等があります
私は現在公立小学校の教育に関わっていますが、大学生時代からずっとデモクラティックスクールに惹かれ続けています
なんでそんなに惹かれるのか、その思いを、この映画の感想をもとに語りたいと思います
まずは子どもたちの心が生きている!
一番いいなと思うのは、やっぱり子どもの心が生きているなと思うんです(抽象的に思われるかもしれないのですが)
あくまでも映画で切り取られたシーンではあるものの、子どもたちが生きることを心から喜んでいるのがわかります
子どもたちが自分は生きていることを世界から受け入れられていることを体験的に理解できているようでした
これは頭で理解することではなく、体験的に理解できるものです
学校に特に違和感なく過ごしてきた人たちからすると「は?」と思うかもしれません
ひょっとしたら、大人になっても「心から生きる」意味が体験的に理解できていない人もいるかもしれません
また、画一化された学校の中でも、周囲に囚われず、ひたすら自分のペースで自分らしさを育てていける人もいるでしょう
一方で、学校によって(または社会や親の影響によって)、心が死んでしまう子どもたちも沢山います
言語化できればいいけれど、子どものうちはその被抑圧感を言語化できない子も多いです
なぜ心から生きられないのか?
それは、自分は意味のある存在である、世界は面白いんだ、ということを体験的に理解できないからだと思います
それが理解できれば、別にどんな学校にいたっていいと私は思ってます
自分は意味のある存在である、世界は面白いんだということを一握りの子どもたちだけでなく、すべての子どもたちが感じられるためには、やっぱり画一的な一般的な教育では限界があると思うんです
そこで、「自己決定」によって自分の意見は聴かれるに値することを経験し、「個別化」によって自己と対話し、「体験学習」を通して世界と向き合うことで、他人事だった事象がすべて自分事になっていくと思います
一般的な学校では、効率化のために大人の管理が行き届きすぎていて、子どもたちは大人によってすでに定められた枠組みの中で、ほぼ決められたレールを歩かされるだけになってしまいます
そこで子どもが凝らせる工夫なんてほんとわずかです
多くの学校は決められたことをこなすのに大人も子どもも大忙しで、何かにこだわったり、話し合ったり、工夫する余裕なんてないんです
そんな世界で「自分らしく!」とか言われても、ほとんどの子どもたちがポカーンなのではないでしょうか
民主主義は楽じゃない
そう、民主主義を貫いた教育をするならば、それは楽じゃないんです
そんなうまくいくはずはないんです
だって民主主義も楽じゃないんですから
でも、それでいいんです
民主主義の面倒くささを経験し、面倒くさいのが面白いってことを知れなければ、どうやって異なる他者と折り合いをつけて生きていくのでしょうか
どうやってともに問題解決していくのでしょう
それを知らないから、多くの大人たちが、自分の意見を持たないようにしたり、社会に無関心だったり、自分の意見を人に強制したりするんでしょう?
きのくに子どもの村中学校を卒業する子たちのスピーチやインタビューがあったのですが、とてもしっかりしててとても大人っぽいのに驚きました
民主主義経験してるから、たくましくなっちゃうんだと思います
夢中になれること、やりたいと思うことをやってるから、どんどん自分のことが好きになっちゃうんだと思います
発達障害は学校が作った病気
特に自己肯定感を一般的な学校で低められてしまう子どもたちが、「発達障害」と診断される子どもたちなのかもしれません
きのくに子どもの村学園では、「薬は飲まない」という条件で発達障害の子どもたちを受け入れているそうです
なぜなら薬飲まなきゃこの世界にいられないなんて、その子の存在への否定だからということ
公立に通っていた時、小2でADHDと診断された中学生のインタビュー
彼女は泣きながら、「きのくにに来れてよかった」と話してました
公立にいて、小2の時に「自分は異常」だとレッテルを貼られたと自覚したそう
そして薬治療が始まると、心がほんとうに押さえつけられたような不自由な気持ちだったとか
きのくにに来て、自分が受け入れられて、どんどん自分が自分になっていき、心から生きられるようになったと言っていました
思わず私が涙してしまった場面です
私の受けもつクラスにも発達障害の子は必ずいます
本当にどうしようもなく座ってられなかったり、大きい声をあげたりする子もいます
私はその子たちに注意することも、授業に集中させようとすることも、時々無意味なんじゃないかと思ってしまうことがあります
個人的に関わると、とーっても面白くて、素敵な子たちなんですから
その子たちを教師としてコントロールしようとすることが、とても申し訳なくなってしまうんです(教師失格なのかもしれません)
だから、他人事みたいに聞こえちゃうかもしれないけど、この子たちがもっと居心地のよい学校が増えたらいいのにと職員室で心の知れた同僚にぼやくこともありました
だから「発達障害は学校が作った病気」というのに妙に納得してしまいました
きのくに子どもの村学園
出身は山梨だったにも関わらず、この映画を観るまで知りませんでした
YouTubeにも結構紹介されてるから、気になる方は調べてみてくださいね
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