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【読書】夏川草介著『始まりの木』をランナー視点を交えて読む

たまに大きな書店に行くと、こんな本が出てたんだと思わぬ出会いをすることがあります。最近うれしかったのが、夏川草介さんの新刊『始まりの木』を見つけたことです。

夏川さんは、『神様はカルテ』シリーズを書かれた方です。地域医療に携わる医師でもあります。私はこの『神様のカルテ』シリーズがとても好きで、新刊が出るたびに入手して読んでいます。主人公の栗原一止さんと妻・榛名さんの、迷い悩みながらも地道に、誠実に自分たちの道を歩んでいこうという姿にいつも勇気づけられ、読んでいるうちに背筋がしゃんと伸びてきます。

そんな夏川さんの新作を書店で見かけたのですから、これは読まずにはいられません。しかも今回はテーマが医療ではなく民俗学。私もこれまで宮本常一の『忘れられた日本人』などを興味深く読んだことがあり、関心のある分野だったので、さらにワクワク感が高まりました。そして、期待通りの面白さでした。

主人公は、大学院の修士課程で民俗学を専攻する学生。優秀かつ偏屈な指導教官から、助手兼荷物持ちのように扱われながら、青森や京都、高知などへ調査旅行に出かけていきます。その中で、日本人にとって神や自然とはどのような存在だったのか、学問に携わる中でも理屈よりも大切なことは何か、といったことを全身で学んでいきます。

『神様はカルテ』シリーズの特長である、主人公たちの不器用でありながらまっすぐに生きようとする姿勢と、ずしんと響いてくる言葉は、この本でも健在です。夏川さんは現役の医師なので、医療を扱った『神様はカルテ』シリーズがリアル感にあふれるのは自然と頷けるところです。でも、民俗学をテーマにしたこの本も同じような迫真さを持っていたことに驚きました。これは、民俗学や宗教についてそれなり以上の知識がないと書けない本だと思います。巻末に柳田國男や宮本恒一、折口信夫などをはじめとした参考文献がずらりと並んでいましたが、夏川さん自身が民俗学に強い関心を持ち、さまざまに学び取材した上で執筆された作品なのでしょう。

『始まりの木』で特に印象深かったのは、論理や科学は万能ではないこと、土地や景色と生身で向き合って自分の感覚で対話することの大切さが繰り返し強調されるところです。2か所ほど引用します。

現代のこの国の人々が、西洋由来の人間中心主義に陥っていないとは言わない。謙虚に世界と向き合っているとはとても言い難いし、それどころか病的な自我の気配はあちこちに漂っている。しかし巨木を敬い、巨岩を祀り、巨山を拝して、自らを世界の一部に過ぎないと考えてきた日本人の感覚は、完全に消え去ったわけではない。今もそこかしこに息づいて、人の心を支えている。(中略)だからこそ、この国は美しいと思うのだよ。 p66
論理も科学も、様々な事柄を説明してくれる強力な手段だが、あくまで手段のひとつに過ぎない。むしろ科学的であろうとすればするほど、大切な事柄を見落とす場合さえある。 p113

こんな言葉を読みながら本のページをめくっていくのはとても楽しい時間でした。と同時に、この本に書かれていることは私がランニングする際にときどき漠然と感じることにつながっているとも思いました。

私はランニングするとき、市街地ではなく郊外の車が少なそうな方に向かいます。どんな場所でも、20~30kmほど走ると色々な景色を見ることができますが、住宅地のはずれに小さな祠や石仏、道祖神、庚申塔などがひっそりと立っていたり、細い山道の途中に馬頭観音が祀られていたりすることがあります。そんなときは軽くお辞儀をして通り過ぎることが多いのですが、「こんなところに祈りの場があるんだ」と心の中で驚くことも少なくありません。

『始まりの木』を読んで、私がランニングで時折感じるそんな思いは特殊なものではないと納得しました。この国は古くから祠やお堂、石碑など、小さな祈りの場がたくさんある場所なのだと。歴史学者の本郷和人さんが、『空白の日本史』のいう本の中で「日本はおそらく世界で一番豊かな歴史史料が残っている国を(p. 189)」だと書いていました。それは文書だけでなく、同じようなことがこうした小さな祠や道祖神といったものについても言えるのかもしれません。

私が走ったり歩いたりしたことがあるわずかな場所でも、そうしたものに出会うことが何度もあるのですから、日本全国を考えたら膨大なものになるでしょう。そう考えると、知らない場所に走ったり歩いたり出かけるのが楽しみになります。

私がときどき出会って心を引かれるような祠や石仏などがつくられたのは、かなり昔のことでしょう。由来を記した看板などがあるのは稀なので、「なぜそこに」という疑問は残ったままで通り過ぎていくことがほとんどです。でも、そうした祠やお堂、石像などは、つくるに至った何らかの理由があり、何らかの思いが込められているはずです。その思いが細々とでも地元に受け継がれてきたから、今でも祠などが残っているのだと思います。殿様や貴族などの権力者とは無縁で、教科書にも歴史書にも出てこないけれど、その地域やそこに暮らす人たちにとっては大切な歴史や伝承。各地に目立たず存在しているそんなものに静かな光を当て、今に伝えていくのが民俗学のひとつの役割だとするのなら、それはとても魅力的な学問のように感じます。

新刊が出たばかりでこんなことを書くのは気が早いですが、『始まりの木』、ぜひ続編を書いていただきたいです。


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