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ボイスレコーダーの男②

《ホテルでの再生》

 私はこの喫茶店に長居しても不自然だし、契約先に鳥の鳴き声を編集して送らなければならないので、一旦ホテルに戻った。ここは二泊目で明日は南方の島へ移動する予定だった。
 いつもの仕事を優先して音声を編集し契約先に送ると、テーブルの上にある3番のボイスレコーダーの前に座った。その小さな機器を両手で縦横に回転させてみた。
 もしここで始めから聞いたら、先ほどと同様に「・・・あなたは、今、このボイスレコーダーを拾ってくれた人と一緒に・・・」と再生されるだろうから、「違うよ!」と勝ち誇れると思った。
 しかし、そうならないことが怖く、続きの再生を押した。「・・・わかりました。もう少し待ってください。(声の主は誰かと話しているのか)・・・ガチャ(機器が落とされた音だ)・・・鳥はどの辺にいるのかな(独り言だ)・・・あれ?なんだ・・・これか・・・」
 一分ほど無音となり、そのまま終わるかに思えた。声の主がありきたりな感じだったので、最初からもう一度聞く勇気が出た。

***

 「あなたは、今、このボイスレコーダーを拾ってくれた人と一緒に・・・」最初に聞いたままで、全く平静でいられた。むしろ安堵した。
 今朝がた、この声の主の予想通りに行動しただけだった。偶然とはこういうことか。
 先ほどの再生場所まで追いつくと、終わるかに思えた録音は風と機器が擦れるような音を続け「・・・ホテルの302ですね。わかりました。これからお届けします・・・」で途切れた。一瞬、仕事先からの電話に聞こえた。
 私は鏡の前にある部屋のキーを見た。302号室と思っていたが、やはり確かに302と書かれてあった。自分の鼓動が大きくなっていることに気が付いた。ドアのオートロックに手動のロックをし、黒い杖を立てかけた。外からも覗けぬようにカーテンを閉めた。あり得ないことが起きていた。
 何者かの過去が自分の現実に追いついてくるようで、それは抗えない浸透力をもっているようで、私はユニットバスのドアを開け、クローゼットを開け、誰もいないことを確かめた。万が一、誰かがどこかからこの部屋に入ってきたらすぐにわかるように気を張った。

***

 三十分ほどして、廊下でホテル清掃の物音がしてきて、もう一度再生ボタンを押して、続きがあるか確かめた。「・・・無事にお届けしました。一人でいるところ、お邪魔しました。(機器を触る音)・・・」
 再生は既に終わっていた。ホテルの部屋に変化がなかったか、ベッドの脇や下を確認し、ドアを少し開けて、近くに人の気配がないか確かめた。
 私は何か録音の中にトリックが隠されていると思い、最初から聞いてみることにした。
 「・・・チチ・・・チチ・・・(鳥の鳴き声)・・・」他のボイスレコーダーで採取した鳥の鳴き声と同様だった。録音の日時は昨晩から早朝と記録されていた。
 私はボイスレコーダーをテーブルから床に落として、椅子からベッドに座り直した。自分の記憶がおかしくなったのか、何かの錯覚でこういうことが起きているのか、手の込んだいたずらなのか。
 シャワーを浴びることも、外に出ることも、カーテンを開けることもできず、時の流れの中で自身の記憶が行方不明となっていた。

ボイスレコーダーの男①《拾った男》
ボイスレコーダーの男②《ホテルでの再生》←今ここ
ボイスレコーダーの男③《巡りの果て》
ボイスレコーダーの男④《気になる思い出
ボイスレコーダーの男⑤《対話の試み》

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