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白血病児の親になる | Vol.1 | はじめに

こんにちは。白倉 侑奈と申します。

突然ですが、長男が2022年12月、小児白血病と診断されました。2歳2か月の時でした。
「白血病」という言葉に最初は「うっ」となりますよね。私もそうでした。

私たちが親としていざ直面してみると、普通に暮らしていたら知らない世界に足を踏み入れた感覚がありました。
そして、どこかでこの体験を言葉にしたいと思うようになりました。

ということで、これから私たち家族が経験した「小児白血病」がどんなものだったのか、を書いていきたいと思います。

ここまで読んで、息子は今どうなっているんだと思われた方もいると思います。
8カ月に及ぶ治療の甲斐あり、寛解(今時点で白血病細胞が血液中からいなくなっている状態)となり、無事退院できました。
息子の治療に関わってくれた医師、看護師、保育士、その他多くの皆さんに感謝しかありません。

一時退院中に撮った家族写真より


前置きが長くなりますが、もう一つ。
私は医療的な専門知識があるわけではないので、主治医から説明された内容をもとに、夫婦でネット検索しまくりました。そして、自分たちなりに
「息子は今こういう状況で、今後こうなっていくっぽい」と解釈した内容を書きます。

詳しい方にはざっくりしていると映るかもしれません。
これまで医療の世界に無縁だった人間が体験するとそんな感じの理解になるのね、と思いながら読んでもらえればと思います。

私たち家族について

夫(37歳)と息子(2歳)と私(35歳)の3人家族です。

私は元々新卒から10年くらい公務員をしていました。
2年ほど前に育児と両立しやすい仕事環境と人事へのキャリアチェンジを求めて、マネーフォワードに人事として転職しています。
週1出社、あとは基本在宅なので、育児との両立もしやすい環境です。

夫はスタートアップ企業の経営を10年近くしていましたが、2年前に退任。
その後は知人の会社の経営支援の傍ら、大学院に通ったりしていました。
なので、夫の方も比較的時間の融通は効きやすい状況です。

息子は生後5か月から近所の保育園に預けられ、今回の病気までは特に問題なく健康に過ごしていました。

ちなみに、夫婦ともども地方出身なので、関東近辺に日常的に頼れる親戚はおらず、病気前病気後問わず家事育児は完全半々でやっています。

小児白血病って?

小児白血病は大人の白血病とは違う

まず、主治医から強調されたのは

  • 白血病は「血液のがん」

  • 小児白血病は治る

という2点でした。

息子の場合は、大まかに3種類ある白血病のうち、「急性リンパ性白血病」というものと診断されました。
そして、息子の年齢を考えると、「治る」可能性が高いという点を強調されました。

この「治る」という概念がまた難しいのですが、白血病というのは一度寛解(血液中から白血病細胞がいなくなっている状態。息子はいまココ)になるには8カ月~1年程度で至れるが、そこから数年単位で再発しないかを見続ける必要があるとのこと。
再発するとしたら数年以内の可能性が高いので、数年再発しなければ便宜上「治る」と呼ぶようです。

最初に説明されたときは、まず寛解となり退院できることを目指しましたが(というかそこまでしか思考が回らなかった)、退院できた今は静かに
毎月再発していないかを見ていく、細く長い戦いに入った感じです。

なんで記事にしようと思ったのか

社会と切り離されている感覚

一般的に考えたら、病気、しかも白血病なんてセンシティブな話は隠しておきたいですよね。
私も息子が診断された当初、職場で伝える必要がある上司や同僚、息子とも親しくしてくれていた親友などの数人を除いて伝えていませんでした。

しかし、いざ闘病生活を始め、親の生活も一変し、平日も土日も毎日数時間面会に行き、仕事以外なにもできない生活を始めると「孤独」だったんですよね。

このころ私たちがどんな生活を送っていたかは後の記事で書きますが、誰かとゆっくり話す時間も余裕もありませんでした。
ありがたく食事なんかに誘ってもらってもメッセージでさらっと伝える内容でもないですし、詳細はぼやかしてお断りするしかできない日々。

伝えた親しい友人たちでも「かける言葉がない」という感じでしたし、伝えた私も「こんな重い話をしちゃってごめんね」という感じでした。

入院直後の寝ている息子。ばあばにもらったアンパンマンに囲まれる。


こんなことをしているうちに、親しかった友人とも物理的にも心理的にも距離ができてしまったように感じました。

だんだんと「私たち家族がこんな経験をしていても、社会はこれまで通り回っていて、私たち取り残されているんだなぁ」と独りよがりな感覚に陥ってきてしまいました。

大げさですいません。コロナ渦は皆さんも孤独でしたよね。

ただ、コロナ禍の孤独については、いろいろな記事が世の中に出回り、みんなでその対処や活用について考えられたように思います。
一方で、病児の親の孤独やリアルな生活ってたまーにTwitterなどで発信されている方は見かけるけど、中々まとまった情報がなく、私は夫婦で暗闇を歩いているような気持ちになりました。当事者が少ないのでそりゃそうなんですが。

そこで、今後病児の親になる人(なるべくいないでほしいのですが)に何か残せないかと考え、発信するに至ります。

つらい思いをする親を減らしたい

そんな経験を経て、「子供の病気でつらい思いをする親を1人でも減らしたい」という思いが芽生えました。

そもそも病気になる子供を減らしたいというのはありますが、小児科医でもない私には小児がんになる子供の数を減らすことはできません。

でも、病気でつらい思いをする子供を減らしたいと思ったときに、息子の様子から、子供にとって親が面会に来てくれることは相当嬉しいことのようだったんですね。
そうしたら、親が元気に面会にいけるにはどうしたらいいかということを考えようと思いました。

私が小児白血病児の親として伝えたいことは2つ。

いざというとき家族ファーストが叶う仕事


1つ目は、家族に何があっても対応できるような働き方を普段からしておくこと。

「最初から仕事の話かい。」と思われてしまいそうですが、自分や家族に人生でもそうないような大変なことが起きてしまったときに、どうしても生活はそのことでいっぱいになります。
とはいえ、生きていくには少なくとも家族のだれかが働いて、お金を稼ぎ続けないといけないですよね。

そして、経済的な話だけでなく、もっと違う意味もあると思っています。

人生100年時代と言われるようになり、誰しもが常に全力で仕事をしている時期ばかりではなくなってきていると思います。
そう思うと、今回のような家族にとって重大なことが起きたら思い切って仕事を休む、やめるという決断もありだと思います。私も「休職」というカードは常に頭にありました。

ただ、私の場合は仕事が息子の闘病中の心の支えとなり、気持ちの面でも息子の病気一色にならなかったことで、結果的に毎日気持ちを途切れさせることなく、面会に行き息子に笑顔で接する原動力になりました。

そう思うと、ただ仕事を盲目的に「続ける」ことだけが重要なわけじゃない。
けど、「どんな状況でも続けたいし、続けられると思える仕事って本当にありがたいな」と今回のことを振り返ってしみじみ思います。
そんな思いを伝えられればと思います。

子供の病気と闘う親がいるということ

2つ目は、子供の病気と闘っている親たちがこの世の中にいるということを知ってもらいたい、ということです。
自分が大変な目に遭っていることを人に知ってほしいなんて、おこがましいと思われちゃうかもしれません。

でも、私が病棟で目にしたお母さんお父さん方は本当に毎日子供の病気に向き合い、子供の前では笑顔を絶やさず、頭の下がる思いのする方々ばかりでした。
親しくなったお母さんからは弱音を聞くこともあったけど、みんな毎日面会に来て、子供に寄り添っていました。

私は声を大にして「こんな人たちがいるんだよー!」と叫びたいです。
そして、あわよくば社会の目が少しでも彼らに向き、必要なサポートが受けられる環境になってほしいと思います。


ちなみに、トップの写真は息子の病棟からちょこっと見えた富士山です。
この景色が大好きだったのと、富士山に息子の病気が無事治るよう願掛けしていたので、選んでみました。

ということで、長くなりましたが、これから記事を書いていきたいと思うので、お時間があるときにお付き合いください。


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