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体育大出身の子持ちママが正社員内定を辞退して「未経験Webライター」の道を選んだ理由〜職歴と退職理由編〜

こんにちは^^
アクセスしていただいてありがとうございます。

今回のブログは、
同じ子育て中の方や、事情により正規社員で就業することが難しい方、
今後の働き方について迷っている方に向けて、私の経験や働き方が参考になればいいなと思い、体験談を書こうと思いました。

タイトルにあるとおり、私が未経験でWebライターの道を選んだ理由は、

  • 決まった拘束時間がない

  • いつでも休める

  • いつでもどこでも仕事ができる

大きく分けてこの3点です。
フリーランスあるあるかもしれません。

この記事では、
「ライター未経験者である私の職歴」を紹介します。

順番に読んでいただくのもありですし、興味のある項があれば
そこから読んでいただいても、どちらでも嬉しいです。




正社員時代の職業について

私は、全国的にも特に名が通っている体育大学に通っていました。

体育大学出身と聞くと、どんな職業をイメージしますか?

友人の中にはアスリートはもちろん、体育教師になった人もいますが、人によってはオフィスレディや役所の職員など、さまざまな職種を選択していました。

なぜか大手ヨガスタジオに新卒入社

前述しましたが、私は生粋の体育会系で、かの有名な体育大学出身です。
あなた、就職はやっぱり体育の先生でしょ?と良くいわれていましたが、そうではなく。
某大手ホットヨガスタジオに就職しました。

ヨガは、ガチガチの体育会スピリッツ「気合い」や「根性」とは真逆で
自分の心地良い状態を目指すものです。

では、なぜヨガの会社を選んだかというと、他の企業の試験や面接に全落ちしたからです。

就活の時期を迎えても、「どこかに就職なんてしたくないマインド」を持っていたのが採用側にも伝わっていたのでしょう。
改めて思い返すと、大学3年生の地点で雇われる状態を望んでいませんでした。

そこで就活エージェントからくるメールをたまたま開いて、そしてたまたまたどり着いたのが元就職先です。

(あくまでも、体育会系やヨガに対するイメージについては人それぞれ違うかと思います。)

店長になった理由

初めの1年半ほどは学生気分が抜けず、遊びが最優先だったのでボケっとなんとなく勤務していました。

しかし、だんだんと出産結婚など、今後の人生計画を考えるようになったのがキャリアアップしたきっかけです。

当時、遊びが命で、休みって最高〜としか思っていなかったはずの自分が、出産後は就職難になるだろうと考えて、
世の中に通用する「責任者経験あり」という経歴を作ることにしたのです。

その時は、すでに会社色に染まっており、やる気に満ち溢れていたと思います。

社会人4年目、コロナの大流行で世間が大騒ぎをしていた最中、店長に就任しました。

転籍後、マシンピラティスのトレーナーに

店長になってからは、一般社員の時よりも本社や上司からの業務”指示”、業績を上げるための部下への行動”指示”など、業務量やメンタルへの負荷が膨大に増えて(当たり前と言われてしまえばその通りですが)、
徐々に縛られている感覚やが強くなって、病んでいきました。

ちなみに私は元々、人に何かをお願いしたり指示するのが好きではありません。

そんな時に、社内のキャリアチェンジ情報で新会社への転籍案内を見つけたのです。

責任者からは降格でしたが、当時所属していたヨガの会社をモデルに、よりシンプルな経営方針であることや、業務内容がコンパクトであることが確認できたため転籍することにしました。

仕事の充実度に不満

転籍後、役職から離れたことで肩の荷が降り、業務量も激減したため心身ともに回復して「楽しい」という感覚を持ちながら勤務していました。

しかし「楽しい」感覚は長く続かず、
業務量の軽減=やりがいを感じられない、つまらない
と感じ始めます。

どうやら私は、「ラク」だけの環境は、性に合ってなかったようです。

またもやここで今後のキャリアについて考えました。

退職理由

結果的には、転籍してから約半年間で退職することになりました。

独立するのか。
全く違う業界へチャレンジするのか。
いろいろ考えましたが、退職の理由はそれらではなく妊娠悪阻のためです。

多くの被雇用者は、産休・育休を取得するために
産前ギリギリまで頑張って仕事していますよね。

しかし私の場合は簡単にいうと、「新しく設立されたばかりの会社であったため制度が整っておらず、退職せざるを得ない状況に陥った」ことで、産育休手当を捨てざるを得ませんでした。

妊娠後、突然の激痩せ

妊娠が発覚してからまもなく悪阻が始まりました。
悪阻は、始まる時期も症状も重さも人それぞれ違いますよね。

私は1ヶ月半で6kg体重が減り、頬が痩けて顔色も悪く、明らかに具合の悪い人の見た目になりました。

元々骨格はしっかりしており肉付きも良いので、見た目に対するコンプレックスを常に感じています。
妊娠をしていなければ中学生ぶりの体重をみれて喜ぶところですが、水・お茶も飲めない、何も食べられない、寝たきりの状態で痩せこけたため、その時は微塵も嬉しくありませんでした。

業務ができなくなる

しばらくは具合が悪いのを我慢していました。
しかし、そんな状態で立ちっぱなしの業務は務まりませんでした。

次の検診まで時間が空いていたので、吐き気と低血糖で倒れそうになりながらも母性健康管理指導事項連絡カード(母健カード)を書いてもらうためにかかりつけの婦人科へ行き、翌日から1週間休職することにしました。

すぐに上司へ人員配置の迷惑をかけることについての謝罪をし、

  • 悪阻が少しでも落ち着いたら出勤したい

  • 時短勤務にしてもらえないか(これはかなりダメもとで)

  • 立ちっぱなしがきついので事務作業を多めにさせてほしい

以上の内容を相談しましたが、こちらが催促するまで返信は返ってきませんでした。

結局、時短勤務・業務内容の変更は認められず、私も悪阻がひどくなる一方で1週間の休職を3週間に延長したのです。

退職の決意

今まで生きてきた中で最も具合が悪い中で、今後のことを決めるのは非常にしんどかったのを覚えています。

しかし、うなだれている暇はありませんでした。

店長を経験したからこそ、
職場の人員配置がカツカツで大変なことも、いつ出勤できるか分からない状態は店舗に大きな負担がかかることも、シフトの調整やヘルプの申請に手間がかかることも痛いほどわかっていたので、早めに決めなければならない一心だったのです。

もちろんここで産休の時が来るまで休職し、根を張るように在籍をキープする方もいると思います。
(言い方や捉え方は人それぞれです・・・)

私が出産手当金や育休手当などを捨てて(これも捉え方は人それぞれです)退職した理由は、
上司とのやりとりにおけるスピードや内容、また、社内の流れや私を含めた社員への対応を見て、総合的に判断した結果でした。


ここまで書きましたが正直にいうと、具合が悪すぎて生きるのに精一杯だったため、当時の記憶が曖昧です。

金銭面を考えると、退職の判断が良かったどうかはなんとも言えませんが・・・

ただ、そのおかげで私もしっかりと安静を取り、無事に娘を出産できたので良い選択だったということにしました。

そして、振り返ってみれば、業務指示や決められたことだけをこなす日々から抜け出したことで謎の胃痛が治ったり、気づいたらイボがなくなっていたり、精神的にも前向きになれたりと、いろいろな不調が治癒していました。

最後に、ぼやき

保育園が始まり、ありがたいことにお仕事もいただけて、バタバタすぎる毎日を過ごしています。この記事を書き始めて1ヶ月ほど経ってしまいました。

長くなってしまったので、以降はひと記事毎のボリュームを落としたいです。

次回は、
体育大出身の子持ちママが正社員内定を辞退して「未経験Webライター」の道を選んだ理由〜子連れ就活編〜
を書きたいと思います。

お仕事とは違って、自由にラフに書いておりますが、また読んでいただけたら嬉しいです。

それと、私は妊娠中からライターを始めるまで、仕事について一人でずーーーっと悩んでいたのでもし同じような方がいればお力になりたいです。
お気軽にメールください。
youzisenxia7@gmail.com

ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。


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