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100日で100万人が殺された。


こんにちは。カラサワです。

私は今、ルワンダの農村で暮らしています。

ルワンダでは、4月7日から100日間、国全体でルワンダ虐殺の犠牲者を追悼します。

初日からの1週間は追悼の週として、全国各地の施設で式典や慰霊祭が行われ、喪に服し、記憶し、反省し、学び、二度と虐殺を繰り返さないための誓いが立てられます。


ところで、ルワンダ虐殺のことは、日本でどれほど知られているのでしょうか。

ルワンダに行くことが決まってから早4年近くが経っているので、”一般常識”なような気がしていたけれど、思い返してみると、それまではルワンダ虐殺についてほとんど知りませんでした。

毎日あくびをしながらノロノロと歩いているこのルワンダの大地が、赤い血と涙に染められた歴史。

今日は、原因や背景も含め、ルワンダ虐殺についてのお話をします。

あまりよく知らないという人は是非読んでください。

※背景や民族制などは諸説あるものも多いため、一素人がまとめたものとして読んでいただければ幸いです。


1.ルワンダ虐殺とは

ルワンダ虐殺は、ルワンダジェノサイドとも呼ばれ、私の生まれ年である1994年の4月から、約100日間にわたって行われました。

この虐殺はフツ族からツチ族によるもので、合計100万人ほどの方が亡くなりました。この数字は、当時のルワンダの人口で言うと、約10%。

国民の10人に1人が殺されたのです。

そしてこの虐殺の特徴は、民兵が虐殺に加わっていたこと。

昨日までご飯を分け合っていた隣のおじさんが、自分や自分の家族を殺しに来るのです。

主な兵器は、くわや鉈(なた)

私は農村に住んでいるので、よくルワンダの鉈を目にしますが、刃は鋭くありません。

切れ味の悪い鉈で、何度も何度も切りつけられてなぶり殺しにされたことが想像できます。

生まれたばかりの赤ん坊を家の壁に叩きつける、親の目の前で子を殺すなど、その殺害方法の残虐さも、このルワンダ虐殺の特徴の一つです。


2.強姦された女性たち

この虐殺の中で、約10万人から25万人のツチ族女性たちが強姦され、数千人の子どもが生まれたといいます。

強姦後に殺された女性も多いですが、生き残り、トラウマを抱えて生きている人や、HIVに感染させられてしまった人も多くいます。

29年。

当時20歳で被害に遭っていたとしても、生存者はまだ49歳。

一緒に働いているあの人や、バスで隣に座っているあの人も、もしかしたら、生存者なのかもしれません。

もちろん、強姦された女性たちだけがトラウマを抱えているわけではありません。

30歳以上のすべての国民が、心や体に傷を負っている可能性があるのです。


3.虐殺はなぜ起きた?

虐殺は、フツ族からツチ族に対して行われました。

フツとツチは、フツ系が農耕民、ツチ系が遊牧民とされていましたが、実際には人種的違いはなく、同じ言葉を喋り、同じ宗教を信じ、結婚もしていました。

しかし、当時植民地支配をおこなっていたベルギー当局が、外観の違いから人種として区別しました。

平らな鼻と厚い唇、四角い顎をもち、比較的身長の低いのがフツ。

薄めの肌に細い鼻、薄い唇に尖った顎もち、比較的身長の高いのがツチ。

ベルギー人がルワンダ人の鼻の高さを測る図も残されています。

要するに、外から来たものが勝手に区別しただけの民族だったのです。

それぞれ人種が記されたIDカードまで発行し、小学生にまで人種差別の思想を植え付け、少数派(約14%)のツチを経済的にも教育的にも優遇して役人などに登用し、多数派(約85%)のフツを支配させました。

当時いた国王も、ツチでした。

そうなると、当然、フツからツチへの不満は高まります。

虐殺が本格的に始まったのは1994年ですが、それ以前からフツからツチへの迫害はあったと言われています。

不安定な情勢は続いていたため、隣国ウガンダに逃れるツチ族も多くいました。

1960年にルワンダはベルギーから独立し、フツ族が政権を取りました。

そこから、一気にツチ族へのヘイトスピーチが始まります。

ラジオなどで、「ツチ族はゴキブリだ。根絶やしにしなければいつ殺しに来るかわからないぞ。準備しろ。」などの過激な発言を繰り返し、国民を洗脳していきます。

そして1994年4月、フツ族大統領が乗った飛行機が、何者かによって撃墜されました。

これは「ツチ族の仕業に違いない」と言われ、100日間で100万人が亡くなる虐殺が始まってしまいました。

しかし今では、この日までに、多くの武器などが周到に用意されていたことや、撃墜から虐殺開始までが早すぎたことから、事前に決められていたとう説が濃厚です。

4.虐殺から、発展まで

虐殺が始まってから3か月後の1994年7月に、ルワンダ愛国戦線(RPF)によってこれは鎮圧されました。

ルワンダ愛国戦線は、現在の大統領であるポール・カガメ氏が、ウガンダに亡命していたツチ族を率いたものです。

彼はヒーローとして称えられ、その後2000年に大統領に就任し、なんと今でも大統領を続けています。

ルワンダ国民の多くはカガメ大統領を崇拝し、愛しています。

「虐殺が起こったのは、情報社会に加われてないからだ」という考えを持ち、ICT分野の発展に力を入れ、驚くべき発展を遂げました。

これは「アフリカの奇跡」と呼ばれています。

そして、鎮圧後に、民族制は撤廃されています。

虐殺の話をするとき以外に「ツチ」や「フツ」という言葉を出すことはタブーです。

そもそも、虐殺の話自体も、普段はタブーです。
日本人同士でこの話をするときは、「ジェノサイド」と言わずに「虐殺」という言葉を用い、民族名は絶対に口にしないようにしています。

ルワンダ人に家族についての質問をして、「母はいない」と言われたら、もうそれ以上聞くことはしません。

被害者の数があまりにも多いため、誰に対しても、踏み込んだ質問はしないようにしています。

一年に一度、この追悼週間のみ、当時を振り返り、犠牲者を悼み、二度と繰り返すことのないように胸に刻むのです。


5.ルワンダの現在

現在、ルワンダはアフリカ諸国で一番治安の良い国とされています。

首都キガリは美しい高層ビルが立ち並び、夜はライトアップされた石畳の道を、女性がスマホをいじりながら一人で歩いています。

街中には銃を持った警官が立ち、治安を守っています。

私たち外国人も、あまり厳しいルールはなく、のんびりと過ごすことができます。


首都キガリの街並み

だからこそ、こんなに悲しい歴史があったことは、頭ではわかっていても、つい忘れてしまう。

ルワンダに暮らす身として、この一週間は、彼らと同じように、犠牲者に思いを馳せ、追悼の意を示したいと思います。

6.もっと知りたい

この虐殺に関して、書きたいことはもっとたくさんあります。

当時の国際連合の対応や生存者のことなど、書ききれない背景がたくさん。

これを読んでもっと知りたいと思ってくれた方におすすめの映画と文献を紹介します。

映画「ルワンダの涙」

多分どちらかと言うと「ホテル・ルワンダ」のほうが有名ですが、主人公であるホテルのオーナーは、最近になって逮捕されるなど、実は英雄ではないという意見が多いです。

なので個人的にはこの「ルワンダの涙」がおすすめ。

見終わった後は大変心が苦しく、つらい気持ちになりますが、是非観ていただきたい一本。

本「生かされて。」

虐殺を生き残った女性が書いた、手記。

自分の語彙じゃ言い表せないほど、恐ろしく、素晴らしい本。


だいぶ長くなってしまいましたが、ここまで読んでくれてありがとうございます。

遠い遠い国の、29年前の出来事。
「自分とは関係ない」と思うかもしれませんが、こういう歴史から学べることは多くあると思います。


興味を持った方は、いつでもご連絡ください!
そして是非ルワンダに遊びに来てください!完全密着でツアー組みますよ!(笑)


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