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日本の文化で大切なのは「常識」

日本の文化で大切にされているのは「常識」。

口にはしないけと、みんなの心の底にはそんな感覚が流れている、そう感じることが度々ある。

日本人は外からやってきたものを受け入れてアレンジするのが得意なので、仏教だとか儒教だとか道教だとか、その時々で受け入れたものが絶妙に混ざり合って、今に至っているんだと思う。

それに対して海外では一般的に、幼い頃からその国の「宗教(多くは唯一神)」の神様がいるというふうに育てられているので、神様が自分の行動指針になっている。

悪いことをしたら神様に怒られるとか、良心に逆らうことをこっそりしても神様が見てるだとか。

日本は、自然の中にもモノの中にも神様を見出して尊ぶっていう根本がある。

山や木を信仰したり、大切に使ってきた道具には魂が宿るとか。

人間社会には、日本・海外に限らず、集団で暮らすための智恵として「常識」が自然発生する。

今よりもモノがなくて自然の脅威に晒されていた人間は、協力して生きていくことが大事だったから、その集落なり都市なりの暗黙の了解として常識を守っていた。

だから、常識から外れた人は糾弾されてしまうし、村八分に遭ってしまう。

ただ、海外と日本の文化が大きく違うのは、

海外では神様の存在が大きいということ。

だから、個人主義になっても大丈夫だったのではないかという気がする。

自分の心の中の神様と、いつでも対話するみたいな。

海外の人にとって、心の中の神様が個人の行動指針と言うことができるなら、
日本人は自然や人と人との繋がりでできた常識という、自分の外のものが行動指針と言うことができると思う。

ほら、時代劇なんかでも「隠れて悪いことをしてもお天道様は見てる」って言うじゃない?(今は時代劇自体が少なくなってるけど)

人との繋がりによってなんとなく形成された「常識」も、人の中で穏やかに暮らすための決まりとしての良い機能がある一方で、

個人の良心や思考と違う場合は、排除されがちという悪い面もある。

その悪い例が、少し前に問題になったSNSでの個人攻撃なんだと思う。

ただし、この姿勢って、SNSだけではなくて、元々マスメディアにもあったこと。

だから今でも芸能人の不倫が叩かれるし、離婚がニュースになったりする。

芸能人だって人間だから完璧ではないし、いろんな考え方がある。当事者やその周辺の人達の問題であって、ただテレビを介して見てるだけの私達には関係ないことなのになぁ。

それに、人様の家庭事情なんてどうでもいいって思っちゃう。もしそんな事で感情を動かされたら、私は品がないと自分を戒めちゃうなぁ。

世間の常識に従ってステレオタイプ的に良し悪しを決める生き方は、とても楽だと思う。

でも、あまりにも常識にとらわれすぎるのはちょっと危険だと私は思う。

常識って絶対的なものではなく変化するものだから。

例えば昔の常識は「男子厨房に入らず」だったけど、今では「料理男子」が人気があるように。

だから、私は人を常識で判断しないようにしている。

常識にとらわれすぎないフラットな生き方をしたいなぁ、といつも思っている。

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