見出し画像

アダルトチルドレンの私と取り繕い家族【自己紹介】


こんにちは。
お読みいただきありがとうございます。

ゆる他人軸女(ゆるたに)です。

生きづらい同志に向けて、お友達に話しかけるような気持ちで、今日も言葉を紡いでいきます。



イントロダクション


幸福度の低い国、日本。
いわゆる「幸せな人生」の型があって、そこから逸脱したら、何か難がある人。と見なされてしまう。
例えば、就職先だったり、結婚適齢期だったり、子供の有無だったり。

正直時代遅れだと思います。

けど、その規範を全く意識せずに生きることができるレベルに私は達していません。

それでも以前の私はもっとこの固定観念に縛られていました。
その固定観念の根源は、両親にある。と断言できます。

今日はそんな親とのエピソードについて、自己紹介がてら書いていきたいと思います。

不幸自慢をしたいわけではないんです。正直辛い時期もあったけど、過去のことをずっと引きずっているわけにはいかないですしね。
ただ、過去の経験によって、どのように私の他人軸が形成されたのかを聞いていただきたくて。

もし、私と同じように家庭環境に何かしらの問題があって生きづらい方がいらっしゃれば、内容は違えど共感してもらえる部分があるかもしれないから。

少し長くなりますが、お付き合いいただけたら嬉しいです。

自分語りをさせてください。


私はいわゆるアダルトチルドレンと呼ばれる人間です。

そこそこお金持ちの家のお嬢さんとして生まれ、ありがたいことに今までお金に困って生きたことがありません。

中学から私立の進学校に進み、大学も都内の名の知れた学校に入学しました。
反抗期もなく、そこそこいい学歴で、社会貢献度の高い仕事に就き、適齢期に結婚もして…表面上の私だけを見れば、「いい子」とラベルングをされると思います。

それでも、私は自分自身に対してそんなことを思ったことは、一度もありません。

常に自分の中に「恥」を持ちながら生きてきました。
それは自分に対するコンプレックスでもあり、親に対するコンプレックスでもあります。

世間体重視の母


小さい頃、私はお母さんっ子でした。
幼稚園に入る前はもう母にべったりで、母だけが自分の味方とすら思っていました。

よその人という存在が苦手で、家に来客がある時は押し入れに入るほどの人見知りでした。(特に知らないおじさんは泣くほど無理だった)

幼稚園に入り、社会とのつながりを持ち、グループの中の一員として生活をすることで、徐々に母に対する感情が変化していきました。

家の外とのつながりが増えた頃の母との記憶は、世間体を重視し、私の行動や選択を誘導するようなことをしていたなー。ということ。
「お嬢さんとして恥ずかしくないように。外ではお行儀よくするように。」と、よく言われていました。

母自身、内と外での立ち居振る舞いのギャップが大きい人で、そんな姿を見ながら自然と「私もこうしなければいけない」と思うようになっていました。

そして母は、喜怒哀楽が顔に出やすい人でした。私が勝手な行動を取った時には、すぐ機嫌に出た。そんな母の様子を見たときに、私はすごく不安になりました。

「自分の行いが悪かったこと」ではなく、「私のせいで母を不快にさせた」ことを反省し、母から嫌われるのを恐れました。だから従順になり、母を不機嫌にさせないように努めたんです。

幼児ながらめちゃくちゃ気を遣っていたな。

特に父方の両親に対する神経のすり減らし方は、子供から見ても「大変そうだな…」というレベルで、おじいちゃまおばあちゃま呼びを子供にも強要するほどでした。

母方の祖父母に対する振る舞いとのギャップに疑問を覚えつつも、言われた通りにしていた私の従順エピソードです。

小学校4年生くらいになってから、自我が芽生え、親の勧めに対して自分が同意できないケースが増えていきました。ただ、親の希望を優先して、自分の気持ちを殺しました。

母親の希望の押し付けに近い助言は、人生の節目節目でありました。

小学生~高校生の時は友達付き合い、高3の時は大学受験、大学入学以降は異性との交際、大学3年生の頃は就職、社会人になってからは結婚などなど。

程度の差はあれ、同じような経験のある方は多いんじゃないでしょうか。

私は、その都度口出しされることにうんざりしていました。
次第に母に対する愛情に疑問を持つようになります。

ただ、はっきり嫌いとは言えませんでした。
それにやはり母から嫌われるのが怖かった。
正確に言えば、私を受け入れてもらえる場所がなくなるのが怖かったんです。

そして、母から嫌われたくないという気持ちは、この時すでに理由など考えないほど当たり前のものになっていました。
だから、私の意見を伝えて反抗することはしませんでした。
その場では聞き入れたような態度を取りながら、実際は聞き流すというタチの悪さ。

何か大きな決断をするときは、自分の許容範囲の中から、母が納得しそうな選択をしていました。
母が納得するかどうかが自分の判断基準。

今となっては少し自分と母を切り離して考えられるようになりましたが、数年前までの自分の頭の中には常に母がいました。

元アルコール依存症の父親


私が小学6年生から中学3年生の頃まで、父親はアルコール依存症でした。私が生まれる前からお酒はよく飲んでいたらしいのですが、この頃の飲み方は飲酒したことのない私から見ても異常でした。
朝から晩まで寝ている時以外は常に飲酒をしていた。娘の運動会に、ウイスキーの入った水筒を持ってくるという、絵に描いたようなアル中おじさん。

私が中学生になる頃から症状は徐々にひどくなり、中学2年生の時には仕事もままならないくらい、常に酷く酔っ払っていた。酔った状態で仕事もしていた。冷静に引くレベル。

会話もまともにならず、言うこともその時々で変わり、約束も守らない。
いつもお酒臭くて、衝動的に怒ったりヘラヘラしたり。
どうしようもない姿に呆れ果てていたし、父の奇怪な行動の意味がわからず恐怖を感じていました。

そんな父の様子を見ながらも、母親は必死に家庭の問題が外に伝わらないように、外では気丈に取り繕っていました。
しかし家庭内では辛そうな様子をよく見せ、私に対して父の愚痴を漏らすことも。

「離婚すればいいのに」と母に言ったことがありました。
けど返事はNo。子供を理由にして。

母が辛いなら逃げればいいのに。
私たちのことを本当に思えば、こんな家庭に置いておけないと思うんじゃないの。
世間体を気にしているだけなんじゃないの。

心ので母に言い返す言葉が湧き上がりました。
別に私立の中学校に通えなくなることも厭わないくらい、父と暮らすのが嫌でした。

ただ母がそう言うなら仕方ないと意向を飲み込みました。

それ以上伝えるのも酷だと思うくらい、母は疲弊していたから。

そして私なりにできることを考え、機能不全な家庭環境の中で、出来るだけ家族がバラバラにならないように、親の前ではいい子であるよう振る舞いました。

母親の負担を減らすように、自分の話はあまりしませんでした。
けど本心は親に甘えたかった。思春期の悩みを聞いて欲しかった。

それでも母にはそんな余裕がないから、迷惑をかけてはいけない。そんな思いで、自分の寂しさや心細さを親に伝えられませんでした。
その代わり、いい子でいるために家事を手伝ったり、弟の面倒を見ることが、自分にできることと思っていました。

この当時、私は仲のいい友達にいじめを受けていた時期でした。
(長くなるのでこの話はまた別の機会に)
今振り返っても人生のどん底時代。

そんな背景から、自己肯定感も自信もクソもない状態。
自分の言動、思考、全てが正しいと思えませんでした。
自己否定と自信のなさから、人の目を見ることができなかった。
だから、誰かから少しでも認められることが自分の存在理由と思っていたんです。

そんな承認欲求を満たすために、男性に擦り寄るようになります。
たとえ上辺だけでも女性として受け入れられることで、私の心は一時的に満たされました

それと同時に精神的に満たされつつも、消費されている感覚もありました。
健全ではない。まともではない。と理性的に俯瞰する自分がいました。
良心なのか、心のアラートなのか。

それでもやめられなかったほど、他にすがるものがなかったんです。
この経験をきっかけに、その後十数年間、性依存的な行動を繰り返すようになりました。
これも私の「恥」の構成要素の一つです。

時はたち、私が高校生になる頃に父親はお酒を断ちました。
過度な飲酒による体調不良で吐血をして「このままでは死ぬ」と思ったらしい。どやばいですね。
そして一度辞めてからは、今まで一滴もお酒を口にしていません。

お酒をやめてアルコール依存症から立ち直っても、父親に対する負の感情は払拭しきれませんでした。これを書いている今ですら。

しかし「改心してお酒をやめたから。お金に困らずに生活させてくれているから」とこれまで自分を納得させ続けてきました。

結果、両親に対して疑問や釈然としない気持ちを持ちつつも、表面上真っ当に生きているように見える生き方を自らするようになりました。

家族に迷惑をかけないように、安心させられるように、人様から見て恥ずかしくない生き方をするということが自分の基準になっていました。

けど、人様から見て恥ずかしくない生き方が、自分にとって幸せだと思えないのです。それは両親を見ていたから。

確かに、側から見たら、何一つ不自由がないような暮らしをしていると思うでしょう。表面的に切り取れば、幸せそうな家庭に見えるのかもしれません。

けど、内部を知っている私からしたら、
すごく不健全で、滑稽な家族だと思います。
形だけ取り繕って、家族のつながりのようなものが全く存在していないように思えます。
親に対する尊敬というものは、私の中にはありません。
冷酷だけど。

お金をかけてくれたこと、それによって大事な友達と出会えたことや、自分が望んだ職業に就けたことには感謝しています。
けど、親の教育に関しては、どうしても疑問が拭いきれません。

こんな家庭で育ち、人の負の感情を極力引き出さないように生きてきたら、自分の人生に対して諦めを覚えていきました。
社会人になった頃から、本当に自分が心おだやかに、達成感を持って人生を送ることは無理だとすら思うようになりました。
だから、「自分がどうしたいか」なんてことは考えませんでした。

次第に、自分で考えて選択することができなくなりました。判断基準が他人になると、自分の中で納得できないことでも「仕方ない」と飲み込むことが圧倒的に多くなります。

自分を納得させる時、必ず感情を堪えなければいけません。

その都度、「辛い」「悲しい」と思っていては、私の心が持たない。
同時に、負の感情を外に出したら、周りの人が嫌な思いをする。
そう思い、自分の感情を無視するようになりました。

だから極力困難なことを避けて、辛い気持ちを感じないような行動を取る習慣がついてしまいまいた。

よく人から「我慢強いね」と言われることがあったのですが、いつも腑に落ちなかったんです。
なぜなら、辛くても環境や他人のせいにして自分の気持ちを抑えるかわりに、辛い現実と向き合ってないから。今なら理由がわかります。


自分を甘やかしていることはわかっていた。
ずっとこの「恥」から解放されたかった。

でも人から認められない、受け入れられない、自分の居場所がない、そんな状況は耐えられないほど怖かった。

だから自分の意思で生きられなった。
流れに身を任せるような生き方をしてきたわけです。

大人になっても続く負のループ


残念なことに、大人になって仕事をして、人の役に立っている実感があっても、
結婚をして自分で選んだ家族と一緒に生活をしても、
私の心の中の「恥」は消えることがありませんでした。
むしろ結婚生活によって、さらに自己肯定感が下がってしまったのです。
(モラハラ気質の人だったのですが、他人軸人間にはグサグサくるものがあった)

結婚する相手を間違えた。
結婚当初からそう思うことがあり、その頻度は年々増えていきました。

流されながら生きてきた結果だと思いました。
自分がどうしたいかを考えなかったツケだと。
けど別れるなんて無理。そう思い、人生の詰みを悟っていた時のこと。

私のガチガチに固まった考え方を覆してくれる存在に出会いました。

その方は私の恩人であり、先生であり、師匠。
心のケアという意味では、専属のライフコンサルタント、ライフカウンセラーでもあります。(以下、先生と呼びます)

何気ない会話の積み重ねから、私の心の闇を察知し、根深い「ねばならぬ」思考に疑問を呈してくれたんですよね。

自然な会話の流れの中で、先生の問いに導かれながら、初めて自分の本心を声に出して言葉にしました。

「夫の私に対する言動で、私の自尊心が削られている。
常に顔色をうかがって、いい妻であろうとしている。
正直、夫のことが怖い」

こんなことを言う自分に驚きました。
弱音を吐いてはいけないと思っていたから。

けど、「私の話を親身に聞いてくれている。私のことを理解して、気づきを与えてくれている」という安心感や信頼感により、心のブロックが外れました。


私の発言を聞いて、先生に驚かれたことがとても印象的でした。

「なんで怖いと思う人とわざわざ一緒にいるの?」

核心をつく質問をされて、思わず黙り込んでしまいます。

幼少期から、怖い人と一緒にいることが当たり前の状態だった私は、
自分が置かれた環境を、辛いと思わないようにすることに必死でした。

夫と離れたいと思ったことはあったけど、
「お互いの家族を巻き込むことだし」とか、「そもそも夫が認めるわけない」と理由をつけて、自分の本心を否定していたことに気づきました。

続けて、先生はクリティカルな言葉を投げかけてくれました。

「離婚するなんて無理と思って、行動しないことを選んでいるのはあなた自身だよ」

言われてはっとしました。

やる前から諦めて、自分を納得させている。
自分が本当に現状を変えたいと思うなら、動くしかないんだな。

この気づきをきっかけに、自分の気持ちに正直に行動した結果、紆余曲折ありながらも離婚に至ることができました。

ちなみにここまでの過去の記録は、
「ゆるたにの極端な他人軸思考は親子関係からきているのは間違いないから、まずは幼少期のエピソードの振り返りをしてみよう」とコンサル先生にアドバイスをもらって書いたものです。

先生の力を借りて一緒に過去のエピソードを振り返り、分析をしてもらいながら、
幼少期に親に抱いていた緊張感や恐怖感を元夫に対しても抱いていることがわかりました。

無意識に親に対する振る舞いを、元夫に対してもしていたんですよね。
そして彼はそんな私の振る舞いに安心感を覚えていたんじゃないかと思います。

ただ私は「いい妻」であるために、自分を犠牲にしていました。
自分がわからなくなって、自暴自棄を起こしていました。

心身ともに健全じゃない状態とわかっていても、結局自分で判断できない他人軸人間は、人の手を借りなければ底なしの沼から抜け出せませんでした。

今はやっと地上に這い出せたくらいの状態。

質素ではありながらも心穏やかに日々を過ごすことができています。

自分と向き合ったり、1日の終わりに出来事や感情を振り返ったり。
自分の好きなことをして過ごしたり。

無理せず、自分の心の声を聴きながら過ごせる時間に癒されています。

親の機嫌や期待に対しても、自分のことと切り離して考えられるようになったと思います。

親はこう思う。けど私はこう思う。
意見が違ったとしても私は悪くないし、お互いいい大人なんだから。
分かり合えないことは、仕方ないと割り切るしかないと思えるようになりました。

これも親子関係の棚卸しをして、今まで私が勝手に気を遣って親に献身を続けてきたと気づきを得たから。
そしてもはや病気のように、誰彼構わず自己犠牲をすることが正しいと思い、自分の首を絞めてきたことがわかったから。

自分らしく生きるためにもまずは、心の平穏をしみじみ感じる期間が今の自分には必要と思っています。

終わりに


もし今過去の私のように、環境や人間関係に苦しんでいる人がいたら、
「思い切って逃げちゃえば?」と言ってあげたい。


事情があるのは百も承知なので、必ずしもゼロにする必要はないと思うけど、
例えば実家に顔を出す頻度を少しだけ減らすとか、苦手な人からのお誘いを時々断るとか。

わずかながらの抵抗をしてもいいんじゃないかなと思います。

あなたの心を苦しめる人に縛られる時間がもったいないじゃないですか。距離をおいたら見えてくることもあるかもしれないですしね。

無責任な発言と思われたらごめんなさい。

けどもし、もっと背中を押してほしいと思う方がいらっしゃればいくらでも激励を投げかけます。

生きづらさを抱えている方の心が少しでも軽くなりますように!

ここまでお読みいただきありがとうございました。


また、誰に話したらいいかわからずに胸の内にしまっている気持ちなどは、
フリーメールもしくはXのDMまでお気軽に。
「ゆるたにさん聞いて〜」のテンションで、ご連絡いただけたら嬉しいです!
お話ししましょう☺️

フリーメール
yuru.around30@gmail.com

ゆるたにX


この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?