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"頑張る"の呪いについて

頑張らなくても仕事に影響はほぼなかった笑

体を壊してから、それまで思い描いていたキャリアはすっぱり方向転換して、省エネ活動へシフトしました。一部を除き、別人のような頑張らない社員になりました。が、結論としては、頑張んなくても、ほぼ仕事に影響はありませんでした笑

【"頑張らない"への仕様変更】
・努力する -> 無理だなあ、と思ったら逃げる
・納得するまで仕上げる -> ほどほどで止める
・会議は出る -> あまり関わりの無い会議には積極的に参加しない
・1回は必ず発言 -> 発言もあまりしない(うんうん、共感・・・以上)
・(上司依頼に対し)今月忙しいので来月でもいいですか?
・合わせるのではなく、むしろ合わせて貰う(笑)

仕事で最近一番頑張った事は、礼儀正しく断ることです笑

状況はというと、私が逃げた仕事は、別の方がやっています。自分的にはほどほどに留めた自分の案件も、ほどほどの基準を守れば、評価が極端に落ちる、という事もありません。

強いて言うと、いい意味で、相談される事は少なりました。が、全体としては、まあこれで良かったと思います。頑張るのも好きではありますけど。

夢の中毒性と頑張るの呪い

許容を超えて頑張ってしまうのは、過度なこだわりだったり、ネガティブな意味では夢や目標への依存もあるのかと思います。私はこれを『夢の中毒性』と呼ぶことにしました。目標って心地よいですし、頑張る自分、特に一部から褒められたりしてしまうと、嬉しかったりして、中毒性のドツボにはまってしまいます。そして、万倍苦しむわけです笑 これを私は『頑張るの呪い』と言っています。


でも、ほとんどのケースでは、自分が思っているほどは周囲から評価されないし、誰がやっても他人からはあまり変わらないという事実は不変です。他人はそこまで自分以外の人間に興味はないので・・・。

好きで頑張るのは良いと思うのですが、もしその頑張るが中毒性だったら、参っちゃう前に、『そもそも何で頑張っているんだっけ?』『その頑張りって本当に必要?』を考えるのは大切かと思います。その上で、頑張るならば、自分の適切な許容量はどこか? 頑張った事によるそもそもの幸せ基準(=すべては結局『自己満足』)どこか? を見定める事はとても重要かと思います。そうすれば辛くなった際に、頑張るに縛られず、幸せ基準が満たされるもう少し気楽な選択肢も出てくると思いますし、幸せの総量も増えると思います。

結論: 頑張らなくてもあまり変わらんよ笑


【プロフィール: ゆるアキ】
・略歴: 外資マネージャー
・資格: MBA・心理カウンセラー、運転免許 他
・趣味: 食べる事、資産運用
・副業: 先生のお仕事
・人生: 熱血→崩壊→省エネへ転向
・目標: らく~に生きる"
"夢や目標に巻き込まれて、燃え尽きた(ジョー風)ところから、今の生活をらく~に省エネで実現していった内容をつらつらと書いていきます。

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