著名人の不倫報道について思うこと

芸能人や政治家、そして最近は経営者の不倫が世間で問題視されている。不倫など性にまつわるスキャンダルは、現代社会においては社会的な死刑執行にも匹敵する大罪かのように取り扱われているように感じる。

性犯罪は別として、私は不倫がなぜここまで問題視されるのかが全くよくわからない。もちろん私が私のパートナーに不倫、あるいは浮気でも、されたら絶対に嫌だ。傷つくだろうし、パートナーに対して怒りや恨みを抱くこともあるだろう。でもそれは、あくまで「私が」、「もしパートナーに不倫されたら」という場合の感情を想像してそう思うだけだ。実際にその状況になってみないとどう感じるのかはわからない。そしてそれがわかったとしても、その時の感情は私だけのものであり、赤の他人の集まりである世間と積極的に共有して、一緒に噛み締めてほしいなどとは全く思えない。

そして、私は私やパートナーが不倫当事者(サレ妻あるいはサレ夫)になるのは嫌だなぁと思うが、他人が不倫していることについては何にも思わない。人と人との関係性やそれに求めるものは人それぞれ、全く異なるものだからだ。そしてそれは、私の生活や人生には全く関係がないからだ。

他人は私とは違う存在であって、各々の価値観や考えで生きているのだから、私に関わりがない他人の行動や思想について否定する気は全く起きない。ただ、世間はどうやらそうではないらしく、不倫をしたら芸能人は芸能活動から干され、政治家は失脚し、経営者は辞職する、というのが世間での落とし前のつけかたのようだ。

なぜここまで世間は不倫した当事者たちに厳しい声を上げるのか、その理屈が私の頭では全く理解ができず、この手の話題が報道されるたびに考え込まされる。私の感じ方や考え方がおかしいのだろうか。不倫される辛さやダメとわかっていても不倫してしまうという経験をしたことがないから、想像力が欠如しているのだろうか…

いろいろ考えてみたが、不倫というものが私の人生において「全く経験する必要がないもの」として位置付けられているからかもしれないと思うようになった。
タバコやギャンブルと一緒なのだ。他人や親しい人が嗜んでいるからと言って、私のその人への評価や態度が変わるわけではないし、仮に親しい友人からそれらを勧められても、私はしない。私がしたくない、しなくていいと思っているからだ。でもそれが好きな他人を否定もしない。それらが好きなことを悪いことだとは思わない。自分が経験してみたいけど様々な制限があってできない、やることに抵抗がある…ということなら、それを軽々となんの罪悪感もなくやってしまえる(あくまでそう見えるだけだが)人に対して、羨望や嫉妬からくる怒りや嫌悪感を抱く、というのは想像できるけれども。

違う人間なんだから、趣味嗜好や価値観が違っていて当たり前だろう。健康に悪いから…お金がもったいない…というのはあくまで私の価値観で、それを好きな人たちはまた違う価値観でそれらを必要としているのかもしれない。タバコは精神安定剤、ギャンブルはアドレナリンの放出方法、というように。不倫もまた、それをすることで成り立ってる人間関係とか、どうしても必要としている人たちというのはきっといるのだと思う。

確かに日本社会は一夫一妻であり結婚は契約だから、その契約を一方あるいは双方が破るというのは契約違反という面はあるだろう。契約違反という点を世間が糾弾しているのかと思えば多少腹落ちするのだが、契約当事者でない赤の他人が執拗に責めるのはやはり解せない。不倫当事者へのマスコミの会見要求も要らないし、それに応じたなんのためかもわからない世間への謝罪会見も要らないし、コメンテーターのコメントはもっと要らないと思う。

そもそも外的形式にすぎない結婚という制度によって、自分や自分とは別個の存在である他人の心や内面を固定し縛りつけられる、そうであるべきだと考えることがやや不思議だなとも思う。そこまで含めた契約だ、といわれればそうだか、じゃあそもそもその契約自体に無理があるのではないですか…と思ってしまう。

マスコミが著名人の不倫やスキャンダルで騒ぐのは「不倫は悪だ!」というのを建前にしてただ政治家など社会的ヒエラルキー上層にいる人々を引き摺り下ろしたいだけだというのは百も承知なのだが、世間がそれに迎合して不倫当事者を問答無用で吊し上げるということを繰り返してきた結果が現代社会の風潮なのだと感じる。まぁ権力者とされる人たちをなにかにつけてバッシングしたい人は一定いるから、不倫というのはただのきっかけであり、叩けそうな話題があればとにかくそれをネタに叩きたい、というだけなのかもしれない。そこになぜ他人を糾弾し、その存在自体を否定するかのようにバッシングすることの正当性について深く考えることなどしないのかもしれない。

しかし、だからこそ不倫をネタに人を叩く人について聞いてみたいと思うのは、その人たちは結婚という制度にそこまで本当に期待しているのだろうか。他人や自分の心を結婚という契約で生涯固定し縛りつける、ということについて疑問や違和感を覚えないのだろうか。そうすることが義務であり当然であるなら、その人自身こそ「自分は絶対に生涯かけて契約を貫き通すし、自分の心は一生変わるわけがありません!」ということを言い切れるのだろうか。

そう言い切れる人ならすごいねーとは思うが、しかしだからと言って、その自分の価値観を他人に押し付けて怒るというのはやっぱり違うだろう。他人なんだから。

要は、他人のプライベートについて外野が意見を述べる必要は全くないし、自分のご立派な価値観や正義感を赤の他人に押し付けようとするのは納得いかないし、そういう理屈で自分と異なる他人に対して怒ったり否定したらするのって変だよね、本当はそういうふうに怒ってる人ほどそれがしたくてしかたなくて、羨ましいってだけなのではないですか?という話でした。