文芸部の話

高校のとき、文芸部に所属していた。
私は小さい頃から物語を空想するのが好きで、作文もまあ得意な方で、中学では小説を書いては友達に読ませていた。
そんなものだから、高校では始めから文芸部に入ろうと決めていた。

入学後の昼休み、さっそく部活の勧誘合戦が始まる中、私は真っ先に文芸部の部室を探した。校舎の昇降口を上がってすぐの階段を2階へ、薄暗い廊下に並ぶ文化部係の部室、ど真ん中の3畳ほどの部屋が文芸部の部室だった。正面には窓があり、そこは中庭に面していた。入って右手の壁面には本棚と太宰治のポスター。反対側には華道部の棚(だいぶ文芸部が占有していたが一応は共用ということになっていた)。真ん中に正方形の木の机、数脚のちいさな木の椅子、過去の部誌、好きなことを書き連ねる共有のノート、書きかけの原稿、誰かが持ってきた漫画、あるいは小説、そんなものが散在して、いかにも文芸部然として心が踊った。
初めて部室を訪れたその日は、三年生の先輩が1人と、同じ一年生が1人いた。私は熱烈歓迎を受け、その日から文芸部員となった。

そこにいた一年生は、Yといった。Yとはクラスが離れていて面識がなかったし、見た目がわりとリア充っぽいので、はじめは仲良くなれるか少し不安だったが、私と下の名前の読み方が同じで、すぐに打ち解けた。あとで知るのだが、Yの精神世界はとても大人びていて、まるで陶磁器のような、繊細で透き通る文章を書く人だった。Yは短編が得意だった。
私はというと、小説を思うままに書くも、構想ばかりが膨らんでなかなか完結しない。そのうちに違う話を書き出す。だんだんと小説を書くのが億劫になってきて、毎月の部誌ではたまに続きものを書いたりもしたが専ら詩を書いたように記憶している。

部誌は、毎月1回発行の簡易的な雑誌と、年に1回発行する製本された正式な部誌と、二種類あった。毎月の方は、締切までに部員がめいめいに好きなものを書いて持ってきて、それを本になるようにテープで裏表にしてつなげてページを作り、生徒会室の前にあるコピー機で両面刷りし、ホチキス留めをして雑誌にする。表紙は輪番で誰かがイラストを描いた。みんな小説も読むが漫画も好きで、たいていはイラストを描くのも好きだった。

イラストにしても書くものにしても、上手くはなくても、みんな互いに認め合い受け入れていた。みんなそれぞれが好きな人や好きなもの、好きなことを決して否定されることはなかったし、書いたものをマウンティング目的でこき下ろされることもなかった。学年の成績トップ層の人もいれば、下の方の人もいたし、容姿の整った人もいればそうでない人もいたが、それらは書くものの面白さや感動、精神世界の性格とは全く関係がないことをみな知っていた。みんなそれぞれを尊重しリスペクトしていたと思う。それは馴れ合いというのとはまた違って、それぞれが自分らしい自分でいられる絶対的な安心があったということだ。
私は高校時代にこのようにして人を点数や美醜で評価する世界から離れられてほんとうに良かったと思う。私の人格の大切な部分を、ここで構築したような気がする。

文芸部は、楽しかった。
周りからは根暗な集団と思われていたかもしれないが、そんなことはまったく平気だった。
文芸部であることに誇りを持っていた。
みんなを愛していた。
だから私は今でも文芸部員だったと名乗る。
文芸部は私のアイデンティティの中核にある。
書くものは稚拙かもしれないし、なにかに偏愛が過ぎるかもしれないが、思うことを表現できること、それを受け入れてもらえるという経験は、ほんとうに素晴らしいことだと思っている。

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