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Is there a fire drill?

 そこはロンドンの北。地下鉄のヴィクトリア線沿線にあるセブン・シスターズ駅。ロンドンは洗練と異国の香りが共存している街だ。しかし、セブン・シスターズの周辺は丸みを帯びていた融合が刺激へと様変わりする。人々が違う。雑多な音が重なり、その音量も大きい。ヴィンテージデニムのような風合いではなく、煤のような汚れがあらゆる場所に付着している。

 僕はホワイト・ハート・レーンを目指す。そこでトッテナムとウェストハムはダービーを戦う。「ボックス型」という言葉通り、そこは箱のようなスタジアムだ。年季の入った壁に階段。狭い通路。駅から歩いた街並みがそのまま持ち込まれたかのようだ。客席はまだ閑散としている。チームの象徴でもある雄鶏が夕焼けに映える。

 「感情は往々にしてオブラートに包まれる」。部分的にでも、そんな言葉に同意するのであれば、ホワイト・ハート・レーンにあるオブラートは極めて薄い。感覚としては皆無に近い。ネットを揺らしたゴールの数々は流麗な軌跡を脳裏に残す。

 それらへの賞賛と同時に、ミリ単位のミスにも最大級の罵倒が飛ぶ。その視線は鋭利な刃物のようだ。そこでは孫興民が”Sony”と呼ばれ、僕への視線には異物を眺めるような痛みを感じる。ゴールが決まれば、茶化すように僕の頭に触れてきた。気のせいかもしれない。しかし、その時の僕は周囲に調和していなかった。

 大差で試合を支配したトッテナム。スタジアムの隅に身を寄せるウェストハムのサポーターたちはホワイト・ハート・レーンの階段を下り、出口へと列をなす。

“Is there a fire drill?”

「消防訓練でもあるのか?」とその言葉は問う。もちろん、そんなものはない。トッテナムの選手たちが決めた四つのゴールが火の粉を見舞っていなければ。

“Why are you here?”

正確には覚えていない。しかし、最後まで試合を見届けようとする者たちに対して、そんな根も葉もない言葉が飛んでいた。

 偽りのない感情。その裏には圧倒的なチームへの愛情と誇りがある。そして、海のように深いウィットもそこにある。「消防訓練」という言葉が持つ、あらゆる感情が街に見た煤のように、僕の内にこびりついている。

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