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島を離れることへの葛藤と決意

2018年の初夏。僕は島を離れる決意をする。

僕のこの島での役割は終えていたのだろうと、振り返る。当時、黒岩さんに下記の内容を伝えている。

黒岩さんに伝えたこと

これまでの経験の積み重ねから、宝島に対して、ネガティヴな考えが募ってしまっている。島に携わる事に対して、島内の慢性的なマンパワー不足による「やらされている感」で、これまで以上に精神的なストレスを感じている。

事業所、個人に対しての批判を聞き続け、疑心暗鬼な部分もあり、頭ではわかっていながら、適切な行動が取れないことが出て来ていた。これまでも、「自分が島に居続けるために。」公私ともに様々な事に取り組んで来た。

しかし、様々な課題への打開策が見つからないことに対して、移住当初のモチベーションが戻ることはないと感じている。今更ながら、管理者である自分自身の介護の経験の無さは否めない。それが職員や地域の方からの不信感を招いているように感じる。

何れにしても、自分が変わりえたとしても、宝島の住民意識に変化は求められないと感じている。自分自身の成長の機会を、福祉関連の事業だけにこだわらず、宝島以外に見出している。

罪悪感もありながら

島に対しても、会社に対しても、罪悪感がありながらも、返ってきた代表や他の管理者からのメッセージに、こみ上げてくるものがあった。そのメッセージは保存してある。

島唯一の医療職との関係

しばしば看護師が事業所に対して不満を漏らしていたという話は、風の噂と共に耳に入ってきた。常駐の医者のいない宝島では、看護師が唯一の医療職だ。そのプレッシャーは計り知れない。だからこそ、一緒にやりたいと思っていた。

もちろん、医療面で相談する窓口は、ここしかない事実もある。事業所としては、チームで関わっていたし、そのチームに看護師にも入ってもらいたくて、僕たちの考えを伝えてきたつもりだ。また、看護師の担っているものを少しで軽減できればと思っていた部分もある。

それでも、意見が合わないこともあった。当時、僕から外に出さないように心がけてきたが、直接的にぶつかることは多々あった。医療と介護の連携の難しさということを日々感じていた。ただ、そのことに対して、正解はないとも思っている。「意見をぶつけ合って、考えていきたい。」いつか看護師に言われた言葉だったと思う。思いがけず、お酒が入った席でも、意見が合わずにぶつかることもあった。周りから「うまく行っていないのでは?」と心配される声が出ていたことも事実だ。

僕自身、若く、経験が少なかったこともあり、足りなかったことも自覚している。だからこそ、ぶつかったのだろうし、譲れないことが多かった。ぶっちゃけ、スタッフにも相談できないときには、海や山で叫んだこともある。

僕自身も、宝島で過ごす年月が長くなるに連れて、変化してきたつもりだ。マウントを取りに行ったり、あえて取られに行ったり、あの手この手で関係性を良くしたいと模索し続けたものだ。もちろん、これは一方通行ではない。お互いに努力していることだったと思っている。

現在、宝島最高齢のシマさんから、ご本人の経験、見てきたものを通して、僕らに何度も諭される言葉がある。

「人に必要なのは、勇気じゃなくて、理解することだよ。」

重く深い。納得する答えを探し合う作業は大変だった。それは、お互いの立場で思うことだろう。2019年度から看護師が2名体制になるとのこと、各島の看護師の皆さんが担うものが少しでも軽減されることを願っている。

2018年の夏も宝島には、いつものお盆の風景があった。少しづつ、変化しながら。いつもと違うのは、田んぼの脇に合鴨の鳴き声が響いていることくらいだ。

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