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美江子さんへの手紙

美江子さんが体調を崩したのは、去年12月でしたね。ヘリコプターで奄美大島に救急搬送された時、私は心配で眠れませんでした。事業所内で体調を崩され、責任も感じていました。

奄美大島での入院を経て、宝島に帰ってきたのは、クリスマスイブでした。すごく嬉しかったです。

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少しでも長く座っていてほしいと、スタッフも介助の勉強をしました。それは、美江子さんの焼くヤキモチを囲みたかったからです。みんなで鍋を囲んだ忘年会は格別でした。手づかみで器用に魚を食べている姿に、幸せなを感じました。

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年末を一緒に過ごした日々。ヤキモチづくりのそばには、子供たちがいました。仲良しのシマさんも鏡餅の準備をしていて、「いつもの風景」がありました。それがありがたいことだと、いま改めて感じます。

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体調が思わしくかなった大みそか。ベッドサイドにある写真を眺めてらっしゃいましたね。小宝島や遠方に住むご家族にも電話をかけて…。その夜、スタッフに「(小宝島に)帰らせてくれ」と。年明けすぐに、家族が来島し、宝島で正月を過ごされてました。

最期を故郷で迎えてたいという気持ちを知っている家族は、鹿児島の病院を受診するか、最後の最後まで悩み、考えていました。でも、「もう一度元気になって帰って来て」と、鹿児島行きを決断しました。

朝早い船便の出港でしたが、地元の消防団や看護師、皆さんに見送られました。シマさんも起きて「また帰っておいでよ」と美江子さんの手を取られましたね。設立当初から「たから」で一緒に過ごしてくれた二人にとって、特別な時間だったのだと思います。

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鹿児島に行ったあと、容体の経過を聞くたびに、みんなで一喜一憂していました。「胃ろうをつくって帰ってくることになるかもしれない」。少しでも食べ物が飲み込めるようになって欲しいと願っていました。海の幸を食べるのが大好きな美江子さんに、今まで通り猫も食べるところがないくらい、きれいに食べて欲しかったから。ヤキモチのタネを、ペロッと味見して欲しかったから。

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美江子さんやご家族が、「また帰ってきたい」という思いを伝えてくれたことで、宝島のみんなが、みとりについて、改めて考える機会になったと思います。

4月30日、89歳で亡くなりました。鹿児島の病院から、お骨になって小宝島に帰られた日。それは、7年前、美江子さんが鹿児島の老健施設から、宝島に戻ってきた日でした。

この前、お線香を灯しに小宝島のご自宅をお邪魔したとき、美江子さんに教えてもらった(美味しいからと騙されて味見した)草を、かじってみました。やっぱり苦かった。でも、美江子さんの笑顔を思い出しました。

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