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宝島のボスの前で事業の報告を行い、たけちゃん一座から、元気をもらった話

年が明けての2013年、鹿児島での報告会の場が設けられた。鹿児島市の小規模多機能ホーム連絡会の後藤さんに声をかけて頂いてのことだった。後藤さんには、宝島に行く前に、実家の近くにある事業所を見学させてもらった時から、気にかけて頂いた。

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その報告会には、地元の声として、当時の自治会長にも参加してもらっていた。自治会長も話をしてくれた。その時に、僕から見えていた宝島と、自治会長から見えていた宝島は、違っていることを感じた部分もある。

僕は外からの人間だからこそ持てる視点があると思う。、その視点を忘れないようにと

「和して同ぜず」(人と協調はするが、道理に外れたようなことや、主体性を失うようなことはしないということ。)

と呪文のように唱えていた。

報国会の後の飲み会の席で、「もっとディープな話が欲しかったね。」と後藤さんに助言を頂いた。確かに、今だから言えることばかりで、当時の報告会では当たり障りのない範囲での話しかできなかった。こういう実践を言葉にしたところで、実際の現場は伝えきれない気がしていた。何より、自治会長のプレッシャーが大きかったのだけど。

たけちゃん一座と、榎木まさゆきさんの歌

その時の出張で、初めて生の「たけちゃん一座」を観た。高齢者や認知症をテーマにした劇団で、DVDでは見たことがあった。劇団員は、普段は介護事業所に務める現場の方たちだった。鹿児島弁での劇なので、鹿児島に縁のない人には伝わらない。だからDVDの映像には、日本語なのに字幕が付いている。この時期の僕も、相変わらずもがいていた。だから、書き初めでは脱皮と書いた。

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そんな時期に、この劇を観れて、救われた部分がある。普段関わっている認知症の方をこういう風にも伝えられるのだと感じた。僕らは代弁者でもある。

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いろいろと苦しかった時期で、榎木まさゆきさんの歌われた【上を向いて歩こう】に、涙が出そうになった。よかあんべの玉井さんとの時間を思い出した。黒岩さんに、何か意図があったのかと尋ねた気もするが、「そんなこっがあっかよ!(そんなことがあるかよ!)」と笑い飛ばされた。ありがたいことに、とことん僕は、自分の環境に対しては前向きなようだ。

そのころの宝島

宝島では、黒糖作りの季節。岩義さんは、見学に行かれた。「80にもなれば、こげなもゆかね。」昔のようには作業できない身体を嘆かれた。そして、黒砂糖作りを取り仕切っていた彦雄さんに、「(妻の)スミ子を、見捨てんでくれ。」と語りかけられたという話を聞いて、胸がキュッとなった。

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そして、泊まりの利用をされたシマさんのご家族から「あんまり行かない方がいいのか」との声があった。あるスタッフから、「里心から出てくるから、来ない方がいい」と言われたとのこと。また、他のスタッフからは、「自分の家が一番いいのよ」と言われたとのことで、スタッフの言うことが分かれていて、困っている様子もあった。

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お互いのことをずっと知っているから、それぞれの想いもダイレクトに伝わる場面がある。

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