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🍥桜刺し🍥



結婚の承認を得に、妻の実家である熊本へ行ってから十余年。

その折に食べた熊本の桜刺しに感動し、いまでは季節の変わり目には膝の痛みとともに、額に「馬」という文字がうっすらと浮かびあがり、スニーカーのNのロゴがHに変わるほどの好物になってしまった。

それって…ニューバランスの偽物パチモンなのでは…

などと思ったあなたは修行が足りない。鼻人参の刑に処す。

キャロットノーズはさて置いて、ありがたいことに誕生日に義母から馬肉がたくさん届いた。

「おれんちの冷凍庫には桜肉がたくさんあるんだ」

この事実だけで、神仏の霊験れいげんに比肩する心強さがある。このまま精神の拠り所として冷凍庫にまつっておくのもいいかもしれない。

いや、食うよ食わしてくれよ。

私は、燻製家とあると同時に、桜肉愛好家バサシストだ。こんなに上等な桜肉が目の前にあるのに、

食わずにいられるかよ。


というわけで、早速桜肉を切っていきたいのだが、ともすれば大型の獣ですらほふり去れるほどの恐るべき硬度に冷凍してある。両手に持って「桜無双」などと叫び暴れ回りたいところだが、家族に害をなす暴漢や獣の類は残念ながら見当たらないし、狼藉者ろうぜきものに馬肉を食べる資格などない。ここは大人しく、パックごと60〜90分ほど氷水に浸け、切りやすい硬さになるまで「半解凍」していく。完全に解凍してしまうと、一般家庭の包丁でキレイに切り分けるのは難しいだろう

半解凍の桜肉はシャリっと切り易く角も立ち、盛り付けて食べる頃には食べごろに解凍されているという寸法だ。以上の口に迎えるまでの一連の経緯プロセスをバサシスト界では、

桜解凍大作戦フローズンホースタクティクスと呼ぶ。

嘘である。こんな子供のおねしょ後にする言い訳のようなタクティクスなど存在しない。タクティくせない。

それはさて置き、なかなかお目にかかれない量の桜肉なので、せっかくだから熊本に敬意を表し、熊本にちなんだ盛り付けをしていこう。

熊本県の象徴シンボルといえば、阿蘇山だろう。その世界でも有数のカルデラのなかに「阿蘇富士」や「阿蘇のえくぼ」と呼ばれる、米塚こめづかという山がある。

阿蘇富士と言うだけあって、日本人の琴線に触れる美しいその山容フォルム

米塚は、阿蘇神社の祭神である健磐龍命たけいわたつのみことが収穫した米を積み上げ山を造り、頂上のくぼみは米を掌ですくって貧しい人々に分け与えた跡、という伝説が由来とされている。

私は、米の代わりに馬肉を積み上げて、米塚ならぬ「桜塚」を造っていくことにした。

名付けて、

阿蘇カルデラ桜塚盛り


である。

「なんだこれはッ!!」

などと、桜塚コレを一見した妻は範馬勇次郎がごとく反応を示したが、『どうだい阿蘇のようだろう』と私が言うと、火の国女の血が騒いだのか、満更でもない様子で塚を見つめていた。

米塚は岩滓スコリアで形成されているが、桜塚の内部は新玉ねぎとブロッコリースプラウトだ。それらを馬肉とともに、にんにくを溶いた九州醤油につけて口に放る。

…なんて…美味うまいんだ…

たちまち私のウマ閾値いきちが基準値を超え、血中に桜吹雪が舞って脈が烈しく乱れ昏倒しそうになる。

他のどの獣肉、畜肉、魚肉にも無い圧倒的な甘みがたまらない。

桜肉を二つの意味で馬食し、日本酒、焼酎が続々と加わって、夢のような晩酌は大円団となった。


翌朝、晴れて二日酔いとなって、よたよたと身支度をはじめる。
靴下に足を突っ込むが、なにか違和があった。
足裏の感覚が鈍く、かつかつと鳴るほどに硬い。

のちの、ひづめであった。

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