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良いチームが良い社会を創る

題名の通り、これは「チーム」というものについて書いたnoteで、
「自分がチームというものに魅力を感じていること」と「良いチームが何をもたらすのか」ということを書いてみた。
 
自分の中でのチームに対する想いについてnoteを書こうと思ったのには、
大きく2つの理由がある。
 
一つは、自分自身の「チームに対する想いを整理したかった」から。
小学生からずっとチームスポーツ(野球とアメフト)をやってきて、アメフトで言えば18歳~29歳まではコーチという役割でチームに関与してきた。
そして今では、人事という立場から会社というチームを強くすることを役割として担っている。
 
それからというものの、チームのことを考えなかった日はないと言っても嘘ではないくらい、「チーム」というものをずっと考えている。
18歳の時から13年間、アメフトコーチ、そして今では会社の人事という役割でチームに携わり、
フィールド上の一個人として自分の事を考えるよりも、チームを俯瞰的に見る立場にいることがそうさせているのだろう。
 
ふとした時も「もっとこうなったら良くなるかな」「うちのチームはどういうチームなのか」「この良いチームは何が良いんだろう」といった具合に、
常にチームがより良くなるために何ができるか、このチームに何が起きているのか、といったことが頭に湧いてきてしまう。シンプルに「チーム」というものが好きなんだと思う。
(自分が関与するチーム内のことはもちろん、他のチームの特徴を考えることも含めて)
 
アメフトコーチの時から好きだったけど、人事として学問的にもチームの事を学んだことで、さらにその好きが加速した気はしてる。
その好きの要素を分解しながら、自分の中でのチームへの価値観をしっかり明文化して見ようと思ったのが一つ目の理由。
 
もう一つは、「良いチーム創りを目指す意味」を考えたかったから。
 
自分にとって良いチームを創ることは、
飽きることなく、ただひたすらに没頭できるものであることに変わりないんだけど、それを追求する先になにがあるのか。
それをこれを機に考えてみようと思ったのが2つ目の理由。
 
そして、2つの理由から、このnoteを書いて思ったことは、
 
『良いチームが良い社会を創る』ということ。
そして、『良いチームを創ることが僕が今時間を注ぎたい』ということ。
 
少し長く、
ロジカルというよりはエモーショナルな文章多めになっているが、、、興味ある方はぜひ読んでみてください。

■チームとは


僕が深く関与してきたチームは、自分が属しているスポーツチームや会社であるが、一般的なチームの定義は以下の通り。

A team is a group of individuals (human or non-human) working together to achieve their goal.

wikiより

少し堅苦しく書くと、「共通のゴール達成を目指す個の集合体」で、
会社はもちろん、友人同士・恋人同士でも、個人事業主でも、フリーランスでも、年齢、国籍、性別などは問わずに、
二人以上の誰かと同じゴールを目指す集団のことを指す、ということだと定義したうえで、このnoteも書こうと思う。
 
僕のことをよく知っている人は、
どこかで「花田の言うチーム=スポーツチーム」という印象を持つ方もいると思ったので、あえて言葉の定義をさせていただいた。
 

■僕がチームが好きなわけ

好きなわけ❶:「同じ志を持つ仲間と頼り頼られ生きること」


この言葉は、ハーバード大学が「人は何が幸せか」というテーマに対して、75年の研究結果として出した答えから拝借した言葉。
 
人は誰しもが良くなりたいと思ってるし、人から信頼されたいとも思っている。(そう思って何か行動するのとしないのはここでは別の話)
実際に、部活の教え子との会話、自己理解研修内での発言、面接候補者の希望、転職相談の際にも、たくさんの人から「誰かと何かに向かって進んでいくことが好き」という言葉が出てくる。
*そこにはだいぶ抽象性が残っていて、もう少し解像度を上げないとネクストアクションは見えにくいのでご注意を
 
間違いなく僕自身もこの言葉に大きく共感する一人で、チームであることが自分をモチベートしてくれる。
 
自分自身が楽しかった時のことを思い返すと、出てくる映像は、常に自分以外の仲間と何かを目指してるところである。

単に何か目標に向かって努力することも出来るが、僕にとってそれを続けることは難しい。だから一人で努力をし続けることは続かないし、良い結果も出たことがない。
 
もちろん、内なる志は自分の中から生まれてきているとは思うが、
それを維持し続けること、自分以外の仲間のために努力する動機があることで、常に自分を高め続けたいと思えており、そこがチームの価値でもあると思っている。
 
多くの人が実体験から共感する言葉だと思うが、
職場などでは意外とチームに対するリテラシーが低かったりすることも多く、それがまたチームの難しさでもある。

好きなわけ❷:「個では見れない世界が見れること」


 「個の限界を越える」 ー 単純にこれがチームである意義だと思う。
 
個の総和以上の力を発揮できることがチームがチームである意味で、チームでしか出来ないことを目指しているからチームとして存在している。
それを再現性高く実現させるために人事領域でも組織開発というものがあると思っている。
 
これを強く想うようになったのは、アメフトコーチの時の出来事が大きく影響している。
 
目標を達成するには、決して恵まれた環境ではなく、間違いなく1対1で戦ったらほぼ負けてしまうようなメンバーだった。
 
それでも、まだ達成したことがないチーム目標(もはや憧れ)のために、
個々ができることをやって、チームの中で相互補完、相互理解、相互学習をし合うことで、チームとしての総和が、自分たちが思っていた以上のものになっていたことを何度も体現してきた。
 
決して一人では見れない、個の集合であっても真のチームでないと見れない世界観。
あの時の興奮や達成感、そして振り返った時に「良いものを創れたね」と仲間と笑い合える瞬間は、何にも代えがたいものである。

だからこそ、今ではもっともっと、今のチームでその総和を上回るほどのチームを目指していきたいと思っている。

試合終了時の整列の場面(右が自分のチームで大差で勝利した時のもの)
*もちろんこの試合に勝つまでに何度も負け続けてきた相手で、彼らがいたから強くなれました。

好きなわけ❸:チームは個人と同じぐらい個性的

同じチームは存在しない。100チームあれば100チーム異なる。
 
同じような体系の選手が両チームにいても、同じような経歴の社員が両社にいても、決して同等のチームになることは無い。
人の性格が異なるのと同様に、チームもチーム文化といったそれぞれを差別化ものがある。
 
それ自体が組織の強さを大きく左右し、僕の中では戦略を考えるうえでも最も大切にすべきと言っていいほど、大事な投資対象になるとさえ思っている。
実際にドラッカーも「Culture eats strategy for breakfast(企業文化は戦略を朝食にして食べてしまう)」と言っているほどだ。
 
チーム文化=その集団が信じるもの、そしてそれに基づいて判断/行動することで創られるもの
 
この言葉が意味している通り、チーム文化はすぐに出来上がるものではなく、
日々の「行動」によってのみ創られていくもので、だからこそ、他者(他社)が簡単に真似できないもの。すなわち、それ自体が競争優位になるものでもある。
チームがなぜ勝ちたいのか、どう勝ちたいのか、どう在りたいのか、そしてそれが自分たちの生き様そのものにもなると思う。
 
そんな個性的なチームに関わることは、
(飽き性な僕にとっては特に)探求心をくすぐり、さらに追及していきたいと思える対象なんだと思う。
チームごとに違うからこそ、自分たち「らしさ」が出せること、これが最高に面白い。

■良いチームとは


では、良いチームとはどんなチームなのか。

良いチームの定義は、それこそもっと専門家たちの書籍がたくさんあるので、あくまで個人的な見解でいいチームが持っている要素をいくつか書いてみる。
ここで言う良いチームは、「マネジメント」や「役割の明確化」など、良いチームにするために必要なもの・手法を意味しているのではなく、良いチームの”状態”を指して書いている。
何をもって「良い」と言っているかといえば、主観が強いと思うが、勝ち続ける文化があるチームという前提で読んでほしい。

良いチーム❶:「チームである意味を見出せている」


これは上述の「チームが好きなわけ」にも書いてことと重複するし、他の書籍にも共通しているが、
やはりチームがチームとして存在している目的が明確で、それをメンバーが認識・共感していることが、いいチームには必要不可欠なものだと思う。
 
どんなに優秀な人がいても、自分に合う人がいても、面白い人がいても、
目指すべき方向性や、そこへの共感がなく、「協働」する関係性になければ、そればチームでなくただの集団でしかない。
 
異なる一人ひとりがチームとなって目的を達成するためには、
目指すべき方向性があり、そこに行く意義や手段に対して、メンバーの納得感がなければ到達することは難しい。
 
そのためには、個々の原動力とチームの目的を紐づけたり、取り組むことへの意味付けをしたりする必要もあるが、
まずはチームの北極星を示し、メンバーがそこを目指す意味を見出せている状態が大切だと思う。
 

良いチーム❷:「個人の「らしさ」がたくさん発揮されてる」


個人的に「らしさ」という言葉は非常に好きな言葉の一つ。
そしていい複数あるいいチームに必要な要素の多くを生み出すために、極めて重要な要素だと思っている。
 
チームである以上、チームとして結果を出すことが求められるが、
そのプロセスにおいて、個々の「らしさ(個の強さ)」がたくさん発揮され、その「らしさ」が相乗効果を起こすことで、大きな結果を出せてるチームは強い。
 
それは、個の能力が高いことを意味しているのではなく(もちろんそれもあるが)、チームの中で「らしさ」を発揮できると、個のチームに対する貢献意欲が高くなる
 
自分がやっていることは他のチームでも出来るし、もしかしたらもっと良い環境でできる可能性もあるけど、
それでもこのチームだから頑張りたいと思える、このチームの仲間と見たい世界がある。それがチームの強さに直結する。
 
さらに、チームの「らしさ」も同様だと言えよう。
そのチームならではのやり方が、自分たちだからできるという自己効力感にも繋がると思っている。
 
管理者や指導者の影響力に大きく起因する要素になると思うし、頭では理解できていてもそれを実際に出来るのは難しい。
でもそれが出来てるチームには、自主性があふれ、規律も生まれ、仲間に尊敬の気持ちも持った、強固でブレないチームが多い。

良いチーム❸:「いかなるメンバー間で正直なコミュニケーションがとれている」


コミュニケーションは大事な要素であることは大きの人が思い浮かぶと思う。
もちろん適切な情報共有や、最善の意思決定をするためには、「コミュニケーション」というものはなくてはならないもの。
 
ここでいうコミュニケーションは、”いかなるメンバー間”での”正直な”コミュニケーション。
 
”正直”というところが重要なポイント。
(ちなみにこれはサイボウズの青木社長が使っていた表現からお借りしている。)
 
「素直」とか「誠実」とかもチームのメンバーに求める要素に出てくることはあり、もちろん大事な要素だが、この表現は人によって解釈が異なるとこがある。
 
ある人にとっては誠実だと思うことが、他の人にとっては誠実だと思えないこともある。
 
例えば、お世話になっている取引先がいて、その取引先の売り上げが苦しいとする。
ある社員はいつものお礼として、少し割り引いてサービス提供をする、別の社員は会社の利益のために定価でサービス提供をする。
おそらくどっちも誠実さを持って対応しているが、果たしてどっちが誠実と聞かれれば、人によって解釈は異なる。
 
だから常に”正直”であることが一番に求められること。
分からないなら分からない、間に合っていないなら間に合わない、こう思ったならそれを言う。
そういった具合に、常に正直に伝えるコミュニケーションが取れている、そんな風土が作れているチームは強い。
 
話を戻して、
”正直な”コミュニケーションは、チーム内のコミュニケーションが持つ「プラス面の最大化」と「マイナス面の最小化」の両面あると思っている。
 
まずはプラス面の最大化。
これはチームのスピード感や柔軟性に直結するもので、想像もつきやすい要素だと思う。
シンプルに同時多発的に生じる課題なども、どんなメンバーの組み合わせでもアイデアを出し合い、出来ることにトライできるようなコミュニケーションが取れることはチームにとっては強みの一つ。
スポーツで、フィールド内で選手だけで考えて行動できるチームが強いのと同じ考え。
 
そしてマイナス面の最小化。
チーム内では役割や立場が違えば、思ったことを言いにくかったり、歴が長い関係性だから伝えづらいこともある。
時にそれが、チーム内での陰口やネガティブな関係性になっていくこともよく見られる。
 
そこでも素直なコミュニケーションが取れているチームは、
なんでも間でも素直にぶつけ合うまではいかずとも、分からないことは聞く「質問責任」と、聞かれたことには答える「説明責任」がしっかり果たされていると思う。
 
僕の中では、陰口を言うのはチームにとっての裏切りであり、思ってることがあるなら正直に伝える。
そう強く思っているからこそ、良いチームの要素として入れた。
 

いいチーム+a:「みんなで楽しい宴ができている」


これは単に僕が宴が好きというわけでなく(そうでもある笑)、宴にはチームを強固にする貴重な役割があると思う。
 
まず思い浮かぶのは、
立ち止まって労ったり、そこまでの成長を振り返ることで次のモチベーションに繋げたり、出来たことを祝ったり、
いわゆるチームの成長に繋がる機会になることは想像できることだと思う。
アメリカのアンダーアーマーにも「Celebrate the win」という考えがあり、定期的にそこまでの実績を動画にしたり、という工夫もしていて、非常にかっこいい。
 
もう一方で、宴は「自分がそのチームの一員である」と思えていることが心から楽しめる前提条件にあると思う。
そして、「一員である」と思えているさらに根底には、「自分がチームに貢献できている」と思えていることが非常に大きい。
 
もしチームがさらなる成長を目指しているのであれば、
宴というものは、次の宴も全力で楽しむために、チームの仲間であり続けるために自分も成長しようと思わせてくれる
だからこそ、みんなが楽しめる宴が出来るチームは、いい状態を保つ一つの要素だと思っている。
 

■良いチームは何をもたらすのか

ここまで、僕個人の見解でチームの魅力を書き記してきたが、
結局のところ、「良いチームは結局何をもたらすのか」
 
人にはそれぞれ能力がある。
他の人には出来ないけど、その人には出来る能力が絶対ある。
逆に、その人には出来ないけど、それができる人が他にいる。

でも、
その能力にはたくさんの発動条件があって、全ての場所で能力を出せるわけではない
 
多くの人が属する「チーム」というものは、その発動条件に大きな影響力を持っている。
 
いいチームは、能力の発動条件を多く満たす。
能力を発揮して取り組みことに意義があり、自分らしい能力でチームに貢献できると感じ、仲間を助けながら自分もさらに強くなれる。

その逆として、時にチームは能力の発動阻害要因にもなる。
能力を活かす意味を見出せず、能力を活かす機会がなく、当然ながら知られることもないまま無気力や無思考な状態に陥る。
 
だからこそ、
良いチームは、良い人間関係を育み、良い思考を促し、良い行動を引き出し、良い結果を生み出す。

良いチームは、人が持っている能力を、もしかしたら本人でもまだ気づいていない能力さえも引き出し、今日よりもきっと頑張り意味が出来る。

チームが持っている「総和以上のエネルギーを生み出す力」で、
今以上に日本や世界をより良いものにできる。

 
僕自身もチームのおかげでたくさん成長してこれた。一人では目指しもしなかったことに挑戦出来た。
チームで達成する楽しさも、負ける悔しさも、またそこから立ち上がる強さも味わってきた。

良いチームにいると、
自分に前向きになるし、もっと頑張ろうと思える。そして仲間にも誠実になれる。何より人としてちゃんと生きようと思える。
 
だから、僕は『良いチームが良い社会を創る』と思っているし、
これからも良いチームを創りたいし、良いチームを支えたいし、良いチームにいたいと思う。
だからこそ、そこにエネルギーを注ぐ価値があるとも思っている。
良いチームで楽しいことやって、良いチームで苦しさも乗り越えて、良いチームで勝って、良いチームで宴をする。(←お酒も好き)。
 
今のところは、「コーチ」か「人事」という役割でチームに携わっているが、チームへの関わり方は他にもたくさんある。
これからも、自分らしいチーム創りを目指していきたい。
 
#良いチームが良い社会を創る
 
花田悠太

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