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紙芝居クリエーターと画家をしています。

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最近の記事

ぼくが人である証明

よろしくお願い致します。

    • 脚本「無限を跳ね返した男」

      脚本「無限を跳ね返した男」 😈「おまえもここまでだ。我の無限エネルギーを受けたものは永久に負のエネルギーに閉じ込められるのだ。ふっふっふ。」 😈「くらえ!無限ビーム!」 どかーん💥 🌀🧎🌀「ええっと、これはこうで、つまりそれで…」 💡「あ、そうか!」 👿「な、何⁇バカな!?おまえはたしかに我の無限ビームを受けたはず…」 👿「何故、生きているのだ!?…」 🚶「さあな。自分で考えな。ところでこの辺の近いタクシー何?」 👿「な、なぜ我にそれを聞く…???」 🚶「

      • 地球の環境問題についての提案

        おれは前も述べたけれど、〝地球〟とか〝破壊〟とか〝滅亡〟とか、そういう言葉の定義付けが必要なんじゃないかと思うんだけど。それを無いままに、目の前の、目に付いたこと、それだけを救うというのは、それも必要なんだけど、その先に起こることを考え防ぐ為にも、そうした定義が必要と思うけれど。 それは〝地球〟にとっての人権のような…、惑星なのだから、〝惑星権〟なのかな、そういう観点から、丸ごと考えた憲法書みたいな、辞書のようなものを作った方が、はみ出した部分とか色々分かりやすいと思うんだ

        • おはなし「くますけ君とえんぴつ君」

          1、 くますけ君はぐるぐると円を描くのが好きです。 また、えんぴつ君も、くますけ君にぐるぐると円を描いてもらうことが好きです。 2、 そんなくますけ君は、学校へ行くようになりました。 えんぴつ君は、ペンケースの中にいます。 くますけ君はひとつひとつの文字を、えんぴつ君で書きながら覚えてゆきます。 とてもえらいことです。 3、 いつしか、くますけ君は、たくさんの文字を覚えました。 そして、えんぴつ君で、たくさんの文字を書きました。 とてもすばらしいことです。 でも、えんぴつ

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          詞としての紙芝居として(雑記)

          見てもらうための言葉と話すための言葉って違いますね。 ぼくもそう思います。 絵本と紙芝居の違いの、基本的なこととして、 絵の表に文字があるか、裏に文字があるか、 ということと、 文字が見てもらうために書かれているか、話されるために書かれているか、 という違いがある。 実はそのラインで、詩と詞の違いと言えるのかもしれない。 なので、ある意味、紙芝居は演者が居ないと成立はしないものではあります。(詞としての紙芝居として)

          詞としての紙芝居として(雑記)

          おはなし「おもちのお星様」

          おはなし 「おもちのお星様」 ① あるところに、おもちがひとつありました。 お正月ではありません。 10月です。 ② おもちは、すこしねむりました。 どのぐらいでしょうか。 それが10ヶ月です。 ③ おもちは、あくびをしました。 やあ、お正月からずいぶん経ちましたよ、と、風がふわりと伝えました。 そうでしたか、とおもちは思いました。 ④ 風がある時、熱にうなされました。 悪い夢にうなされたのです。 それで、チョコレートを探す旅に出ました。 チョコレートを食べれば元気に

          おはなし「おもちのお星様」

          DA PUMPの「U.S.A」とは何だったのか

          ふと、DA PUMPの「U.S.A」とは何だったのか、を考えてみたくなった。 というのは、これは一体何のことを歌っているのか、というのが心の中で長い間ずっと疑問だったからだ。 それが昨日、分かった。 【「アメリカ」がやってきた「ジパング」はどのように変化したか】 という内容だったのだ。 僕が思うことは、これはプロテストソングの側面を持つことだ。 つまり、「西洋文化が入ったこれまでの日本をカッコいいとしていたけど、ダサいよね?」という意味合いを表現した曲なのだと、理

          DA PUMPの「U.S.A」とは何だったのか

          心と向き合うということの取り組み (「サンクチュアリ-聖域-」を観て)

          現代の人はこれから、より、メンタルの問題に直面するのではないか…。 今日、ふと、晩ご飯を食べながら思いました。 というのは、正直に言うと、ここ最近一気見し、とてつもなくどハマりしたNetflixドラマ「サンクチュアリ-聖域-」のキャラクターを思ったからです。 「サンクチュアリ-聖域-」というのは、お相撲のお話で、二十歳ぐらいの主人公が親方や兄弟子のしごきに耐えながらも自らの相撲の道を歩んでゆくというドラマです。 ハマった部分を思うと、主人公がヨダレを垂らしながらでも、

          心と向き合うということの取り組み (「サンクチュアリ-聖域-」を観て)

          「いつもの〇〇さん」という表現

          心の病の当事者は、職員に体調など判断される時、 「いつもの〇〇さんとどう違うか」という表現をされることがあります。 僕は思うのですが、この「いつもの〇〇さん」という表現は、とても不適切なことではないかと感じます。 一般の方、心の健康な方でも、「いつもの〇〇さん」という表現をされるのでしょうか。 時として、人は情報に影響を受けたりして、常に自分らしい、という事は無いと思います。 「その人らしさ」という表現を福祉では重んじるのに、現実では「いつもの〇〇さん」であって欲しいことを願

          「いつもの〇〇さん」という表現

          レッチリのby the way の空耳意訳

          レッド・ホット・チリ・ペッパーズのby the way を空耳意訳(⁇)してみました。 😇 以下…↓ 「倍猿飢え」 捨てにラーメン寿司醤油トゥナイト♫ 無いともう♫ 蛇喰ろう♫ 倍猿飢え♫ 会えちゃったしアマビエ♫ 飢えインテリホーム♫ ダニが動く隅そん時糸糸巻き♫ オーバー労働♫ 素敵なイフ! 母ちゃん! 根性! ブウ化⁉︎ 好きなフリ食い寿司奈良DJ 減税額倍ひとり箸ならフリー飢え タン里鳥とメリアリ梨絵 ビート・ザ・肉鳩脳猿食い飢え 同担! ブラは! 立件!

          レッチリのby the way の空耳意訳

          曲の中の「紙芝居」

          (写真は6月の国分寺紙芝居イベントにて) 最近、曲の中で「紙芝居」というフレーズが歌われることが増えたと思う。 というのを、意識したのは、今年リリースされた坂本慎太郎「物語のように」を聴いてからなのだが、改めてそのことを、時系列的に並べれば、時代背景と共に「紙芝居」がどう捉えられてきたか、が掴めるところもあるのではないかと思い、現在出来る範囲でリスト化してみた。 【曲の中で「紙芝居」が歌われたリスト】 〈()はリリース日〉 ・水谷豊「やさしさ紙芝居」(1980) ・吉

          曲の中の「紙芝居」

          午前中はエルデンリングというゲームで100回ほどツリーガードという敵に倒された末に勝利したことと午後は占ってもらったことの日記

          今日の日記(?)はとても〝つまらない〟と思う。 「〝つまらない〟日記を読みたい」という謎の意欲のある人だけが、この先の文書を読める、そんな気がする。 というのも、今日はそれほど日記に前向きでは無いからだ。何故ならば、ちょっと疲れているからだ。気持ち的に。 何故疲れているのか、ちょっと自分でも分からない。 もしかすると午前中に「エルデンリング」というゲームでツリーガードという敵に100回ほど倒されたからかもしれない。 だが僕は死闘の末(?)にツリーガードをついに倒した。レベル

          午前中はエルデンリングというゲームで100回ほどツリーガードという敵に倒された末に勝利したことと午後は占ってもらったことの日記

          「当事者は嘘をつく」、と思う

          2022年3月21日のこと。この日は〝宇宙元旦〟と西洋占星術では呼ばれているようで、時折Twitterやclubhouseなどを覗いては、その「見えない」元旦を、大勢の人々が祝っていているように見えた。 僕は、その日、国立新美術館へ行き、ダミアン・ハーストの描いた桜の絵と、メトロポリタン美術館展を鑑賞し、その帰りに新宿の紀伊國屋書店に立ち寄った。 6階の占い本コーナーから武道コーナーを見て、絵本コーナーを見てから、5階、4階と降りて行った。 3階の精神医学コーナーをふと見た

          「当事者は嘘をつく」、と思う

          映画「余命10年」のこんなところが泣けた(ネタバレあり)

          もう、ラスト、分かってるじゃ無いですか、「死ぬ」って。もうタイトルからして分かっている。 それでも、その「死」って、そもそも何なんだろう、そんな問いかけもあるような作品で。 まあ、勿論、余命10年の主人公マツリという人とカズトという人の、ドラマなんですが、これが、全然上手く、殆ど行かないです。 で、ですよ、ラスト、死ぬ間際ですよ、昔は自殺未遂とか起こしていたカズトが頑張って東京で店を開くんです。「まつり」という焼き鳥屋さんを。 で、親友の編集者から本を渡されて、その中には

          映画「余命10年」のこんなところが泣けた(ネタバレあり)

          福祉の〝活用〟のしかた

          「福祉」という言葉を聞いて、皆さんはどのようなイメージを持たれるのでしょうか。 優しい、親切、丁寧、手助け、等など…。 僕は精神の病と診断されてから、「福祉」を当事者として〝活用〟してから、19年近くなります。 僕は「当事者」から見た「福祉」について、書いて行きたいと思います。 1、やたらと〝忙しなさ〟を伝える福祉業界 僕は福祉施設の交流室と呼ばれる、お話しの出来る場所を多々利用しています。 良い職員もいれば、そうで無い職員もいる、と感じます。 そこ見分ける判断は、個人的

          福祉の〝活用〟のしかた

          泣いてるのに、泣きました。

          昨日、「余命10年」という映画を観ました。 こんなに泣くとは思わないぐらい泣いてしまいました。 多分、人生史上、一番泣いた映画かもしれません。 ジャンルとして、あまり、恋愛映画としても、括りたくはない感じで、「人生」みたいなジャンルでした。 あやうく、劇場内で、「うおおお」と声を出して泣きそうでした。 笑 観ていただければ、分かるのですが、…あーあんまり書きたくないな、 😆 もし似ている映画として挙げるなら、…ニューシネマパラダイスに、過激では無いミリオンダ

          泣いてるのに、泣きました。