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【読書】「対話と決断」で成果を生む話し合いの作法

話し合いやファシリテーションについて立教大の中原先生が書いた本書。書籍のタイトルに~「対話と決断」で成果を生む~との枕詞がついているが、本書の主張する話し合いのコンセプトをよく表していると思う。読み進めてみて、私はこれまでこの意味をきちんと理解せずに、断片的な知識でファシリテーションをしていた部分があると気づかされた。

皆様は、話し合いを「対話」のフェーズと決断するための「議論」のフェーズとに明確に分けて、意図的に進めているだろうか。

ファシリテーターの役割とは、実際に話し合われているコンテンツそのものだけでなく、その進み方、メンバーの状態など話し合われているプロセス自体に気を配り適切に整えることである。

そして、そのプロセスとは、話し合いの前半を発散フェーズ、そして意見が集まってきたら後半は収束フェーズに移すということである。それ自体は類書でもよく指摘されており、知識としては頭にはあった。

ただし、発散フェーズを対話のモードをつくること、そして収束フェーズは議論のモードに切り替えることとは理解していなかった。私は本書を読んで、この理解が非常に重要なことではないかと感じている。(もしかしたらそんなことは承知しているという人もいらっしゃるかもしれないが)

思い返してみると、私は今のように、研修や組織開発の仕事をするようになるまで、話し合いを問題解決の場であると捉えていた。よいとされるアプローチは、ロジカルシンキングを重要視し、出てきた意見を正しいか、正しくないか見分けようと努める。論点からずれていないか意識を向けてその場にいて、発言し、指摘し、よい結論をチームで導くようにするという具合。

全員がこのモードでいて、そのリテラシーが高いと、目的に対して的確な議論ができる。論理的に正しい答えに辿り着くことができる。

ただ、実際のところ、そのような理想的な話し合いができる組織は稀である。なぜだろうか。それは、ほとんどの組織では、話し合いの場の心理的安全性が確保されず、安全安心な場がつくれていないこととなり、本当にメンバーの声を引き出して、生産的な話し合いをつくることができないからではないだろうか。

”正しい意見を言わないといけない”という共通理解が話し合いの前提にあることは功罪あって悩ましい。

的確な議論をするために、話の筋と違う意見が出たり、的外れな意見が出てまとまらなくなるのは非常に困る。一方で、最初はよくわからないけれど胸の内にある違和感や、気になることを出してみる、その中身を探求してみることで、場に新たな気づきをもたらす可能性もあり得る。

この両面を認識し、対話の時間と、議論の時間を明確にわけてモードを切り替える、使い分けるリテラシーがある組織はメンバーの多様性を活かし、クリエイティブなアイデアを生み出す力が得られるのではないだろうか。

ファシリテーションを単なる進め方や質問の手法だという理解で留まっていると、なかなか学んだことを実践したとしてもうまく話が活性化しない。やはりファシリテーションの実践は机上のようにうまくいかないと挫折してしまうのではないだろうか。その背景が本書を通じて少し理解が深まったように思う

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