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休んだ期間は自分の弱さを知る期間だった

お久しぶりです。気づけばもう3月ですね。

実は私は新卒で入った会社をメンタル不調で3ヶ月ほど休職してしまいました。精神的に落ち込んで、体調も崩して、どうしても会社に行くことができませんでした。基本ポジティブ人間な自分にとってこんなことは初めてだったので、なぜそうなったのかや近況報告も含めてこの体験をnoteに書き綴ってみることにしました。駄文ですが、気づいたら7000字近くも書いていたので、時間のあるときに読んでくださいm(_ _)m

配属されたのは意外な部署

私は新卒で広告運用の部署に配属されました。あのGoogleやYahoo!を検索した時に出てくるテキストの広告や記事の間に出てくるバナーの広告を出している仕事です。実際には毎日数字から変動要因を分析をしたり、論理性や具体性を考えることが求めれる仕事だったので、もともと文系で企画やブランディングなどを考えるクリエイティブな仕事をすることに憧れていた私は、配属が決まった時、正直なんでここなんだろうと不安を感じたのを覚えています。

休学中にベンチャーでのインターンでGoogle広告の運用をかじっていたので何となくやることのイメージが付いているし、、、自分にできると思って任されたのだろうと自分に言い聞かせて働き始めました。

配属されたその部署は、先輩はいつも忙しそうで仕事はほとんど説明されないし、「配慮はしても遠慮はするな」というのが暗黙のルールとなっていて、上下関係が厳しく先輩の様子を伺って仕事を教わりに行かなければなりませんでした。他の部署の先輩から度々聞くイメージは「あの部署は大変」「厳しい」というもの。
仕事が始まると今まで「できることが多いと思っていた自分」から一気に「できないことばかりの自分」になりました。お客さんの前に行くようになり、会社の顔としての責任、成果が求められるようになってから、今までのように任されたこと全てはうまくいかず、先輩の期待に応えたいという思いとは裏腹に何度も何度も怒られました。苦手なことばかりで人生で一番怒られた気がします。

会社に入ってからは初めてやることの連続で、次々任されていく案件個々のやり方を覚えるのに必死で毎日頭がパンクしそうでした。いつもギリギリ何とかやっている状態で、入社半年を過ぎると夜残ることはざらで、要領の悪い自分をよく呪っていました。周りの先輩は”優秀”でバリバリ仕事をしているし、かたや毎日怒られている自分のレベルなんてビジネスの世界ではまだまだなのだと痛感していました。

器用貧乏な学級委員長タイプで

幼い頃から割と何でもそつなくこなせて、任されたら断れなかったり、人の期待に応えたいと思って人の嫌がる役も頑張ってしまうタイプでした。
私にとって「人からの期待」は中毒性の高い原動力で、社会人になっても、自分が意識していないレベルで、「人から期待されること」を「自分のやりたいこと」だと思い込むところがありました。自分を騙すのがある意味うまかったんだと思います。

双子で生まれた私は、幼い頃から見た目も能力もほぼ同じの姉妹と常に比べられ、周りの目を凄く気にする子供でした。テストでいい点数を取ることも、ピアノや絵やスポーツでクラス上位の成績を取ったり、目の前のことに全力で真面目に取り組むことも、私にとってはそんなに難しくなく、みんなに褒められる「しっかり者」「バランスがいい子」でいることが私にとって楽でした。小学校の頃の学級委員長も、中学の陸上部の部長という部員からの「嫌われ役」や同窓会の幹事も。

誰かから頼られたり、求められることは快感で、むしろそういう自分のことが好きでした。進学についても、自分のやりたいことや夢はそんなになく、公務員で安定しそうだし、苦手な教科がほとんどないから苦労することはなさそうという理由で教員という職業につくため、教育学部や国立大学を選んだり、無意識に大人受けのいいこととか人からの評価を気にして生きてきたように思います。



同期には、「ゆうきってきつそうだけど、いつもどうにか乗り切ってるよね。」「大変そうでも楽しそうだよね?まあ、ゆうきなら大丈夫でしょ。」と言われていました。私は、そんな風に言われる「いつもギリギリでも何とかできている、頑張っている私」がまんざらでもありませんでした。中高で陸上部だったこともあり、これまでストイックにトレーニングを追い込むことが求められてきたし、自己ベスト更新は快感で、「どんなこともタフな自分なら乗り越えられる」という根拠のない自信がありました。もはや”成長中毒”。毎日朝から仕事が終わるまでほとんど休憩もせずにノンストップで仕事をしている日もありました。その頃は土日にも資料や本を読んだりして、どうにか先輩に認められるようになりたいと必死でした。

環境の変化に心と体がついていかなくなった


仕事漬けの日々で気づかないうちにどんどん負荷がかかっていきました。

<仕事の変化>
・求められるレベルや期待値の高さ
・毎朝「なんで?」「それできないの?」とOJTに詰められるデイリーMTG
・メモやExcelなど仕事の効率化前提の仕事量
・自分が今まで稼いだことのないような高い目標売上
・どんどん増えるお客さんや上司からの要望
・断れない業務外で社内行事の手伝い
・確認が足りずにOJTからの叱責が増える
・役に立てない劣等感や無力感の増大

<人の変化>
・シェアハウスや実家暮らしから1人暮らしへ
・就活時に想定していた会社と実際の部署のギャップ
・部署に配属されてから2週間で教育担当の退職・変更
・重なる親しい先輩達の退職
・仕事に追われ会社外の友達とも疎遠に

<行動習慣の変化>
・10月以降帰宅23時以降がデフォルトに
・親しい友人や家族との電話をしなくなる
・土日に走りに行く元気がなくなり、引きこもり気味に
・ボーナスもそんなに高くないのでお金もかかるからと人と会うのが億劫に

どんどんオーバーワークになっていたのに弱い部分を見せたくなくて、その時は周囲を頼ることもできませんでした。仕事を勉強する余裕もないのに、案件もどんどん増えていきます。家と会社の往復するだけの日々で、負のループにはまっていることにその時は気づきもしませんでした。

できない自分が許せなかった

当初の自分への期待とは裏腹に、目標にはなかなか届かず、できないことを痛感する日々が続きました。最初はワクワクしていた大きな数字目標は、だんだんプレッシャーになり、ミスが増え、日々の達成感や成長実感もなかな味わえませんでした。
これまでの人生で褒められることや頼られることが多かった自分から、何もできない”お荷物”な自分の状態…。ずっと「人の期待に応えることができない自分」「謝ってばかりの自分」でいると、だんだん自分を認めることができなくなりました。新卒なのだからできないことがあって当然だと言われるかもしれません。でも、そんな状態を負けず嫌いでプライドの高い自分が許してくれません。愚痴を言うことも勝手に禁止して、自分で自分を追い込んでいるということにも気づきませんでした

理想と現実のギャップの埋まらなさに焦燥感や失望が湧き上がって、「悪いのは自分のせいだ」と思うことが増えました。
先輩から叱責されても「怒られる理由に気づけていない自分が悪い」と自分を責めました。
周囲で会社についての愚痴を聞くと「何でそんな会社を選んでしまったんだろう…」と感じます。
「できた?」と先輩に聞かれてタスクが終わっていないと「情けない、役に立ててない」と何もかもネガティブに考えてしまい、負けず嫌いとプライドから同期に弱音を吐くこともできませんでした...。

メンタルが落ち込んだ兆候

部署に配属されて8ヶ月くらい経ったある時から、自信がないので、「声が小さい!」と怒られることが増えていて、より周りに話しかけることができなくなりました。他の部署の人から心配されても強がって「大丈夫です!」と答えていましたが、気づいたらオフィスで笑顔が消えていました。

上司との1on1MTGで自分の課題を指摘された後に、思わず涙が流れてしまい、自分の感情が壊れている感じで涙が止まりません。「すいません」とデスクに戻ってからも涙目で、ボロボロと涙が溢れてきます。人に見られるのが恥ずかしくてトイレに逃げる日が増え、全然仕事に集中できなくなりました。

その頃からいつもの仕事なのに、ぼーっとして先のことや深く考えることができなくなりました。何かをやりたいとか言う気持ちが起こらず、頭が回っていない感じがしました。食欲が湧かないので食事はいつもの半分以下も食べれず、治っていたアレルギー皮膚炎が再発していて、そんな自分にさえ自己嫌悪になったりしました。体重は入社してから5キロほど減っていました。

仕事から帰る時に涙が止まらず、電車の中でも涙が溢れていた時もあります。自分の感情が壊れて、「自分が自分じゃない感じ」がします。けど、会社でそんな自分は絶対に出したくないので、いつも人を避けて泣きました。
このままじゃまずい気がしていましたが、自分で「プラスアルファの何か」をする元気がなく、ただ落ち着くまで待つことしかできませんでした。夜寝付けずに朝5時くらいまで起きていたり、人と会うと疲れやすくなって土日ですら家にひきこもって布団から起きれなくなりました。それが数日続いた時やご飯を食べても味がしなかった時は流石におかしいと思って、布団の中で検索してみました。検索結果に「うつ」や「精神疾患」と言う文字が出てきて、ストレスチェックテストを受けてみると異常な数値が出て不安になり、休日空いているメンタルクリニックを探しました。
翌日朝起きると体が思うように動きません。涙が止まらず頭痛もひどいので会社を休んで、重い体をひきづって診察を受けた病院で診断されたのは「適応障害」という心の病気。まさか自分がなるなんて全く信じられませんでした。

今まではアクセル全開で、多少精神的・体力的に無理をしてもどうにか乗り切れてしまってけれど、自分のキャパ以上に負荷をかけすぎて、「環境の変化」に心と体がついていかなくなってしまったんです。頭では「行かなければ」と思っているのに、体が言うことを聞いてくれません。もう自分ではどうにも回復できないところまで追い込んでしまっていました。
仕事のことを思い出すと涙が止まらないので、医師からはまずはストレスを減らすために仕事から離れること、会社を一旦休むことを勧められ、会社に連絡を入れ休職することになりました。

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私にとっては休む方が辛かった

辛さは休んだら解放されるかと思っていましたが、先輩やお客さんに迷惑がかかるとか、お金はどうしようとか、症状は本当に治るのだろうかとか不安はしばらく消えませんでした。精神疾患について調べると鬱や適応障害の人たちがなかなか治らず悩んでいるコメントを見て絶望し、自分が欠陥品になった気がしました。周囲でそのようになった人を聞いたことがなかったので、「なんで自分だけがこんな風になって…」「弱い」「甘えだ」と思って、誰にも連絡できなくなりました。特に平日誰もいない家で一人でいると不安が襲ってきます。睡眠が取れたことで体調は良くなりつつありましたが、気持ちのストッパーが取れたように気分の浮き沈みが激しいので、急に泣き出してしまいます。

そんな状態なので、外に出るのは難しく、頑張って外に出ると反動で次の日は布団から起き上がれなかったり、小一時間泣き続けるような日がありました。朝定時に起きることができません。人との約束をしようと思っても時間には余裕で遅れてしまいます。人に嫌われるのが怖くて誰かと約束することもできなくなりました。


特に「人の期待に応えること」が生きがいだった自分にとって、休むことは周囲の期待に全く応えられない状態になりました。休職している間にも届く仕事のメールで同期が評価されたりするのを見ると、頭では喜びたいのに、より辛くなりました。あまりにも体調が戻らないので、何かをして気晴らしをすることもできません。自分ではもうどうにもできないと思って、親に連絡して一旦地元に帰ることにしました。

突然の休職を知って「復帰待ってるよ!またご飯行こう!」「頑張れ!」そう連絡してくれた同僚の言葉は嬉しかった反面、無意識に復帰を焦せって、なかなか治らない体調や「できない自分」に目が行き気持ちが沈みました。実際、実家に帰ってからも布団からなかなか起きれず、出かけることもほとんどできませんでした。

年明けから出社する想定で、復帰を試みて一度東京に戻りましたが、仕事のことを思い出すと悪い調子が戻ってきて涙が湧き出てくることがあり、なかなか出社できませんでした。たまに記憶がフラッシュバックしてきて気持ちがひどく落ち込むこともありました。
「自分に課題を課しすぎていないか心配だったよ。ゆうきは自分を責めがちなところがあるからね。」母にはそう言われました。それでも自分を奮い立たせようと人生で初めて抗鬱剤を飲みましたが、そんな状況が受け入れられずに家に帰ってひとしきり泣いたりしていました。


勇気を出して友人に連絡をした時、「ゆうきの中のゆうきが泣いている。ゆうきは十分頑張ったよ。今は休んでいいんだよ。何もしないことを頑張って。」と言ってくれてやっと休む自分を認めることができました。
結果的に、休みを延ばして3ヶ月も休職することになりました。

今振り返ってみると

もっと自分に優しくすれば良かったのかもしれません。自分で自分をどんどん禁止していたように思います。誰かにちょっと頼って話を聞いてもらったり、助けを求めたら良かったのかもしれません。プライドなんか捨ててもっと早く助けてと言えばよかったのに、その時の自分は周りが見えなくなって、自分のことも周りも信じることができずに一人で抱え込んでしまいました。今思うと弱っているときにこんなことができていたら良かったのになと思います。

<仕事をしている時>
・相手の期待と自分の感情を区別する
・「できない」「分からない」を認めて素直にきく
・できないことはできないという(八方美人にならない)
・きついことは人によって違うのだと認識する
・オーバーワーク気味の時は自分からアラートを出す
・自分がコントロールできないことで悩まない
・記録をつけ、自分の調子が落ちる時のサインを把握しておく
・業務に支障が出るほど体調が悪くなる前に休む(半休でも効果あり)
・一人で抱え込まず、解決できないことはもっと上司の判断力を借りる
・きつい時は仕事量を調整してもらう
・少なくとも週に1度は定時で帰る日を作る
・理解の甘いことはメモを取る(弱っている時の記憶力を頼らない)
・余裕のある時に思考力を使わず作業できる仕組みを作っておく

<休日の過ごし方>
・まずはしっかり睡眠・栄養(特に不足しがちな野菜)を意識してとる
・平日我慢してできなかった好きなことをする
・没頭できたり、ストレス発散できることを定期的にする(スポーツ、ライブ、旅行など)
・できるだけ一人で家にこもらない
・一人でお金を掛けずできる趣味も持つ(Amazonプライムを観る、Spotifyで好きな音楽を聴く、古本屋で安い本を買って読む等)
・日記や運動、瞑想などネガティブ思考を止める習慣を持つ
・銭湯やマッサージなどしっかり休む日を作る

<休んでいる期間>
・自分を許してくれる人と過ごす(家族、パートナー、コミュニティなど職場の利害関係のない人)
・もふもふに癒される
・SNSを見ない(人の人生を比べない)
・頑張ろうとせず休養に専念する、やりたかったことをする
・できない自分を許す、しょうがない、これでいいのだと思う
・お金の不安を早めに解消する
(会社の制度や社会保障を調べる、もしくは調べてもらう)
・無職の不安を解消する(職場復帰や転職、社会制度などの情報収拾)
・専門家を頼る(精神病院や心理士によるコーチングなど)
・不安が強くなったらハーブティや依存性の低い漢方を飲む
・家族以外の信頼できる人に自分の気持ちを聞いてもらう、全て吐き出す
・疲れている日は無理せずしっかり寝る
・定期的に家の外に出る(散歩、日光浴、旅行など)
 etc.

色々予防策はあったのに、負の循環に陥った後、私はこれらができませんでした。見栄で「できない自分」を認めたくなかったし、人に弱みを見せたり頼ることは「悪いこと」だと思ってうまく人に頼ることもできませんでした。無理を続けた結果、周りに迷惑をかけてしまい、本当に申し訳ありませんでした。

でも、苦しい時期を乗り越えられたのは、休むとなった時にすぐに動いてくださった会社の方や何もできないときの自分のそばにいてくれた大切な人たちのおかげでしかありません。弱音を吐いても、全然面白いことが言えなくてひたすらネガティブでも、誰も怒ったり、否定したりせず、「大変だったね」「無理しなくていいよ」「そういう時もあるよ」と許してくれたことに救われました。休んだ期間は自分の弱さと人の優しさを知る期間でした

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知り合いが送ってくれたハーブティ(soar tea)がとても嬉しかったです。
https://soar-world.com/2018/12/06/soartea/

気持ちを切り替えられたきっかけ


休職してから少し経って、家にこもってネットをずっと漁っていた時、あるブログでこんな言葉を見ました。

「あなたは鍵の閉まっていない檻の中にいるのよ。出られないと思っているのは自分だけ。今この瞬間に出ようと思えば、すぐに出てくることができるのよ」

この言葉を見た時、「自分の辛い状況を死ぬほど辛いと思っているのは自分だけなんだ」と思えて、ふっと気持ちが軽くなりました。「周りに誰もいない」と思い込んで「厳しい世界」を作っていたのは自分自身でした

また、休んだ間にメンタル不調になった人のブログ記事を見たり、会ったこと無いのにメンタル不調で休まれた経験のある方からSNSでメッセージをいただいたりして、自分だけじゃなかったんだなと気持ちが楽になりました。

他にも偶然、職場のストレスが原因で適応障害になり休まれたことのある方とお会いする機会があって、私もきつかったとかではなく「今経験できて良かったね」と言っていただけて「死にたいほどの絶望」が終わりのある「小さな挫折」に変わりました。私よりも全然キャリアもあったそのかたは「うつ」という言葉もメジャーではない時代では壮絶な辛さだったはずですし、適応障害特有の「仕事にまつわる記憶を思い出すことで症状が悪化するけれど、プライベートでは比較的元気だったりするため、サボりや仮病だと誤解されやすい」ということを共感していただけました。ちょっとずつ「もう自分は大丈夫だ」と思える情報を知っていって、復帰する自信になっていったように思います。
また、自己犠牲じゃなく、「自己中心的な利他」という言葉を知って、自分が長く仕事を続けるヒントも得ることができました。そんな認識に変わった時、気持ちが落ち込むこともなくなり、元の自分が戻ってきました。

「期待に敏感」な自分との付き合い方

「人の期待に敏感な自分」は、諸刃の剣のようなもので「好きな自分」でいられるときは他人からの無限のエネルギーをもらえたり、相手の求めていることを敏感に察知する強みになります。逆に、使い先を間違って「できないこと」を続けて自分の期待に応えられないと「嫌いな自分」を責めて過ぎて自分自身を傷つけてしまいます。

でも、何もできない時の自分でも受け入れてくれてそばにいてくれた人がいたように、期待に応えなくても自分のことを大事にしてくれる人がいる、それに気づけたことで自分の価値が仕事だけではないこと、自分が自分でいていいこと、自分の周りの「優しい世界」に気づくことができました。今度はその自分の剣を自分のためにも使っていこうと思います。

こんなことを気づいたのもnoteでみつけた「期待」に関する素敵な記事にインスピレーションを得て書きました。ぜひ、読んで見てください。

これからは自分が無理をしていると感じた時には自分からヘルプを出したり、完璧な人はいないんだと思って、自分の気持ちを無視せずに、人にも自分の心にも向き合えるようにしていきたいです。人の目を気にする自分の弱さも自分なので、見捨てずに、不器用なりに、自分の本音とうまく付き合っていこうと思います。

これからの予定

ちょっと文章長くなりましたが、今では心も体も戻り、家で何か作業をしたり、少し走ったり、人と会うことも平気になりました。

最近は自分みたいに心を病む人が増えなければいいなと思って、このnoteを書きました。自分なりにメンタルヘルスについて調べてみると、少し早めに休むことでもっと早く回復するかもしれないし、周りの人の助けで負のループから抜けられることもたくさんあるなと思います。しんどい時でもその状況を抜けられる解決策を複数持っていくことが復活のチャンスになるので、少しでも誰かの参考になれば幸いです。

3月から復帰予定です。長らく働けなかったですが、しばらくリハビリ勤務なので、平日でも都内でご飯とか花見行こうなど外に連れ出してくれたら嬉しいです!ではまた。

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追記:鬱になりやすい性格特製の一つに「メランコリー親和型性格」というものがあるというのを教えてもらって自分との付き合い方のヒントを得ることもできました。自分の緩め方をみつけたい人は「#みんなのコーピング」をTwitterで調べてみてください。自分がリラックスできる方法やストレス対処療法の選択肢をもつのもすごく自信になるなと思いました。誰かの参考になりますように。
メッセージやサポートいただいた方ありがとうございます!凄く励みになります!

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