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紗雪 [完結]

これは僕の初めてのエッセイです。
拙い文章ですが、よかったら最後まで読んでいってください。

※このエッセイに関わるもので皆さんから頂いたサポートは全て、このエッセイの製本化のための資金として使わせていただきます。



【はじめに】

「オギャー!オギャー!オギャー!!」

「お母さんよく頑張りましたね!」
「元気な女の子ですよ!」

「今お腹の上に行きますからねー」


ーーーーーー

これは、ある冬の日の出来事。

僕たち夫婦がずっとずっと待ちわびていた、長女が誕生した時のお話し。


【出会い】

僕と妻は学生の頃のバイト先で出会い、大学4年生の冬に付き合い始めた。

付き合い始めた時、年齢的にはお互いに22歳の年だったが、正確に言うと、僕は誕生日が1月で、彼女の方も12月なので、付き合い始めた当初はまだお互いに21歳だった。

そこから順調に交際を重ね、2016年の7月に僕たちは婚姻届を提出し、夫婦となった。

結婚記念日が7月11日なもんだから、周りの友達なんかからは「なんでセブンイレブンの日なの?笑」

なんて言われたりするけど、当然そんなことは全く考えていなかった。

僕たちが7月11日に籍を入れた理由は2つある。

まずひとつ目が、2人とも誕生日が冬で、他にもクリスマスやお正月など、冬はイベントが盛り沢山だからバランスが良くなるように、夏に記念日を作ろうとしたから。

そしてふたつ目が、なんだかよく分からないけど2016年の7月11日がここ数年で最も縁起の良い日だと言われていたから。

そんな理由で7月11日に入籍したんだけど、これから新しく聞かれた人にはめんどくさいから

「セブンイレブンで出会ったから」

とでも言っておこうと思う。
(本当はコメダ珈琲という喫茶店のバイトで出会った)


【4度目の沖縄旅行】

さて。
そんな僕たち夫婦だが、結婚してから今まで基本的には楽しいことばかりだったが、時にはちょっと辛い時期もあったりした。

辛い時期の話しはまた後でするとして、まずは楽しかった思い出話しに付き合ってもらいたい。

僕たちは付き合ってから、毎年いろんな所へ旅行に行っているんだけど、中でも沖縄だけは特別だ。
彼女と付き合うまで、僕は一度も沖縄に行ったことがなかったのだが、付き合ってからはほぼ毎年行っている。

付き合って初めて行った旅行先も沖縄だったし、僕が彼女にプロポーズをしたのも沖縄のホテルだった。
それは結婚してからも変わらず、新婚旅行では石垣島に行った。

なぜ新婚旅行で石垣島を選んだのか。
もちろん、石垣島に行きたかったという理由もあるけど、石垣島を選んだ理由はもうひとつあった。
それは、2人とも海外は怖いという理由で海外が選択肢になかったから。

そうなったら僕たちにとって選択肢は他になかった。

そして4度目となる今回もまた、僕たちが乗っている飛行機が着陸の準備を始めた。


ーーーーーー

「なんだかんだ言って、気づいたら毎年沖縄来てるよね笑」
「他にも行きたいところあるんだけど、最終的には沖縄行きたいってなっちゃうんだよねー!」

飛行機が那覇空港に着陸したのと同時にそんな会話をしながら席を立った。

飛行機を降りて少し歩くと、「めんそ〜れ」という大きな吊り看板が僕たちをお出迎えしてくれる。

僕にとって大好きな景色のひとつだ。

「いや〜、やっぱり暑いね〜!」

空港のターミナルを抜けて外に出ると、レンタカーショップに向かうバスを探しながら僕は言った。

僕たちは今まで何度も沖縄に来たことがあったが、真夏の沖縄は初めてだった。

隣では彼女が、身体を焼き付けるようなジリジリとした日差しと、気持ちのいい沖縄の風を全身に受けながら、目を細めている。

「くしゅん!!」

隣で彼女がくしゃみをした。

僕にはその仕組みがよく分からないけど、彼女は眩しいといつもくしゃみをする。

「でた!」
「ほんとそれどういう仕組みなのかよく分からない笑」
「でも日本人には同じような人多いんだよ!」

彼女頬を少し膨らませながら言った。

調べてみると、眩しいとくしゃみが出るというのは「光くしゃみ反射」と呼ばれる体の反応らしく、日本人では約4人に1人がこの反射を起こすらしい。

そんなくだらない会話をしながら僕たちはレンタカーショップへと向かうバスに乗り込んだ。

旅行というのは不思議なもので、普段の何気ない会話でさえ1.5倍くらい面白くなってしまう。


【旅の目的】

今回沖縄に来たのは、単純に観光目的というのもあったが、それだけではない、ある特別な理由があった。

ここからは僕たち夫婦の少し辛かったときの話し。。。

僕たちはお互い24歳の時に結婚した。

周りでもちょこちょこ結婚している友達もいたけど、比較的早い方だったと思う。
結婚する前もそうだけど、結婚してからも特に大きな喧嘩などもなく幸せに暮らしてきた。

結婚してから2年ほど経つと、周りの友達もどんどん結婚する人が増えてきて、子供が生まれたという報告を受けることも多くなった。

所謂、第1次結婚・出産ブームがきた訳だが、その頃僕たちはまだ子供ができていなかった。

結婚してから約半年後に式を挙げたんだけど、式を挙げてからは、お互いにいつ子供ができてもいいという風に考えていた。

当然も僕も子供は欲しかったし、できたらいいなぁとは思っていたけど、そこまで焦る気持ちはなかったので、正直なところ、僕は「いずれできたらいいな」くらいに思っていた。

そんなものだから、てっきり僕は彼女も同じくらいの気持ちでいるんだろうと考えていたのだが、実は彼女の気持ちは違ったらしい。

表面的には気負わず、「赤ちゃんはいつきてくれるかな〜?」なんて事を言っていたが、内心は結構焦っていたみたい。
(これから結婚や子作りを考えている男性は覚えておいた方がいいよ!)

やっぱり、自分より後から結婚した周りの友達が先にママになったり、2人目を出産したりするのを見てると段々と焦りが生まれてしまうみたい。

そんなこともあって、僕たちはこの頃不妊治療を受けていた。
不妊治療と言っても、いきなり人工授精や体外受精をするわけではなく、なにか明確な原因がないか調べることと、定期的に通ってタイミングを測るくらいのものだった。

検査の結果、子供ができない明確な原因があったわけでもなく、当分の間はタイミング療法を行なっていたんだけど、それでもなかなか子宝に恵まれない日々が続き、彼女の方は特に、精神的にも結構ダメージを受けていた。

今になって思えば、子供は授かりものだから仕方がないと思えるけど、その頃はそれなりの覚悟を決めて不妊外来に通い、不妊治療を受ければきっと出来るんだろうなんて思っていたから、段々余裕がなくなってしまっていたのかもしれない。

そんな経緯があって、今回の旅では観光ももちろんなんだけど、子宝に恵まれるようにパワースポットを巡るというのが大きな目的となっていた。

実は、沖縄には子宝に恵まれるというパワースポットが沢山あって、実際お参りに来る方もたくさんいるらしい。
これは後から知った事なんだけど、沖縄の出生率は34年連続で全国1位らしい。
もしかしたらこのパワースポットというのが理由の一つなのかもしれない。


【ガンガラーの滝】

そんな旅の目的を持った僕らが、今回まず最初に向かったのが沖縄でも有名な観光スポットである『ガンガラーの滝』

那覇空港から車で約30分くらいのところにあるんだけど、ツアーに参加しないと回ることができないので、事前に予約していた。
ツアーで巡るコースは大体約1キロ。
途中に巨大なガジュマルの木があったり、昔の住民が信仰してきた鍾乳石や、古代人が住んでいたとされる住居跡などを回ることができて、普通に観光として回るだけでもすごく楽しいんだけど、谷の奥の方に行くと、女性の洞窟と男性の洞窟の名前がついた所がある。

ーーーーーー

「さっきのガジュマルの木すごかったね!」
「ねっ!もうあれだけで十分パワーもらえそうだったよ」

「それでは皆さんここで一旦止まってくださーい!!」

ガイドさんが立ち止まり、ツアー参加者を集めた。

「ここにあるのがイナグ洞です!」

ガイドさんの指差す先には、『母神』と書かれた今にも折れてしまいそうな標が立っていて、その横には地面に大きな穴が開いている。

「このイナグ洞は、地面に対して垂直に続いている洞窟になります」
「イナグ洞の中に入ることは出来ないのですが、洞窟の中には、乳房のかたちをした鍾乳石がいくつもぶらさがっています」
「中には臀部のかたちをした鍾乳石もあり、自然に出来た鍾乳洞の形がまるで女性の身体の一部のようだということで、イナグ洞という名前がつけられています」
「こちらは、縁結びや安産のご利益があると言われており、今でも多くの方に信仰されています」

僕たちはそんなガイドさんの説明を聞きながら、地面に対して垂直に空いたその洞穴を覗き込んだ。

一通り、ツアー参加者全員が見終わるのを待って、ガイドさんが歩き始めた。
イナグ洞から50mほど歩いたところで、またガイドさんが立ち止まり、全体に向かって声をかけた。

「こちらがイキガ洞です」

イキガ洞はイナグ洞とは違って、横に延びた洞窟だ。
僕たちがこのツアーに参加した1番の目的はこの“イキガ洞“にあった。

「皆さんもうすでにお分かりだと思いますが、イキガというのは沖縄の方言で”男“という意味になります」
「この洞窟がなぜイキガ洞と呼ばれているかは、洞窟の奥まで行けばお分かりになると思います」
「ただ、この洞窟の中は真っ暗になっているので、ここから先はこちらを持ってお進みください」

そう言うと、ガイドさんは僕たちに手持ちランプを渡した。
洞窟に入ると、中には自然の力によって作り上げられた様々な鍾乳石がある。
奥に進むにつれ、道幅は少しづつ狭くなり、ランプの灯りだけが頼りの暗闇になっていった。
入り口から50mほど進んだところでイキガ洞という名前の由来にもなった御神体にたどり着いた。

ーーーーーー

「これって、、、」
「うん、これは説明がなくても分かるね笑」

目の前には、とても大きな鍾乳石が天井から下に向かってできている。
そして、その鍾乳石の形がどう見ても、男性のシンボルを思わせる形なのだ。

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「この御神体がパワースポットなんだね」
「これに触れて拝むと子宝に恵まれるらしいよ」
「確かにすごいパワーがありそう…」

そう言いながら僕たちは御神体に触れて、子宝に恵まれるよう願った。


【泡瀬ビジュル】

沖縄旅行2日目。
僕たちは泡瀬方面に車を走らせていた。


ーーーーーー

「次行くところはどんなところなの?」
僕はハンドルを握りながら、助手席に座っている妻に声をかけた。

「泡瀬ビジュルってところなんだけど、子宝パワースポットとしてすごく有名なところみたいだよ!」
「ねずみが描かれた子授けのお守りがあるらしいから買おうね!」
「オッケー!でもなんでねずみなの?」
「ねずみは多産だから子宝に恵まれるって言うんだよ」
「へーそうなんだ!それも調べたら出てきたの?」
「いや、それは結構有名だよ笑」

そんな会話をしながら車を走らせていると、ナビの音声案内が終了し、目の前に小さな神社が見えた。

『泡瀬ビジュル』

「ビジュル」とは、沖縄の方言で「信仰の対象になる石」という意味らしい。
そこは小さな神社で、僕たちの他には誰もいなかった。

「本当にここが有名なパワースポットなの?」

僕は半信半疑になりながら聞いた。

「そうみたいだよ。
 ほら!ここにいっぱい願い事が書かれてる!」

妻は参道の右側にある絵馬を指差して言った。
参道の脇には絵馬がずらーっと掛けられていて、たくさんの願い事が書かれていた。

「凄い!いっぱいあるねー」
「私たちもお参りしたら絵馬書こうね!」

参道を進むと、奥に小さな鳥居があり、その奥に小さいながらも風格のある社殿が建っている。
僕たちは社殿の前に立ち、お賽銭を入れてから「子宝に恵まれますように」と願い事をお祈りした。

お参りを終えた僕らは、鳥居の横にある社務所に向かった。
社務所で子授け御守りと絵馬を買って、絵馬には、"今年中に健康で元気な子を授かりますように"と言う願い事とともに、それぞれ赤ちゃんの絵を描いて子授け祈願をした。

それから後は、海に行ったり、タコライスを食べたり、沖縄そばを食べたりと、沖縄旅行を満喫して4度目の沖縄旅行となる、沖縄パワースポット巡りの旅は幕を閉じた。


【夫婦としての大きな決断】

沖縄旅行を終えてからも僕たちはなかなか子宝に恵まれず、妻は生理がくるたびに落ち込み、気持ちも不安定になってしまっていた。

以前から通っていた不妊治療外来も、先生のとても事務的でドライな対応が余計に精神的ダメージとなってしまい、通うことをやめてしまっていたのだが、なかなか子供ができない現状に焦りも生まれ、日本でも3本の指に入るほど有名な不妊治療外来への受診に行った。

不妊外来というのは、主に4種類(タイミング療法、人工授精、体外受精、顕微授精)あり、一般的には負担の少ない“タイミング療法”から始めて、一定期間治療しても妊娠しない場合は徐々にステップアップしていくというパターンが基本となっている。

僕たちは、以前の病院でタイミング療法を行なっていたが、中々妊娠しなかったという事もあったので、タイミング療法ではなく人工授精での治療を始める事にした。
人工授精では、排卵の時期に合わせて精子を採取し、採取した精子を培養室で遠心分離した後、専用のチューブを使用して精子を子宮内に送る。という手法で、妊娠までのプロセスは自然妊娠と同じ仕組みになる。

基本的に、精子が卵管を通って卵子と出会うことができれば妊娠の確率は上がると考えられるので、人工授精では、そこまでの流れをスムーズにして妊娠の確率を高めるというのが目的となる。

僕たちは、この人工授精による治療を何度か重ねたが、それでも妊娠には繋がらずにいた。
人工授精を行うにあたって、調べられる原因はすべて調べ、そこには特に問題はなかったのだが、実は不妊の原因というのは大半が原因不明であるため、具体的な原因が見つからなかったからと言って妊娠することができるという訳ではないらしい。

そんな原因不明の不妊の中でも1番多い原因として予想されているのが、「ピックアップ障害」という、排卵された卵子をキャッチするためのピックアップ機能に原因があるとされるものだ。
これは排卵した卵子を卵管に取り込む際にうまく卵子をキャッチすることができない現象のことで、このピックアップ障害があると排卵はしっかり行われていても、卵子が卵管を通らずに落ちてしまうため、受精することができなくなってしまう。

このピックアップ障害があると、身体の中で卵子と精子が出会えないため、人工授精での妊娠も難しくなってしまい、次の治療手段としては体外受精が必要となってくる。

僕たちもこういった理由により、人工授精から体外受精へと治療のステージを上げる事になった。

体外受精とは、排卵日に合わせて精子と卵子を採取し、注射器のようなものを使用して卵子の中に精子を注入し、人工的に体外で受精を行った後受精した卵子を体内に戻すという治療法になる。

体外受精の場合、卵子を採取するタイミングが非常に重要なので、採取のタイミングも1.2日前に急に決まるので、お互い仕事をしながらの環境の中治療をしていくのは少し大変だった。
それでもお互い仕事が落ち着いていたこともあり、何とか時間を調整することも出来た。


【1度目の体外受精】

僕たちは手を繋ぎながら、6階に止まっていたエレベーターが降りてくるのを待っていた。

もう何度も来ている見慣れたビル。
そして、もう何度も乗っているエレベーターだったが、今日はいつもと違うところに来てしまったような気分だった。

2019年3月14日
僕たちは体外受精をする為にいつもの病院に来ていた。


ーーーーーー

「いよいよだね」

「うん。」

「不安?」

「まぁ、ちょっとね。」

そう言うと妻は笑いながらこっちを見た。

こんな時、イケてる男だったら気の利いた返事のひとつやふたつすぐに出てくるんだろうけど、僕にはそんな余裕もなくて、当たり障りのない、記憶にも残らないような返事だけをして僕達はエレベーターに乗り込んだ。

4階にある自動受付機で受付を済ませた僕らは、
受付を済ませた僕らが待合室で待機していると、妻の番号が呼ばれた。

体外受精はまず、女性の採卵を行ってから男性の精子を採取する為、まずは妻が採卵室へ呼ばれ

妻が先に呼ばれてから30分くらい経ってからだろうか。
正直どれくらい待っていたかあんまり覚えていないんだけど、一人で待っている時間は何だかとても長く感じていた。
待合室の前にあるモニターに僕の番号が表示され、僕は4階から採卵室のある9階まで向かった。
採卵室は診察券がないと開かない自動ドアで入室が制限されている。
自動ドアの中に入ると正面には待合室にあったのと同じようなモニターが壁にかけられており、部屋の右側には椅子が3つほど並んでいるカウンターテーブルがある。

モニターには「呼ばれるまでこちらでお待ちください」と表示されていた為、僕は横にある椅子に腰をかけて再度自分の番号が呼ばれるのを待った。

採卵室の椅子に腰をかけて10分、15分ほど経っただろうか。
壁にかけられているモニターに僕の番号が表示された。

「右手奥までお進みください」

モニターには番号と共にそう表示されている。

僕はモニターの指示に従って、右側の通路を奥に進んだ。

通路の先には小窓のついている部屋があり、その部屋の前まで来た僕は中の培養士さんに声をかけた。

「今番号を呼ばれた木村です。」

培養士さんは診察券を確認すると、本人確認のため名前と生年月日を言うように告げた。

「1992年1月15日 木村優吾です」

「はい、ありがとうございます。」

培養士さんは本人確認が済むと、僕に向かってこう告げた。

「奥様の採卵を先ほど行ったのですが、今回は卵を採取することができなかったので今日はこのまま4階の受付までお戻り下さい。」

僕は何が起きたのか、一体どういうことなのか直ぐには理解できなかったが、一先ず「はい。」とだけ返事をして採卵室を出る事にした。

「一体どういう事?」
「卵が取れなかった?なんで?」
「妻は大丈夫なのだろうか・・・」

色々な感情を抱えながらエレベーターに乗り、4階の受付前にあるソファに腰をかけて妻が来るのを待つ事にした。





少しすると妻が戻ってきた。

「お疲れさま!」

僕は妻に向かって声をかけた。

「うん。ありがとう」
「培養士さんから何か聞いた?」

妻の表情からは気丈に振る舞ってはいるものの、ショックを受けている様子がはっきりと伝わってくる。

「あんまり詳しくは聞いてないけど聞いたよ」
僕はそう答えた。

「なんか卵取れなかったみたい。せっかく仕事休んできてもらったのにごめんね。」

妻はいつもそうだ。
自分がどんなに辛くても、必ず僕のことを心配してくれるし、自分が悪いわけじゃなくてもいつも謝る。


【2度目の体外受精】

僕たちは前回の体外受精治療のあと、しばらくは落ち込んだし、卵が取れなかった事だって、僕たちにはどうすることもできない仕方のないことだと、頭では理解していながらも、実際問題としてショックを受けることは避けられなかった。
一度目の体外受精失敗のあとは、またダメなんじゃないかという思いから再び体外受精を受けることもどうするか悩んだし、このまま子供ができないんじゃないかとも考えたりした。

それでもやっぱり僕たちは子供が欲しかったし、妻ももう一度挑戦したいと気持ちが前向きになってきていたので、再度、体外受精を行う事を決めた。

2019年4月13日
僕たちは2度目の体外受精のため、再び病院の受付に来ていた。
受付を済ませると、今回も前回同様妻が先に呼ばれた。
しばらくすると僕の番号がモニターに表示されたので、僕は9階にある採卵室に向かった。

例の如く、入ってすぐ僕は右側にあるカウンターに腰掛け、再度自分の番号が呼ばれるのを待っていた。

正直、待っている間僕の心臓はバクバクしていたと思う。

(もし今回もまたダメだったらどうしよう・・・)
(またダメだったら妻のメンタルは大丈夫なのだろうか)

そんな事を考えていると僕は自然と両手を合わせ、無事に採卵できている事を祈っていた。

ピローン♪

音の鳴った方を見ると、モニターに僕の番号が表示されていた。

「右手奥までお進みください」

僕は表示されているモニターの指示に従って、右側の通路を奥に進んだ。

小窓の前に立ち、中に声をかけると前回同様、培養士さんによる本人確認があった。

本人確認を終えると、培養士さんから採卵の結果が伝えられた。


ーーーーー

「奥さんの卵は、今回4つ採取できています」

「本当ですか!?」

安心感からなのかよく分からないが、僕は思わず培養士さんに向かってそう言っていた。

「はい、ちゃんと採取できましたよ」
「では、こちらを持って、奥の部屋まで進んでいただき採精をお願いします。」

採精を終え、僕が4階の受付け前で待っていると横から妻の声がした。

「お疲れさま〜」
「おぉ!そっちもお疲れさま」

前回とは違って笑顔のやりとりだ。

会計を済ませると僕たちは病院のすぐ横にある"常泉院新宿鬼子母神神社"に立ち寄り、お参りをして帰った。





翌日、病院からの電話で培養の結果が妻に伝えられた。

僕は翌日は仕事があったため、妻からのLINEで結果を聞いたのだが、

その結果は・・・

無事に4つとも分割が進んでいた!


ーーーーーー

「卵4個とも分割したって!13時に病院に行ってくるよ✊️」

妻からのLINEを確認して、僕は一安心した。

「おっ!!やったじゃん(´∀`*)あとは内膜の状態次第だね😤!」

卵の分割は問題なく行われたが、それですぐに移植が可能というわけではない。
移植するには、卵を育てる事ができるだけの内膜の厚さが必要になる。
その内膜の厚さが十分になっていなければ、卵を体内で育てる事が出来ないので、移植する事が出来ない。

その結果は病院に行って検査をしなければ分からないのだ。


【妻の妊娠】

分割までが順調に進んでいるという事が分かったその日、13時に妻は病院に向かった。

病院につくと培養士の先生から説明を受け、内膜検査が行われた。
検査の結果、妻の内膜は十分な厚さがあり、問題なく移植ができる状態にまで成長しているという事が確認された。

その後、再び培養士さんから説明があり、すぐに分割された卵の移植が始まった。

卵の移植は無事に終わり、あとは着床して妊娠判定が出るのを待つだけとなった。


ーーーーーー

「ただいま〜」

僕が玄関のドアを開けると、妻が玄関で出迎えてくれた。

「おかえり!」
「移植無事に終わったんだね!」

部屋の中に入り、荷物を置きながら僕は言った。

「うん!無事に終わったよ〜」
「でも妊娠判定までの期間めちゃくちゃ長く感じそう・・・」

卵の移植が終わってから無事に着床し、妊娠しているかどうか分かるのは12日後になるらしい。

「妊娠判定まで12日くらいかかるんだっけ?」
「うん。それまでは検査してもまだちゃんと反応が出ないから分からないみたい」
「そうなんだ、12日間ってめっちゃ長く感じそうだね」

(妊娠すること、子供を授かることって本当に大変なんだなぁ。)僕は会話をしながら、どこか客観的にそんな事を思っていた。





予定日は2020年1月4日。

僕たち夫婦にとって長くて短い、とても幸せな時間が始まった。

多分、世の中のパパ達はみんなそうだったと思うんだけど、最初は妻のお腹の中に赤ちゃんがいるなんて全然実感が湧かなかった。

実際、赤ちゃんがそこにいるということは頭では理解をしているんだけど、感覚として何も実感がないからうまくイメージできないというような、そんな感じ。

妊娠が確定してから少し経つと、妻のつわりがひどくなり、一時は食事も摂れず病院で点滴を受ける事態にまでなってしまった。
仕事終わりに連絡をしたら、病院で点滴を受けていると妻から言われた時はめちゃくちゃ驚いたし、本当に心配した。

でもその後は妻の体調もだいぶ良くなって、お腹の中の子もすくすくと成長していった。


【出産】

2020年1月8日
予定日を過ぎても一向に生まれる気配がなく、僕たちはいつ生まれるのかと首を長くして陣痛が来るのを待っていた。
少しでも陣痛を促すために、沢山散歩をして、お腹の中の子に向かって沢山話しかけた。

連日そんな調子で過ごしていた僕らは、「今日もまだこなかったね。」と夕飯をどうするか話し合っていた。


ーーーーーー

「もう18時になるけど夕飯どうする?」

僕はソファで横になっている妻に向かってそう声をかけた。

「んー、何か食べたいものある?」
「そっちは?」
「何がいいかな〜」

僕たちはいつもこんな調子だ。
お互いに優柔不断で食事の時間になると何を食べるか本当に決まらない。

「えー、どうしようか」
「もう決まんないしまためんどくさくなってきちゃったね」

毎度毎度、夕飯をどうするかで悩むので僕たちは考える事をやめて、気がついたら2人して寝てしまっていた。

19時32分
妻に声をかけられて僕は目を覚ました。

「もしかしたら、破水したかも」

僕は一瞬で床から飛び起きた。

「えっ!?破水!?」
「いや、まだ分かんないんだけどなんか水が垂れるような感じがして、トイレ行ったらちょっと濡れてたから」
「とりあえず、病院に電話しよう」

僕は慌てて病院の電話番号を探した。

「でもまだ破水かどうか分からないよ」
「そうかもしれないけど、それは一回病院に電話して確認してみればいいよ」

違ったら恥ずかしいじゃんとかなんとか言いながら、妻は病院に電話をかけた。

「分かりました。ありがとうございます」

ひと通り状況の説明を終え、妻が電話を切った。

「検査するから今から病院に来てだって」
「わかった!じゃあ今から車取ってくるから準備してすぐに行こう!」

僕らのマンションには駐車場がなく、車は少し離れた駐車場に置いてある。

車を取ってきた僕はすぐに部屋に戻り、数日前から用意していた入院用の荷物を持って僕たちは病院に向かった。





病院に着くと、僕たちは夜間救急外来に案内され、受付けを行った。

少ししてから病院の中に案内された僕らは、産科病棟に向かい、妻は診察を受けた。

20時35分
妻の子宮口は既に5cm広がっており、妻の予想通り、破水も確認された。
(先生からは、「これだけ子宮口が広がっていたら相当痛かったんじゃないか」と聞かれたらしいが、妻は全然自覚がなく、ケロッとしていた。笑)

診察を終えると妻はそのまま陣痛室に入り、いよいよ出産に向けた準備が始まった。

21時15分
陣痛室のベッドに移ってからしばらくすると、陣痛が始まった。

時間が経つにつれ、段々と陣痛による痛みも激しくなり、妻の声も大きくなっている。
僕は痛みに耐えて頑張る妻の横で「頑張れ!」と声をかけながら、背中をさすり、テニスボールで陣痛に合わせてお尻を抑えることしかできない。

陣痛が激しくなり、テニスボールでお尻を押していると、中から赤ちゃんの頭が降りてくる感覚が凄く伝わってくる。

手に残るその感覚に感動しながらも、痛みに悶える妻の横で声をかけることしかできない自分の(男の)無力さを痛感していた。

23時52分
陣痛室に来てから約3時間半が経過した。
振り返ってみると3時間半しか経っていないのかと思うくらい、長く長く感じた時間だったが、この頃のなって妻の子宮口はようやく8cm程まで開いていた。

出産の準備に入るため、妻は分娩室に移動し、分娩台の上にのぼった。





「オギャー!オギャー!オギャー!!」

「お母さんよく頑張りましたね!」
「元気な女の子ですよ!」

「今お腹の上に行きますからねー」


ーーーーーーーーーーー
2020年1月8日 1時27分
ーーーーーーーーーーー


元気な女の子の赤ちゃんが産まれた。

分娩台に移動してから約1時間半。
激しい痛みに耐えながら頑張った妻と、小さい体にも関わらず自分の力で元気に生まれ出てきてくれた娘には本当に感謝しかない。

”元気な赤ちゃんを産んでくれて本当にありがとう“

”元気に生まれてきてくれて本当にありがとう“

“冬”生まれ。
細かな雪のようにみんなを包み込むような優しさをもち、相手の気持ちを理解してあげることのできる人になってほしいという想いを込めて、「紗雪」と命名しました。





紗雪へ

パパとママのもとに生まれてきてくれて本当にありがとう!!
紗雪が生まれてきてくれることをパパとママはずっと楽しみにしていました。
紗雪が生まれてきてくれた時の思い出は、一生忘れない1番の宝物です。
これから家族仲良く、元気にたくさんの思い出を作っていこうね!!

 パパより

今は生後100日を越えて、すくすくととても元気に育っています(^-^)


【おわりに】

こんな個人的な物語にも関わらず、最後まで読んでいただいた皆さん本当にありがとうございます。
これをエッセイと読んでいいのかどうか分からないですが、今回娘が産まれたことをきっかけに、エッセイを書くということに初めて挑戦させていただきました。

正直、文章力はないですし、表現方法もバラバラになってしまい、物語としては非常に読みにくいものになってしまったんじゃないかと思います。
でもそれが今の僕のありのままの気持ちを表現することができているのかな。なんて偉そうに思ったりもしています。

娘が産まれた時に、何か今のこの気持ちを形に残せないかと思い、今回のエッセイを書き始めたのですが、気づけばこのエッセイを書き上げるのにずいぶんと時間がかかってしまいました。
書き始めた頃は産まれたばかりだった娘も、生後100日が過ぎ、よく笑うようにもなりました。

子供が生まれてからの日々は、本当に忙しく、毎日があっという間に過ぎ去ってしまいます。
自分が子育てを経験するようになって改めて、世の中のお母さんの凄さを感じるとともに、出産の時とはまた違う妻の強さを感じています。

このエッセイを書き終えるまでに随分と時間がかかってしまいましたが、ひとまず形にするという第一目標は達成することができました。
この次はまた個人的な目標になりますが、いつか「このエッセイを製本して1冊の本にして妻と娘に渡したい」と考えています。

調べたら製本するのに1冊数万円かかるようなので、製本化はまた随分と先になりそうですが、いつかその目標も叶えることができたらいいなと思っています(^.^)

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