洞察

私は「森を、多い木と認識する」力が少しばかり長けているようだ。
それは同時に全体を把握する力が乏しいことも意味する。

今も頭の中の情報が生い茂っており着地点が見えておらず、散財するようにひとつひとつの言葉を直感的に並べている最中である。

人の身体は、ミクロな視点で見ると隙間だらけらしい。そのひとつひとつが重なり合ってできたものだ。日常に対しても私はそう思う。同じ日々などなく、別々の1日が重なり合って日常ができている。だから人生観をまとめるということは非常に困難な作業に私の場合はなる。この瞬間瞬間の情報、感覚を60倍するだけで1分だ。それを更に倍々して希釈した情報は言葉の容器では私にとって恐れ多いことだ。

久しぶりに文章を書くと、思った以上に感覚を文章化することが難しい。頭の中で精査抵抗する力がどうも衰えているようだ。捻出することにまた意味を見出し始めたので表現する習慣が復活すればと願う。

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