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【今でしょ!note#157】キャリア形成をゲームのステージと捉える

いかがお過ごしでしょうか。林でございます。

今日は、ご自身のキャリア形成をあたかもゲームのステージのように捉えると、現在の仕事の意味付けなどが変わってきます!という話をします。

スーパーマリオブラザーズでも、やたらと雲が多い「空のステージ」や、大体マリオが水の中にいる「海のステージ」がありますよね。これと同じで、今の自分のキャリアの局面にラベル付けして、そのステージで経験しておくことで次のステージに役立てる武器は何だ?ちゃんと自分は、そのステージに落ちている宝箱を全て開けられたのか?という視点で日々を過ごせると、吸収できるものも変わり、取り組み方が変わります

今日は、私が社会に出てから10数年のキャリアについて、自分なりの具体的なステージングをご紹介します。ぜひ皆さんも面白いので考えてみてください!


第一ステージ 「システムエンジニアの駆け出し」

私にとってのファーストステージは、入社して約4年間携わった国内の大規模な金融系システムの構築の経験です。
私が入社したタイミングから、開発プロジェクトは始まっていましたが、すでに炎上気味であり、先輩たちもかなり忙しそうで、自分で自分の仕事を見つけて取り組んでいる感じでした。

協力会社の年齢の近い先輩たちが密かに気にしてくれていて、一緒にマシンを触って試験をしたり、松山に数ヶ月常駐してJavaのコーディングなども経験しました。
この時期は、とにかくシステムエンジニアとしてのスキル習得が目下の課題でした。
できるだけ早いタイミングで仕事の業務経験から得られる知識を体系的にも理解しておきたかったため、以下のような資格をこの時期に取ってしまいました。

・応用情報技術者
・情報セキュリティスペシャリスト(高度情報処理技術者試験)
・プロジェクトマネージャ(高度情報処理技術者試験)
・データベーススペシャリスト(高度情報処理技術者試験)

プロジェクトが炎上していたこともあり、かなり忙しく働きました。
昼に職場に来て、試験項目を書いて試験して、システム品質に問題がないことを確認できたらそのまま夜勤でリリース作業をして朝に帰る、みたいなことを毎日繰り返していた時期もあります。

システムの運用も担当していたため、商用環境で何かインシデントがあれば、自分でSQLを書いて調査して・・みたいなことも担当しましたし、とにかくみんな忙しそうだったので、2〜3年目社員でしたが、自分が担当した設計書や報告書を事業部長に説明したり、お客さん先でトラブル対応内容の説明をしたりと一人称で対応させてもらいました。

この時期は、「システムエンジニアの駆け出し」として、大きな開発プロジェクトを2つ担当しました。1つ目でシステム開発のイロハが分かり、2つ目のプロジェクトは自分がリーダーの立場で一通り完遂させることができたので、「自分にとっては、ここにずっといても成長曲線が緩やかになってしまう」と感じるようになります。

結果として、2つ目のプロジェクトをやりながら、このプロジェクトが終わったら、当時は社内でもまだまだ少なかったグローバルな仕事で一人者になりたい、という気持ちを持つようになります。
しかし、当時の英語力はTOEIC 500点くらい。とても異動を叶えてくれそうになかったので、フィリピンのオンライン英会話で勉強して870点まで上げました。
そんな感じで「いつでもグローバル仕事に行くための準備」と「周囲へのアピール」をしていたことで、キャリアのセカンドステージに入って行くことになります。

第二ステージ 「東南アジアのダイナミズム」

隣の部署に異動になり、次に担当したのは、東南アジアのとある国で、国の金融の基幹システムを構築するプロジェクトです。
当然ながら、それまで経験したことがない業務領域でありましたが、異動して1週間後に「現地のお客さんにシステム仕様の説明をしてきなさい」という指示をいただき、必死に勉強して何とか自分の言葉で説明しました。そこから数ヶ月間、日本と現地を行ったり来たりしながら、ノンネイティブ同士のコミュニケーションで何とかお客さんと開発するシステムの合意に至ることができました。

分からないことしかないような状態であったため、お客さん説明は本当に必死で、行きのフライトの中で必死に仕様を理解して、何とか説明し切って帰ってくるということを続けました。

そして、お客さんと作るものを合意した後は、現地メンバーと一緒にコーディングして試験して品質を高めていくというフェーズに入っていきます。そこで全体の試験リーダーを担当した時に、ファーストステージで自分でコーディングしたり、マシン作業ばかりしていた経験が抜群に活きてきました。

当時、同じプロジェクトにいたメンバーは、英語を話したりは問題ないものの、実際に自分でシステムを作る経験があるメンバーは少なく、相対的に自分が一番開発のリアルを抑えている人間になれたのです。
ここでも再び、松山に常駐して試験をやり切ったのですが、当時日本に来ていた東南アジア現地メンバーはもとより、松山のビジネスパートナーのみんなと文字通り一体となってシステムを作り切る経験をして、「仕事を通じて、学校祭のイベントをやり切った」ような感覚を味わうことができました。

そして、作ったものをまた東南アジア現地に持って行って、お客さんに使ってもらって、プロジェクトを無事に終えることができました。
その後は、更にそれをバージョンアップするためのプロジェクトを立ち上げる企画や営業活動を担当し、現地のお客さん向けにIT人材育成プロジェクトの講師を務めたり、世界銀行や国際通貨基金といった機関の海外コンサルとの調整などの経験もさせてもらいました。

この時期、「もうダメだ」と感じる瞬間が何度もありましたが、紙一重で乗り越えていくことで、成長できたと実感しています。何より毎日が超充実していました
その後、コロナ禍で海外出張ができなくなるまで、10年弱のキャリアをこのステージで過ごしました。

第三ステージ 「ユニークマネージャーへの道」

これらの経験を経て、管理職の立場になり、再び国内の大規模プロジェクトに異動になりました。
ファーストステージとは全く異なるお客さんで、カルチャーも価値観も、直前の東南アジアビジネスとは全く違います。

ここでは、プロジェクトの完遂は言うまでもなく、いかに「自分らしい唯一無二のマネージャーになれるか」が大きなテーマです。
管理職は責任も大きいですが、チーム単位でやる仕事とやらない仕事をある程度決めることができ、とても楽しい役割です。

ここでのミッションは、やはり一緒に仕事をしている人がより働きやすく、ワクワクしながら仕事ができる環境の提供が第一でしょう。
その結果として、チーム成果をしっかり出していく、それに尽きると思います。

そのためには、前例に捉われずに自分が必要と感じたことを実行していくことに尽きます。東南アジアの仕事で先輩が私に示してくれたように「仕事を通じてこんな人生勉強ができるんだ」ということを実現していく責務を感じています。

書きながら、自分でハードル上げ過ぎてるな・・と筆の進みが遅くなってきましたが、まあ一度きりの人生なので、やりたいことは全部やろう!と割り切って無理やり筆を進めています。笑

皆さんもよければ、自分のキャリアにラベリングして、この時の経験を次のステージでこう繋がったとか、振り返ってみられてください!きっと面白いと思います。

それでは、今日もよい1日をお過ごしください。
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