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【今でしょ!note#131】オーストラリアから帰国して感じた日本の違和感

いかがお過ごしでしょうか。林でございます。

2日前の夜に2週間の子連れオーストラリア旅行から帰国し、昨日は復帰後久しぶりの仕事でした。
1,000通を超えるメールボックスを見て途方に暮れつつ、何とか初日の仕事を終えました。

休みの間、仕事をカバーしてくれて、久しぶりに職場に行っても毎日会ってるかのように普通に接してくれるにはチームメンバーに改めて大感謝しつつ、他のメンバーも休みやすいようなチームを作っていきたいと改めて感じました。

今日は、オーストラリアにいたときの活気あるまちの雰囲気は何なのか?と自分なりに感じたことと、昨日1日夜遅くまで日本で働いて、電車で一緒になった人たちが相対的にみんな疲れた顔をしていると感じたことについて、まとめておきます。

オーストラリア活気の理由

色々な原因は複雑に絡み合っているのでしょうが、私が感じたキーワードとして「国の平均年齢と人口ピラミッド」「多種多様な人の集まりによる寛容性の高さ」があります。

国の平均年齢と人口ピラミッド

シドニーで平日を過ごして、リアルタイムに活気があると感じたため、現地でも少し調べていたのですが、2023年のオーストラリアの平均年齢は37.9歳と人口ピラミッド上も中間層が多いです。ちなみに日本は49.5歳。平均年齢に10歳以上違いがあるわけですから、それは活気も違うはずです。

Australian Demographics 2019年より引用。日本のような少子高齢型ではない

移民の受け入れにより、着実にここ10年でも人口を増やしています。総務省統計局のデータによると、2013年には2,300万人程度であった人口は、移民受入政策による人口増で右肩上がりを続けて、2022年には2,600万人を超えており、2030年には2,800万人を超えることが予想されています。

https://www.stat.go.jp/data/sekai/pdf/2023al.pdf

そもそも国の成り立ちが浅く、1788年1月26日にイギリス人のアーサー・フィリップが率いた船団が、流刑囚780人と海兵隊関係者1,200人をポート・ジャクソンに上陸させたのがオーストラリアの歴史の始まりと言われています。

元々は、イギリスやアイルランドで軽微な犯罪をした人を収容するための流刑地としてオーストラリアは機能していましたが、1835年頃にはイギリス資本の企業が進出し始め、1851年ごろのゴールドラッシュをきっかけに植民地としてのオーストラリアを一変させました。

メルボルンのあるビクトリア州、シドニーのあるニューサウスウェルズ州で金が発掘されると、金を求めて世界中の人がオーストラリアに渡り、爆発的な人口増加が始まります。

1901年には連邦政府が誕生しますが、この頃の人口は3.8万人に過ぎませんでした。その後、第二次世界大戦を経て、1950年代〜60年代になると、シドニーのオペラハウスなどの国家プロジェクトを実現するため、ヨーロッパや中東からの移民受入を強化していきます。

先日訪れたオペラハウス。歴史を少し理解すると見え方も変わってきます

20世紀初頭には380万人だったオーストラリア人口が、右肩上がりで増加し続けて2030年に2,800万人を超えるという事実、日本の高度成長期に似た人口ピラミッドという点で、今なお成長過程にある国独特の活気を感じたのかもしれません。

多種多様な人の集まりによる寛容性の高さ

2022年のジェトロの公表情報によると、海外で生まれた、または両親のいずれかが海外で生まれた人は、総人口の51.5%となり、両親ともにオーストラリア出身の人の割合48.5%を上回ったそうです。

移民の出身国別に2016年から5年間で増加した割合をみると、ネパールが2.1倍、インドが48%、パキスタンが45%、イラクが38%、フィリピンが26%の順ということで、元々イギリスからの移民がマジョリティであることは変わらないものの、様々な地域から人が集まっています。

1996年から2016年にかけての移民出身国トップ10の変遷を見ても、アジア圏からの移民が増加傾向にあるのが分かります。

日本総研による2019年公表レポートより引用
https://www.jri.co.jp/MediaLibrary/file/report/viewpoint/pdf/10873.pdf

オーストラリア旅行で感じたオーストラリア独特の魅力は、本当にいろんな人がいるということです。
これまで見てきた数字にも表れていますが、様々な出身国の人が集まるので、小学校にも様々な出身国の親から生まれてきた子どもばかりですし、それが当たり前になっています。
だから、お互いがいい意味で干渉しないというか、それぞれ違うことを認めるというよりそもそもそれが当たり前、というレベルにあり、真の「寛容性」とはこういう状態なのだと実感しました。

日本でも割と聞くようになってきましたが、まだまだ当たり前とは言えない「上司が外国人」という状況や、「最近の若い人が考えていることが分からない」みたいな話がとてもちっぽけに思えるくらい、他人の育ってきた背景や考え方が違うということが当たり前の状態なので、日本企業で最近よく議論されている「多様性のマネジメント」みたいな話も、オーストラリアの人から見れば当たり前で何言っているの?という印象で響くのだろうなと。

電車やトラムでベビーカーを持っていたら席を譲ってくれたり話しかけてくれる人も多く、どの店に行っても基本的に子供用のハイチェアが用意されているところも、寛容性が高い社会とはこういう社会なのだと考えさせられました。

日本で疲れた顔をしている人が多い

そんな世界が当たり前の感覚になって日本に戻ってくると、やっぱりこれっておかしいことだと違和感をより鮮明に感じました。

満員電車の違和感

一つ目は、東京の満員電車です。
朝から1時間半かけて電車で潰されながら移動して職場に行き「これは何の罰ゲームなんだ?」と素直に思いました。
朝からストレスが多い体験をしているから、当然みんなイライラしているように見えます。
シドニーやメルボルンで出会った笑顔を見ることもほぼなく、みんな同じようなスーツを着て無表情でスマホを覗いている姿を見ると、その画一性に対して異常性すら感じました。

疲れ切って帰宅する人たち

昨日22時半過ぎに電車に乗り、0時すぎに家に着きましたが、こんな時間でも朝見た同じようなスーツを着た人たちが疲れた顔で電車で揺られている人をたくさん見られました。
もちろん、他人から見れば、私も漏れなくそのうちの一人に見えていたでしょう。

朝から1時間近く電車で潰されそうになりながら都心に出かけ、夜も遅くまで疲れた顔をして電車で揺られて帰る日常。
ちょうど2日前の3月20日は「国際幸福デー」ということで、日本の幸福度ランキングが公表されていますが、日本は143カ国中51位ということでした。

これまでの自分は「ふーん、そうなんだ」くらいの感覚で受け止めていた事実ですが、これって結構深刻に向き合わないといけないのでは?と考え始めています。

明日は、この「幸福度ランキング」に基づき、日本人全体は変えられないにしても、自分の半径5メートル以内の幸福度をどのように上げていけば良いのか?ということについて、まとめてみたいと思います。

それでは、今日もよい1日をお過ごしください。
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