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【今でしょ!note#153】移住・定住推進は全地域では必要ない

いかがお過ごしでしょうか。林でございます。

日本のほとんどの地域で人口減少傾向・超少子高齢傾向が進む中、各地域が競って「移住・定住」を推進しています。しかし、日本全体としての人口がそもそも減少傾向にある中で、全ての地域で「移住・定住」を自治体が推進するのは、そもそも無理だし、各自治体でそこを頑張るくらいであれば、もっと他のことにエネルギーを割いたほうが良いのではないか?と感じることもままあります。

もちろん、個人で移住・定住を選択される方がいるのは全く良いと思うのですが、全自治体が一斉に国内で無理やり人を動かすことに躍起になっても、本質的に日本全体に元気が出てくる未来になるとは思えないのです。

今日は、「移住・定住」推進に関する考えについて、まとめておきます。


100年、200年スパンで繁栄し続ける地域はほぼない

歴史を振り返ってみても、100年も200年も一定の人口を維持し続けて、繁栄し続けている個別の地域など、そもそもほぼありません。

戦後の人口移動を振り返っても、1945年の終戦直後に領土主張していた台湾、朝鮮半島、満州国からの引上げ者に加え、ベビーブーム到来により一気に人口が増えたこと、その後1960年代ごろから本格的な高度成長期を迎え、マイカーが徐々に普及して生活圏が郊外にまで広がったこと、1970年代には「日本列島改造論」により地方部を含めたより広域に交通網が発展していったことなど、個別地域の人口は大きく変化しています。

1960年代以降の本格的な工業化により、地方部から大量の人が都市部に流れ込んできたり、都市部の地価高騰などを理由に逆にドーナツ化現象が起きて都市部郊外に人が移動したりと、人が動くタイミングには、常に何らかの経済的合理性や社会変化が背景にありますよね。

戦後から見てもまだ80年にも満たない時間変化の中で、トータルの人口や世帯数が大きく変わってきています。
だから、特に2010年以降、「地方創生」という言葉が象徴するように再び地方部へのスポットライトが当たるようになり各地域で「移住・定住」政策が繰り広げられていますが、「移住・定住」を推進するために補助金を支援するなどして多少の人に自地域に来てもらったとしても、大きな歴史の中で起こってきた人口動態の変化に比べるとその規模はほとんど無視できるほどの数字です。
人が寿命で亡くなっていく「自然減」の数字と比較しても、移住定住で多少の「社会増」の人数が補填されたところで焼石に水です。もちろん、地域の経済活性化のきっかけになるようなDestination Restaurantなどを持つことができる職能を持った人の移住は地域にとって大きな意味を持ちます(先日訪問したメルボルン郊外のヤラバレーにあるワイナリーのような場所)が、単に「人数」だけの話をしていても、全くナンセンスということです。

全体で減少中の人口を地域間で奪い合う無意味さ

そもそも、全体の人口が減少している中で、その範囲内で人口を奪い合うことに何の意味があるのでしょうか。
他の自治体もやっている中で、「うちも何かしない訳にはいかない」という気持ちは分かりますが、それであれば隣の地域の真似事でやる「移住・定住」推進ではなく、その地域独自の戦略立案とその実行にエネルギーを集中すべきです。

選ばれる地域とそうでない地域が出てくるのは必然で、2030年、2040年ごろには、その結果が徐々に顕著に見えてくるでしょう。それを「勝ち負け」と表現する人も出てくるかもしれません。

でも大切なのは、表面的な人口増減で「勝ち負け」を語るのではなく、そこに住んでいる人の「幸福度」で「勝ち負け」を測ることだと思います。
これも先日のオーストラリア旅行で身を沁みて感じたことですが、いかに外から来た人や若い人たちに対して寛容な地域であれるか。その根底には、一定の地域経済が循環する仕組みも必要でしょう。

地域の社会増減に影響を与えるファクターとして、地域の「寛容性」や「雇用」が大きく影響しているため、その結果として人口増減を「勝ち負け」のファクターと捉えることも間違っていなさそうに思えるのですが、それは違います。
同じ論理が通用するなら、人口1.2億人を要する日本の幸福度ランキングは、人口2,600万人程度よりも高くないと辻褄が合いませんが、実際の日本の幸福度ランキングは、オーストラリアよりもかなり低いところに位置しています。

思うに、他の地域から人が集まってくるか否かはただの結果であり、それ自体を目的にしてしまうとおかしなことになってくるよねと。

元気な成長企業は、そこの構成員が事業目的やその企業の一員であることに誇りを持っていて高いエンゲージメントがあるため、その魅力を嗅ぎつけて沢山の人がジョインしたいと思える組織だと思うのです。
決して、他から沢山人が来て欲しい→自分たちの魅力発信をしよう→魅力ある事業に取り組み、自分たちを成長させよう、の順番ではない。

地域も同じで、外からの人口流入を入口の目的に置いてしまうと、そのために自地域を発展させないといけない、という何だか変な話になってしまいますね。
人口を増やそう!と考える前に、まずは「既にそこにいる人たちがより幸福を感じられるための地域にどうしたらなれるか」の議論が先だと考えます。

何でも適正人数がある

そもそも、全てのコミュニティには適切なサイズがあると考えています。
地域や社内のコミュニティであっても、大きければ大きいほうがより活発なコミュニティのように思えますが、実態として一部の人だけしか頻繁にコミュニケーションしていなかったり、内輪感が強くて排他的なものもありますね。

逆説的かもしれませんが、良いコミュニティのエントリーゲートは実は排他的なほうが良くて、誰でも入れてしまうコミュニティには有象無象の人が集まってしまうので、かえって空中崩壊しやすくなります。
コミュニティそのものの目的が曖昧だとそのコミュニティから得られるベネフィットも徐々に分からなくなってくるし、そんなコミュニティは運営負担自体が大きいので、運営側も継続のインセンティブが続かないのです。

このコミュニティの規模を少し広げたものが地域だと思っていて、有象無象の人が昔からそこに住んでいるという理由で自然体で住んでいる地域は、全体の縮小傾向と同じ論理で同じように衰退していくでしょう。でも、上述した通り、何十年も同じ人口動態が維持できた地域のほうが少ないですし、自然体で縮小していくところは成り行きに任せるでも良いと思うのです。

極論かもしれませんが、それでは嫌だと明確な意思をもって対抗していく地域のみが「地域活性化」を目指せばいいと考えています。
成り行きでは衰退していく地域で一定の人に来てもらいたいのであれば、個人単位で移住定住推進に補助金支援するアプローチではなく、上述のコミュニティ運営と同様、「こういう人に来てほしい」と明確に募集条件を出して、「来てもらった人と一緒に作りたい地域の未来像」を明確に描き実行していく必要があります。

「子どもからお年寄りまでみんなが住みやすい地域」は理想ではあるものの、それだと来て欲しい人物像がボヤけてしまい、結果誰も来なくなります。ビジネスにおけるターゲティングと同じ考え方ですが、そもそも全員にとって魅力あると思えるものは、誰にとっても魅力のない中途半端なものになってしまい、全員にとって魅力あるものをいきなり目指せるほどの十分なリソースを持ち合わせた地域は現実的にないでしょう。

人数合わせの議論で、無理して人に来てもらっても、結局誰もHappyにならないのでやめておきましょう。

それでは、今日もよい1日をお過ごしください。
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