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戦争の恐ろしさを伝えることは、ただしい平和教育なのか

はじめに

 今から75年前の、1945年8月。
日本の広島と長崎に原爆が投下された。
かねてより、戦争継続の困難を感じていた大日本帝国は、ポツダム宣言を受諾し、第二次世界大戦は終結した。
戦争を経験した人間はもう多くないけれど、戦争の恐ろしさは忘れまいと、毎年この時期になると各メディアは戦争の悲惨さを訴える。
もちろん、戦争の恐ろしさを後世に伝え続けることは、我々人類の使命であろう。
しかし、日本の平和教育は「戦争の結末」に偏り過ぎているように思える。

 もちろん、戦争の恐ろしさを伝えることには、意味があると信じている。
しかし、戦争の恐ろしさ(つまり、戦争の結末)を伝えることが、次の戦争を防ぎ、平和を守ることに役立つかどうかは、疑問だ。
そう感じる理由は3つある。
まず、「戦争反対」という声では戦争を防げなかったということ。次に、戦争の結末にフォーカスしすぎると、他国との歴史観のギャップが生じること。最後に、結末よりも、きっかけや経緯こそが教訓になるということだ。

①「戦争反対!」の限界

 まず、「戦争反対」という声では戦争を防げなかったということについて述べる。
実は、「戦争をしたくない」という人々の思いは、第二次世界大戦を防ぐことができなかった。
そればかりか、「戦争反対!」という人々の声が、第二次世界大戦を生み出してしまったといっても過言ではない。
そもそも、第二次世界大戦が大きな戦争になった最も大きな要因は、ドイツの軍事力の拡大であった。
ドイツは第一次世界大戦に敗れ、すべてを失っていた。絶望していた国民はヒトラーの演説を聞いて誇りを取り戻した。
やがて、ドイツが(条約で禁止されていた)ラインラントに進駐したり、オーストリアを併合したりといった、暴走をはじめた。
そうした暴走行為を、イギリスやフランスは黙認した。
もしこの時に、イギリスやフランスがドイツに強い姿勢をとることができれば、まだ軍事力の弱かったドイツは、大人しくなっていたはずである。
現に、ラインラント進駐の際にヒトラーは「私の人生で最も辛い48時間だった。もし、フランス軍が攻めてきたら、わが軍は反撃すらできずに逃げ出していただろう」と述べている。
また、ドイツ上級大将のハインツ.W.グデーリアンも「もしあの時、フランス軍がラインラントに進駐していればヒトラーは失脚していただろう」と述べている。
つまり、イギリスやフランスがドイツの暴走を黙認していたことが、第二次世界大戦の戦禍を拡大させた側面があるのだ。
では、なぜイギリスやフランスはドイツの暴走を黙認していたのか、という点について考えてみる。
まず、当時の国民は第一次世界大戦を味わったばかりだった。そのため、戦争に対して極めて強い嫌悪感を抱いていた。これは、当然かつ健全な感情であるように思う。
そして、世論が「反戦」に傾くと、「戦争をしません」というマニュフェストを掲げた政治家が選挙で勝つようになる。
ついさっきまで、「戦争をしません」といって選挙を戦っていた政治家が、その舌の根も乾かぬうちにドイツに攻撃を仕掛けることはできなかったのである。
結果として、アドルフ・ヒトラー率いるドイツ第三帝国は野放しになり、悠々とその軍事力を拡大することができたのである。
その意味では、英仏国民の「戦争反対」という声が、結果的に第二次世界大戦の戦禍を拡げてしまったのである。
英仏の国民が悪いのではない。因果関係がそうである、という話だ。
話を戻すと、戦争の結末の悲惨さを教育することは、「戦争はいやだな」という健全な発想をはぐくむことには役立つと思うが、それが必ずしも平和につながるわけではないということがいえるのではないだろうか。

②他国との歴史観のギャップ

 次に、戦争の結末にフォーカスしすぎると、他国との歴史観のギャップが生じることについて述べる。
あなたは第二次世界大戦と聞くと、まず太平洋戦争を思い浮かべるのではないだろうか。
真珠湾攻撃や沖縄戦、果ては原子爆弾の投下……。
日本国内で第二次世界大戦というと、話題にあがるのはこうした出来事であることが多い。
同じ第二次世界大戦であるにも関わらず、日中戦争について先に思い浮かべる人は少ないだろう。
同様の問いを、中国人やロシア人に尋ねた場合、恐らく、太平洋戦争を最初に思い浮かべることはしないだろう。
例えば、ロシア人であれば、第二次世界大戦と聞けば、独ソ戦を思い浮かべるだろう。彼らは、「祖国がナチスドイツを倒して、世界をヒトラーの魔の手から救った」という歴史観を持っている。
我々日本人で「ソ連が世界を救った」という歴史観を持った人がどれだけいるだろう。
ロシアは独ソ戦の、それもソ連がドイツを倒したという部分に強くフォーカスしている。そして、日本は、太平洋戦争に負けたこと、唯一の被爆国であることに強くフォーカスしている。他の国では、もっと別の部分にフォーカスしているだろう。
こうした違いが、国同士の歴史観の違いを生んでいる。そして、歴史観の違いは対立の火種となる。
すなわち、戦争の結末(太平洋戦争)にフォーカスしすぎると、却って平和から遠ざかってしまう、ということである。
もちろん、国ごとに大切にしたい価値観は違って当然だが、国ごとの違いに目を向けて、他国の歴史観を尊重することが大切だ。

③きっかけや経緯こそが教訓となる

 最後に、結末よりも、きっかけや経緯こそが教訓になるということについて述べる。
「なんやかんやあって戦争が起きて、なんやかんやあって大変に悲惨なことになってしまった」という話からは何も学ぶことはできない。
なぜ戦争が起きたのか、なぜ戦禍が拡大したのか、そういった過程に起きた出来事や意思決定のひとつひとつが、最終的な悲劇を引き起こしたのだ。
過程に起きた出来事や意思決定のひとつひとつを検証し、教訓とすることこそが、歴史を学ぶということの本質であろう。
悲惨なことになってしまったということを知る、ということは学びのスタートラインに過ぎない。
悲惨さを知ることで満足していては、なんの教訓も得られないままで、いつかまた同じ過ちを犯してしまうかもしれないのである。

終わりに

 このように、①「戦争反対」という声では戦争を防げなかったということ、②戦争の結末にフォーカスしすぎると、他国との歴史観のギャップが生じること、③結末よりも、きっかけや経緯こそが教訓になるということから、私は、現状の戦争の結末にフォーカスした平和教育の在り方は、最適解でないと判断する。
平和を守るためには、これまでの人類の歴史を、さまざまな人種・民族の観点から論じる必要がある。

 手始めに、私が世界大戦について解説する動画がシリーズをご覧になってはいかがだろう。 

 (いや、こんだけ長々書いて、結局宣伝かよ……。)

第一次世界大戦を学ぶ

第二次世界大戦を学ぶ

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