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【.*難病が本当に辛いのは病状のせいだけじゃないvol.2*.】

前回は大変失礼いたしました
↓ これ
https://note.com/yuyu27/n/n4b0c4d1ece90

【.*はじめに*.】

本記事は、私一個人の意見であり、他の病気の方の事を含めた表現ではない事を、ご理解ください。
プライバシー保護と守秘義務に則り、医療教育機関の特定に至る情報は一切公開しない事とし、一部情報を使用している事をお許しください。

それでは本題に入ります。

難病のつらさは、
【.*誰にも理解されない孤独と不安*.】

これが一番だと私は感じています。

世の中には色々な病気があります。
(病気に限らず、色々ありますよね)

症状が常にあるのかそうじゃないのか
目に見える物なのかそうじゃないのか
既に周知され理解が得られている疾患もあれば、専門家自体もよくわからないというような疾患まで、本当に様々です。

人のつらさは目に見えない。
でも本人の中では現実です。
診断がつかなければ仮病と言われることもあるし、ついたらついたで向き合っていかなければなりません。
人によっては、一生。

私は10万人に1人のアレルギー系の病気
「かもしれません」

かもしれませんって何だって感じですよね笑
私の例で恐縮ですが、お話しします。
同じことが起こって原因がわからず悩んでいる方、既に診断がついていてその先が不安な方、周囲にそういう人がいる方の参考・力になればと思います。
そして、理解してくれなくてもいい。
ただ、そういう人もいるんだなって、思ってもらえると助かります。

【.*難病が辛いのは病状のせいだけじゃない*.】

辛さその1:いつどうなるかわからかない不安

物心つく前から病院生活でしたので、薬剤アレルギーについては診断されていました。
「この薬は使っちゃダメだよ」
ということは判明していたので、家族は一生懸命それに気をつけてくれて、大きな事件もなく19歳になりました。

※その原因薬剤の特定だけでも、数年かけて病院を渡り歩き、やっと検査をしてもらえてわかったことでした

看護学生として病院実習に行っていた時期に風邪をひきました。
単位のことを考えると休めなかったので、市販の風邪薬を飲みました。もちろん、薬剤師に確認して、購入し飲みました。
にも関わらず、それは起こりました。
※よーく読んだら注意書きの小さな文字で書いてあったので、いくら資格もあり給料ももらって働いてるプロに任せたとしても、最終的には自己責任だなとそこで学びました。

そういうわけで。
アレルギー疾患って
注意して生活していても起こり得るし、新しく発症する事だってある。
違う原因がないと確定するのも難しい。
いつどうなるかわからない不安と、向き合っていくことになります。

辛さその2:症状そのものもつらい

アレルギー性の疾患であり、体内に取り込んだ量によっても差があるので一概には言えませんがその時の私に起きたことです。

*1週間以上40℃近くの高熱が続く
*あちこちのリンパが腫れる
*肋間筋を痛めるほどの強い咳が続く
*息がヒューヒューする
*声が枯れる
*頭がボーッとする
*目の周りや口角がただれて切れる
*全身に皮疹が出て、剥がれ落ちる

覚えている範囲ですが、それらが1週間以上続きました。
特に皮疹については、全てが綺麗に治るまでに数ヶ月要しました。
幸い(多分)後遺症も(今のところ判明しているもの)なく皮膚も綺麗になりましたが、必ず綺麗に直るか、これから何が起こるのか、気付かず悪化していることはないのか、何もわからなかったです。

そして、あえて( )表記した意味は、診断もないからその後の経過の検査も評価も関連づけもできないので何もわからないという事で、人にうつさない保証すらない。
症状自体の辛さと、これからどうなるかわからない不安。
それが、2つ目のつらいことでした。

※この時点で学校を休んで受診もしていますが、元々薬剤アレルギーがあったので、市販薬を止めて療養とのことでした。
もちろん医療者としても違和感のない指示ですし、とても丁寧に対応してくださり今でも感謝しています。
※診断はつきませんでした

辛さその3:理解が得られない

もちろん実習は休むことになったのですが。
その時に担当教師から皮疹と高熱という情報で麻疹だと判断され、その時に言われた言葉を今でも覚えています。
「看護師を目指す者としてあり得ない、目指す資格はない」
皮疹の出方や熱型から見て、麻疹ではない。
でも証拠となる抗体価検査をしていなかったので何もいえず、麻疹として出席停止になり、40℃に近い発熱やその後の症状の中、電話報告の度にそのような指摘を受けました。
もちろん管理者としての相手の立場も慮ることができなくはなかったですが、やっぱり心身に堪えました。

今で言うコロナ禍の医療者批判や差別のような状況は、昔からしかも同業者同士でも続いている問題です。
※単位は補講でなんとかとれましたが留年するかと思いました笑

これを犯罪で例えるならば私は冤罪なんです。
ただ、抗体価検査という事前に用意した無罪の証拠がないばかりに有罪になってしまいました。
(もちろん実習前にやるべきというご意見もご最もだと思いますが、本記事においてその是非については割愛させて頂きます)

救いは親身になってくれた主治医で、何かあれば自分に連絡下さいと電話をしてダメ推しとばかりに麻疹ではないという診断書に手紙までつけてくれました。
※いわゆる弁護士の役割を担ってくれたと言うことですね

無事に治って単位も取れた。万々歳。
でも忘れて欲しくないのは、たとえ冤罪だと証明されても一度偏見を持つとその嫌悪感はお互いに消えないということです。
実際にその後出席した時の気まずかった空気は今でも忘れません。
それは本件以外の事案にも言える事です。

「そんなつもりはなかった」「そんなに気にすると思わなかった」
それも事実かも知れません。
でも、10年経っても忘れられない一言になったのも事実。

喩えに犯罪という強い表現を使ったことに嫌悪感を抱かれた方がいらっしゃいましたら申し訳ありません。
ただ、芸能人の自殺なども増えて社会問題となっている今日ですので、私は実際に同じ悩みを持つ方の事を鑑みても軽視すべき問題ではないと考え、あえてその表現を選択しました。

この経験が、先見の明と社会問題に向き合おうと思った強い動機づけになっているということが皮肉だなあと日々思っています。
※ここでもまだ診断は付いていないです

辛さその3:病名がわからない恐怖

数ヶ月で悪くなった皮膚が剥がれ落ち無事脱皮しました笑
文字通り一皮むけた私は無事看護師になりICUで働きはじめました。
そして、独学+日々の業務に向き合う度に、ただの薬剤アレルギーではないという実感が湧くのです。

詳しい方は前述した症状でピンと来たと思いますが、アレルギー、咳、ヒューヒュー、頭がボーっというのはすなわちショック状態を意味します。
※ハチに刺された時のショックの機序と同じようなイメージです

当時は私も家族も主治医も大袈裟なーって全然考えていませんでしたが、実際の重症薬疹となった患者さんを担当した時にゾッとしました。

「この皮膚、見たことある」

初見は私に起きた皮疹と同じでした。
やっぱり確実にあの時命の危険があった。
その方は大量に原因物質を摂取していたので、あらゆる症状が私よりも重症でした。
ヒューヒューは気管支の狭窄の証拠。
すぐに挿管をして人工呼吸管理し、血圧も薬で何とか保つ。皮膚は体の向きを変えるだけでズルむけでした。
一応その方も一命をとりとめ病棟に見送ることができほっとしたのと同時に、その人の命を守るための勉強と治療をすればするほど私はきっとこれなんだという答え合わせにしかならない。
そんな複雑な思いで仕事をする毎日でした。
改めて答えがわかるのも怖いものです。先に進んだ気はしたけど、終わりなのか始まりなのか何なのかというような、よくわからない気持ちになりました。

辛さその4:やっぱり理解が得られない

その後も独自に調査を進めて、担当患者さんとはちょっと違う病名だということが判明までは、しました。
検査・診断方法についても調べました。
ただ、あくまで私の解釈の域を出ず、そしてなにかが起こっても検査をしてもらえないということが起こりました笑
明らかにそれを思わせる症状が出ても「そんな珍しい病気なわけがない」と鼻で笑われ検査はされないのです。

母親が、アレルギーの薬剤を特定するのに奔走した30年前から、医療の世界の概念は何一つ変わっていませんでした。

明らかに典型的な症状ではない場合、
また、その医療機関にその疾患の理解がない場合、「検査の必要性を感じてもらえない」
そうなると検査はしません。
結局はただの個人がそんなレアな病名を出したって無意味なんです。何言ってるの?一般人が知ったかぶって。ってなるのも納得です。

だから、思ったんです。
何かあった時に知識のある病院に行ける保証はない。それを運に任せてはいけないのかもしれない。
調べておかないといけないかもしれない。
検査診断をお願いするにも、また「そんなはずない、何言ってんだ」と言われるかもしれないという恐怖もあります。

病院だから知っている
一般人だからわかるわけない
そんな固定概念はもう無意味な時代です。
これだけ情報が溢れた中で、資格や経験など関係ない。

資格に甘んじて知ろうとしない人よりも
知識のある無資格者や職員外の方はごまんといます。

立場に甘んじない事、そして肩書きを信用しすぎない事が大切なのかなと思いました。

辛さその先:まだまだ一生続きます

結局気をつけているので明らかな症状はなく、診断はまだついていませんし、もういいやーとも思っています。
症状が出ても受診して適切な診断治療が受けられるかもわからないし、そもそもアレルギー反応なので急変して死ぬかもしれない笑

気にしないようにしている。でもきっと心のどこかでわからないことがチクチクストレスになっていて、新しい職場や学会に行って医者と知り合う度に、誰か答えを知ってないか期待している自分に気付いて嫌になります。
同時に自分だって、そんな10万人に1人の病気に自分で気付くなんてありえない、馬鹿じゃないの、恥ずかしくていうもんじゃないって自分に対して思ったりもしています。
なので社会の反応に対しても納得しています。

診断がつくことは「私は○○という病気です」と社会に公言するということ。

それで何がもたらされるんだろう。
数が多く治療研究が進んでいる分野であれば意義は大きい。
どこでも治療ができ、社会的に保証も受けられる。
辛いよねって共感だってしてもらえて一緒に頑張る仲間もできる。

でも、私にとってはどうなんだろう?
また「何言ってんだ?」という嫌な空気を味わい、それでも診断つくかわからない。絶対数も少ない。
答えと仲間に出会える確率と、リスクを天秤にかけると、どう考えても診断をつけるメリットは少ないので諦めるが正解と思う。
でも深層心理では気になって答えを探しているけど、気にしないフリをしている。
そんな毎日。
あくまで私は!ですけど。みんなそうとは限らないし、私の捉え方も極端かもしれません。
でも、そういう人もいるという事を想像してほしいと伝えたかったです。

絶対的に人数が少ないと知る機会も少ないので理解は進みせんし、痛みとか、悩みとか、苦しさとか目に見えるもの以外はその人にしかわからない。
他人は痛くもなんともないし、それでいいと思っています。

でも、目に見えないものも当人にとってはリアルなんです。

その人がどれだけの辛さ痛みを抱えてきたんだろう?
それを知るためにVASスケールを作ってくれた。
一緒に痛い思いする必要ないのに。
そう思うと、なんだか人の暖かさにたまらない気持ちになります。

【.*最後に:いいネタをありがとう*.】

長くなってしまいましたが、ここまで読んでいただいた通り。
私は文字通り命をかけて人の命を守るためのプロ意識と自己責任の重要性を学びました笑

10万人に1人かも知れない。なかなかない経験かと思いますので、これは芸人としては美味しいと思って生きています。

理論上行動力と成果は動機の大きさに比例すると言われていますので、私はきっとたくさん動ける人だと思っています。

今までの経験全て自分に置き換えて、学びにしました。
自分の判断の甘さで人を殺してしまう可能性がある。
だからプロ意識を持って学び、働かなくてはいけない。
でもみんながそういう意識ではなく、失敗することももちろんある。
だから自分もちゃんと自分の責任で、行動を選択していかなければならない。
私はそういう人間でいようと思いました。

みんながそうあれと言いたいわけじゃない。
何かして欲しいとも言いません。
ただ、控えめにいうならば…

寄り添ってもらえた時はすごく嬉しかったです笑
「よくわかんないけどわかったよ」
この言葉や前述したVASスケールを見ると本当にあったかいなあと。その気持ちに気づいた時生きるのが少し楽になりました。
理解してとは言わない、きっと当人じゃないと無理だから。
でも、受け入れてもらえるのは、本当に嬉しかったです。

最近、一つの図形と三つの質問で社会問題を解決できるか?
という研究をしています。

問題を問題と認識して解決しようとするのは努力も必要だし辛い事。でもつらい思いをせず解決できるならそれがいい。

気になることもなく、でも気付いたら変われてたらそんないい事ない。気づいた人だけがこっそり動いて解決できるならそれでいい。
それを、可能にする学問に出会いました。
毎日ワクワクしながら色々調べて、研究を進めています。
ただの高卒看護師(しかももうしばらく引きこもりニート笑)まだまだ無知ですが、
一人でも多くの人が自分の人生を後悔なく生きられるように。
その手伝いができる視点をもらえてよかったなと思いながら、今日も頑張ります。

興味持って頂けた方、
自然と変わりたくなるような評価スケールを試して見たい方、
評価スケールに詳しく、協力していただける方、
もしいらっしゃいましたらご連絡頂けると幸いです。

また、この後に及んでですが笑
この疾患の研究をしている方で、もし何かお役立てできることがあればお互いに情報提供できると幸いです笑

そして一緒に頑張ってる同志のみんな!
いつでも私は理解者になるよ。
長くなってしまいましたが、ご拝読ありがとうございました。
たくさんの人が心穏やかに過ごせますように。