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友達少ないVS友達いない

 どんな人にも嫌いな言葉があるだろう。それは「馬鹿」や「死ね」といった悪口かもしれないし、自分の好きなアイドルに対する誹謗かもしれないし、もしかしたらシンプルに”響き”が気に入らないのかもしれない。

 「友達が少ない」私はこの言葉に散々苦しめられてきた。不幸にもインターネットなりSNSなりで目に入ってしまうと、私はすぐさま画面を変えた。それでも、一瞬の不快感が後々まで尾を引き、「自分は嫌なことから目を逸らす人間なのだ」と、なぜか自分の事を責める次第であった。冷静に考えると、そんな必要は少しもないのに、だ。まったく、愚かしい。

 なぜ嫌いなのか?理由は簡単、私には友達がいないからだ。生まれてこの方友達が出来たことはないという訳ではないし、学生時代はそれなりに親交を持っていたが、今はゼロだ。……まあそれでも、別に困ったり不都合が生まれたりはしていない。だからこそ、この歳まで平穏無事なんだが。

 しかし、世間では、一般的には、普通は「友達がいない」というのはなんだがひどく深刻な状態、時として「なんで生きているの?」と、まるで大量殺人鬼の如く、最大限の中傷を浴びせられても仕方がないほど危機的なことらしいのだ。

 無論、これは真っ赤なウソだ。私は孤独だが人生を楽しんでいるし、こんな時友人がいてくれたらなあ、なんて思ったこと一度もない。多分世の中には、「友達の数=その人の価値」という、小学生すら青ざめるほど薄っぺらい等号式でしか世の中を測れない連中がごまんといる。そんなおめでたい奴らはまあ、私と関係のないところで勝手に死んでればいいさ。

 腹立たしいのは、「友達がいなくてもいい」「一人でも楽しければそれでいい」なんてことを常日頃言うくせに、言い訳のように「友達が少ない」なんて申し立てる輩だ。……友達がいないのは恥ずべきことだが、だからといってマウントを取るのも下品。むしろ器の大きさをアピールするために、あの可哀想な人たちを肯定してあげよう。言うだけならタダだし。でも自分まで友達のいない人間なんて見なされるのは絶対に嫌だから、「友達が少ない」とでも言っておけばいいだろう……こんな嫌らしい計算を働かせ、奴らは「友達少ない」なんてことを言うのだ。控えめに言って八方美人、はっきり言えば下種、本音を言えばクズだ。

 私は空想する。もし世の中すべての人間が、「友達少ない」組と、「友達いない」組に分かれたとしたら?たぶん初めの内は様子を見るつもりで、「友達少ない」は「友達いない」に慈愛を持って接するだろうが、それも束の間に過ぎない。一人でも楽しいなんてことを言っていた記憶を脳味噌から洗い流して、連中は「友達がいない」を揶揄し、中傷し、迫害することだろう。結局人間なんて、立場が変われば言ってることも変わるようなゴミクズなんだよ!

 ああ分かっている。こんなことを書く私は病んでいるのだろう。こんな時代に生まれて、どうにかならない方がおかしいと思うが、そんなことはどうでもいい。腹立たしいことに、「あんな奴だから友達が一人もいない」と、後付けここに極まると言った趣の中傷が私を襲うだろうが、人のあら捜しばかりしている奴でも友達なんているんだから、お笑い種さ。とにかく、私はこの「友達少ない」人間が鼻持ちならない。友達がいないのは許されざる罪で、友達が少ないのは喜ばしい福音だとでもいうのか?五十歩百歩じゃないか!いったいどうして……ああ、同期から飲み会の誘いがあったので、失礼する。

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